心ごと藍に・後/紺炉


視線が集まっている。なまえは後悔した。阿呆みたいにスーツを着込んできたことを。そして悟った。今日この時から浅草で、紺炉との初デートでスーツを着てきた女として笑い話になることを。

「悪ィな、珍しいだけでよ。こいつらもすぐ慣れるたァ思うんだが」
「いえ……いえ、私もこんな浮いてる奴いたら見ます……ダイジョウブ……」
「大丈夫そうには見えねェが」

声が掛かることがないのは、紺炉に遠慮しているからだろう。何せ遠慮していることも、気を使おうとしていることも、静かにしていると彼らの言葉でここまで聞こえてくるのだ。「おー、あれが紺さんが口説いてきたっつー姉ちゃんか」「なんでスーツなんだ?」「さあ」「シッ、ちょっとあんた達、折角のデートの邪魔すんじゃないよ!静かに!」「おめェが一番うるせぇや」「いやしかし紺ちゃんも手くらい繋ぎゃいいのによ」という具合に、全部がなまえに筒抜けなのであった。なまえはどうしたら良かったんだろうと改めて頭を抱えたくなった。
あまりおかしな挙動は出来ないから、静かに紺炉の隣を歩く。

「服かなあやっぱり……」
「いやァ、どんな格好でも同じだったと思うが」
「ですかねえ……」
「町の中心まで行きゃ、まあ、もうちょいマシだろう。……平気か?」
「本当に大丈夫ですよ、ちょっと注目されるくらい。あ、でもあれですね、紺炉さんが手でも持っててくれたらより平気かも、」

なーんて。となまえがひらひらと振った手を、紺炉が掴む。「えッ」

「……平気かい」
「う……、ッ……、平気です、極めて平気……。紺炉さんこれで言い逃れできませんよ。手なんか繋いでたら、」
「何を言い逃れる必要があるって?」

またこの姉ちゃんは、と紺炉は片手でなまえの顎の辺りをがしりと掴む。「普通に痛いです……」「ったく」

「俺はそんな半端な覚悟でお前をここに連れてきてねェよ。それとも何か。俺はそんなに軽薄な男に見えるかい」
「いえ……、世界一素敵で強い上かっこよくて男前なので毎日どうしようかと思って見てます……」

かなり恥ずかしいことをさらりと言った自覚が全くないのだろう。なまえは「顔の形が変わる……」などと言いながら解放された顔を撫でている。紺炉はと言えばなまえを掴んでいたで手で口元を覆ってなまえから顔ごと逸らす。
手のひらからは、嗅ぎなれない花のような匂いもした。なまえの付けている香だろう。改めて、服以外は徹底しているという感じだ。
第八に居る時は堂々とした物だったが、何故こうも女として自信が無いのか。お前も似たようなもんだろ、と言い返してやろうと口を開くが、言葉になる前に邪魔が入る。

「あ! 紺炉中隊長いいところに!! ちょっと問題が起きやして……!!」

隣に立つ女の空気感がぴり、と変化するのがわかった。紺炉の手を素早く解き、ニコリと笑って一切の迷いなく言い放つ。

「私はその辺で待ってます。もし、私も役に立てそうなら呼んでください」

なるほど、と。紺炉は思う。今日で随分となまえのことがわかってきた。なまえの判断の速さと的確さのおかげで、紺炉からなまえへの言葉は最低限度の一言でいい。「悪いな」と言うと、いつだか浅草で見た、人に不安を抱かせない、堂々とした笑顔を作っていた。
……自分より、果ては自分の恋人より、困っている人間を優先させてしまうのだろう。並の男では付き合えないな、と、なまえに背を向けてから笑ってしまった。



行ってみればなんと言うこともない、ただの喧嘩の仲裁であった。お前らも第七の人間なら喧嘩くらいなァ、と言うのだが、イマイチ若い奴らには響かないらしくどこか楽し気に「へへ、すんません」なんて笑っている。「ったく」

「ん?」

なまえを待たせているはずの場所に、やけに人が多い。「お、紺炉が帰ってきたぞ!」人集りは、わいわいと引いて一本の道を空ける。嫌な予感がする。一人にしていた間、こいつらなまえにちょっかい出して遊んでいたのでは……。「あ、紺炉さん」

「……」

なまえは、藍色の着物に身を包んで、すっかり仕事モードではなくなった笑顔で紺炉に手を振った。スーツ姿では見えなかった、肘から手首までが露出している。白く細い、女の腕だ。

「……どういうことだ?」
「あのあとすぐにそこのおばあちゃんに声掛けて頂いて……。折角のデートなんだろってこの着物下さったんです。これで浮きませんね」
「あ、ああ、そうかい、そりゃ……」

よかった、のだろうが。
足袋から草履まで揃えてもらっている。ぱたぱたとなまえがこちらに寄ってくると、履きなれないせいだろう、少しバランスを崩した。もちろん咄嗟に手を出して支える。

「す、すいません。なんだか私この前から支えてもらってばっかりですね」
「いや、それはいいが、」

なまえに手を添えて体を戻してやるのだが、触れている手が離れない。人目もあるし、これ以上の接触は不自然だ。だから、「どうですかね、おかしくないですか」などと下から覗かれて煽られるのは大変に困る。
誰にも気付かれずに唾を飲み込み、いつも通りに、

「オ、行くか紺さん!」

え、となまえが声の方を見る。紺炉はハッとしてなまえを庇うように前に出た。「おいお前ら……!」しかし、油に投げ込まれた火は、周囲を巻き込んで燃え上がる。

「男見せろー!」「いけ、抱きしめろ!」「いや、チューだ! チューしろ!」「ヒューヒュー!」「なにしてんださっさとしろー!」

炎は収まりそうにない。人はどんどん増えて勝手に燃え広がり、「チューウ! チューウ!!」と音頭を取り始める始末。多少目立つだろうとは思っていたが、ここまでとは。紺炉はなまえを背に隠して面白がっている町民に。

「うるせェぞお前ら!!! 見世物じゃねェんださっさと散らねェと、」

蹴り飛ばすぞ、と続かなかったのは、なまえがするりと正面に出てきて、紺炉の服の襟を掴み、思い切り自分の方に引き寄せたからだ。喧嘩なら頭突きだが、触れたのはなまえの唇であった。
とっさの事でやや位置がズレていたが、集まる町人が望んだ、キスであった。

「……」
「……」

なまえは一秒ほど紺炉と目を合わせていたが、その一秒が限界だったようで顔を真っ赤にして視線をさ迷わせた後俯いて、どういう訳か町民の方へ向き直る。

「おお……!」

誰かの、感心するような称えるような声が漏れる。
なまえは、それを合図に、拳を大きく空へ突き立てた。湧き上がる喝采。拍手は惜しげも無くなまえへと捧げられた。「スゲーぜ姉ちゃん!」「流石紺さんが惚れただけのことはある!」「カッコイイー!」と、なまえは浅草の民の心を(何故か)鷲掴みにして、第八に帰って行ったのだった。
無論、この話は一晩で浅草中に武勇伝として広まった。


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20191020:「紺ちゃん! なまえちゃんは次いつ来るんだい!」「……」「紺炉! 次はちゃんとお前から行けよ!」「……」「あ、紺さん。なまえちゃん、着物一着しかないだろ? これもらっておくれよ」「……大人気だな。次、どーすんだ?」「とりあえず落ち着くまでは、ここには呼べねえな……」

 

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