20200214/桜備


「すいません。修羅場なんです」

と、言っていたのが一月前。
これはタマキが教えてくれたのだが、今月の女性雑誌の『今年、絶対食べたいチョコレート』『絶対外さないバレンタインチョコレート』などの特集の中に、必ず、なまえの名前、なまえの店が取り上げられている。
渋谷で洋菓子店を営む彼女の店は、そのおかげか連日長蛇の列が出来、バレンタイン終了までは不眠不休の勢いで働くのだと言っていた。無理はしないでくれ、と一応言ったが、無理の一つや二つできなければバレンタインは乗り越えられない、と笑っていた。
とにかく、連絡さえも憚れるような忙しさで、俺は、バレンタインの夜十時、ようやく、彼女に会いに来た。店は片付けられていたが、彼女の生活スペースはなかなかに荒れていた。
汚い、というか、そこら中に何やら書類や、仕舞う予定のありそうな服なんかが散らばっている。

「大丈夫か?」

当のなまえはと言えば、自分の部屋のベッドにスーツのままで沈んでいる。ジャケットはどうにか脱いだようだが、ストッキングもシャツも、スカートもそのままで、死んだように倒れている。
今日行くことは伝えてあったが、もしかしたら、来ないほうがよかったのかもしれない。

「ああ。秋樽さん、あれ、もうそんな時間ですか」
「……」

スーツだから、きっとシャワーもまだなのだろう。飯も食ったかどうか……。

「シャワー浴びるだろ? 手伝うか?」
「シャワーは浴びたんですよ」
「スーツ着てるのにか?」
「間違えたんです、最近シャワー浴びてスーツ着てすぐ出かけてって生活してたので……」
「ああ。なら今日は、出かける必要がないって気付いて倒れたのか……」
「紛らわしい格好しててすいません。ご飯も食べたんですよ。十秒飯二つで合せて三十秒」
「計算が合わないが」
「十秒うたた寝してたんです」

ふあ、となまえは大きく欠伸をしながら起き上がった。「ああ……」と肩を回して「バレンタインが二月二十日だったら死んでいた……」と余裕なのかそうでないのかわからない冗談を言っている。

「部屋着取ろうか」
「いえ、部屋着は確か、ああ、あった。着替えようと思ったんですよ、でも、ここまで持って来たらベッドしか視界に入らなくてそのまま寝ました。着替えていいですか?」
「よし、手伝ってやる」
「でも、秋樽さん。私、今日はたぶん、途中で寝落ちしますよ」
「なんの途中での話をしてるのかわからないが、今は下心はないから安心してくれ。普通に恋人を労いたいだけさ」
「秋樽さんが骨身に沁みますねえ」

わは、となまえは満身創痍の体で笑う。俺は早速なまえが持ってきた部屋着を拾い上げて、シャツのボタンをはずしていく。すぐに、黒の肌着が露わになる。結構着古したものなのだろうか、首の辺りが少しのびていて、ピンク色の下着がちらりと見えてしまう。もちろん、見なかったことにして、部屋着を被せる。
タイトスカートをぷつりとはずして、その後にストッキングをするすると脱がせた。一切の抵抗もない。裏起毛のワンピースに身を包んだなまえは「ありがとうございます」と言いながらすっと立ち上がった。

「よし、ちょっと元気になってきた」
「無理に起きなくてもいいぞ?」
「いえいえ。改めまして、お久しぶりです。会いたかった」
「ははは。俺もだ」

同じタイミングで両手を広げて、ぎゅーとお互いの体を抱きしめ合った。ふう、となまえが安心したように息を吐く音がした。

「お疲れさん、だな」
「秋樽さんもお疲れ様です、私は一週間くらい休みですからね、全然余裕です」
「お、そうか?」
「そう言えば散らかっててすいません」
「ははは、気になるわけないだろ。いつも綺麗にしてるじゃないか」
「正確には、綺麗に見えるようにしている、ですけどね」

そっと体を離すと、なまえは俺の腕を掴んで「秋樽さんちょっとこっちに」と歩き出した。キッチンの方向だ。そして冷蔵庫の前で手は離される。ぱかりと、冷蔵庫を開ける彼女の後姿をどきどきしながら見ているわけだが、思ったより、冷蔵庫に何も入っていない。

「秋樽さん」
「ん?」
「こちらをどうぞ、貰って下さい」

だというのに、そのチョコレートだけは大事に冷蔵庫に入れられていた。「ありがとう。開けても?」と聞くと「どうぞどうぞ」となまえは笑っている。彼女の手作りなのだろう。包装は簡易的だが、箱を開くと、宝箱のようにいろんなチョコレートが詰まっていた。一つ一つが金塊みたいにきらきらしている。

「いろいろ試作品作ったりして、美味しかったやつとかが一つずつ入ってます。目録とか作れたらよかったんですけど、ハズレとかはないはずなので……、楽しみに食べて貰えればうれしい、と言うような。ハッピーバレンタイン、の、チョコレートです。もちろん、第八の皆と食べてくれても大丈夫」
「いや、全部俺が食う!」
「あははは、それはあれです、嬉しい、ですよ。大好きです」
「突然だな。俺もだよ」
「ははは、うん、愛してます」
「俺も」
「あー……」

なまえはふらふらと俺に近寄ってきて、ぐ、と体重を預けて来た。わかってはいたが、相当疲れている。

「ごめんなさい、限界……」
「だな。一緒に寝るか」
「明日になったら、元気になるので……」
「いいから寝なさい」

貰ったチョコレートは大事に食べるとして、なまえをひょいと持ち上げる。ベッドに降ろすと「秋樽さんも」と言われて強請られるまま一緒に横になる。すると、ずるずるとなまえは上にあがってきて、ちゅ、と口のすぐ横にキスしてくれた。かわいい奴め。「うーん」すぐさまお返しをやると、なまえは照れたように俺の肩口に額を押し付けた。

「もったいない、気がする」
「もったいない?」
「せっかく秋樽さんがいるのに」
「はは、そんなかわいいことばっかり言ってると襲っちまうぞ」
「んんん……、いいよ、がんばる」
「本当に?」
「ほんと」
「本当の本当か?」
「ほんと、の、ほんと」
「……本当に、いいのか?」
「ん……」

ぽんぽん、と背中を叩きながらそう聞いていると、なまえの体からどんどん力が抜けていく。「ほん、と……に……」……、すー、と寝息が聞こえて来てから、掛布団をしっかり肩までかけてやる。

「お疲れ様。君のおかげで幸せな人が、今、東京皇国に何人もいると思うと、誇らしい」

寝ているはずなのに、なまえは、ふふ、と照れ臭そうに笑っていた。


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20200203:次の日たぶん。第八用にお土産貰えるから大丈夫。


 

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