20200214/リヒト


アルバイトしてみない? と誘われた。一月中頃から二月の中頃。つまりバレンタインの日まで、デパートの特設会場でチョコレートの祭典があるらしい。いろんな洋菓子店やチョコレート作りで有名な人なんかが新作を出したりする場所だ。そこで、アルバイトの募集があるから、と。土曜日曜だけだから学校に影響はないしどうだろうか、と。
私は少し考えて、いいよ、と答えた。土曜日はリヒト先生が来る曜日だけれど、まあ、一か月くらい週に一度でもなにも問題はないだろう。

「そんな……!!」

平日、彼が来るのは水曜日なのだけれど、期間中はその一回だけでお願いします、と言うと、持っていたペンをテーブルに落として椅子から転げ落ちた後、頭を抱えていた。「週に一回……?」……そんなに狼狽える必要が一体どこにあるのだろう。

「え、私の学力、週一じゃあ壊死していくんですかね?」
「学力の心配はしてないけど……、なまえちゃんは一週間に一回しか僕に会えなくても平気なの?」
「……十分じゃないですか?」
「じゅうぶん……? 寂しいってこと?」
「いや、寂しくは……」

ない、のか? わからない。今のところこの人は週に二回は必ず家に来て私に勉強を教えたり雑談をしたり菓子を与えたりして帰っていく。

「ええと、いい、ですか?」
「そりゃあいいよ。思う存分やってくるといいんじゃないかな。何事も経験だしね」
「週一でも?」
「それは良くないけど、なまえちゃんがやりたくて行くなら僕は止めないよ」
「……先生って」
「なに?」

いいひとですね、と言いそうになって口を閉じる。いい人とは違う気がする。いい先生ですね? いや、良い先生は生徒に山積みの飴玉を与えたりしない。難しい。今、とても、この人が私の先生でよかったと思ったのだけれど、それを他の言葉に言い換えることができない。

「変な、人ですよね」
「ああ、よく言われる」
「え、す、すいません」
「いやいや、気にしてないよ。それより、気を付けてね……」
「気を付ける……?」
「アルバイト」
「何を気を付けるんです? 人様に迷惑をかけないように?」
「そんなのはいくらでもかけていいけど、変な人について行ったり、知らない人からお菓子を貰ったり、セクハラされたりしないように」
「……そんなことあります?」
「あるよ。なまえちゃんはかわいいんだから」
「……かわいくは、ないですよ」
「かわいいよ。もう本当にどんどんかわいくなってる」

臆面もなくとんでもないことを言ってくる。同級生の男子だったらあり得ない。あり得るのか? いや、私はあまり男の子のことを知らないが。どうにも、五つ年上だからこうなのだという気がしてならない。兄と同じ歳だったはずだから、今は二十二歳。自分がその歳になったら二十七歳? 想像できない。

「あ、ひょっとして誰にでも言ってるんですか? そういうのはきっと、よくないと思いますけど」
「だから僕がこんなになっちゃうのは君の前だけだったら……。じゃあ、前回の宿題から見せて」

リヒト先生は落としたシャーペンを拾い上げて机に向かう。本当に何を考えているかわからない。とにもかくにもそういう訳で、私はアルバイトの許可を得て、人生ではじめてお給料というものを貰った。



ただ、誘う側というものは勝手なもので、最終日、十四日の土曜日には「予定があるからごめん」とアルバイトを休んでいた。別に構わないのだけれど、最終日、しかも土曜日で、朝からとんでもなく人が来た。高校生だからと朝の九時半から八時間働いたところで帰らせてもらったが、まだ数時間祭典は続くし、なんなら従業員には後片付けがある。

「……大変だなあ」

でも、楽しかった。たった一か月、しかも週に二度だけだから、そんなに役に立った気がしないけれど、いくらかのお小遣いも得た。裏から出て守衛さんに頭を下げる。駅の方へと回る道で、コートを着込んだ背の高い人が立っている。ボリュームのある頭で、かなり細い。

「あれ。先生」
「なまえちゃん。お疲れ様」
「お疲れ様です。誰か待ってるんですか?」
「待ってるっていうか。待ってたんだ」
「……? デートすっぽかされちゃったんですか?」
「なんでそういう話になるの? いや、約束はしてなかったんだけど、今無事に会えたってこと」
「今? へえ、よかったですね」
「絶対伝わってないから言うけど、なまえちゃんを待ってたんだからね」
「あ、ええ? 私を?」
「そうだよ」

先生はにこりと笑って私に言う。頬と鼻と、耳が赤い。かなり待っていたんじゃないだろうか。あまり合理的とは言えない待ち伏せだ。

「人生ではじめてのアルバイトお疲れ様。なにか美味しいものでも食べに行こうか。御馳走するよ」
「……そんなことの為に待ってたんですか?」
「大事でしょ。僕は君の先生なんだから。生徒が頑張ったらご褒美あげなきゃ」
「でも、ええと、悪いですよ」
「焼肉とか食べたくない?」
「いやいや、でも、先生」
「嫌?」
「嫌では……」

だって、でも、先生は。
上手く言葉が出てこない。とても嬉しいけれど、それに飛びついていいものか迷っている。

「……焼肉食べたいです」
「よし。じゃあ行こう」

甘やかそうとする先生の言葉に、心のままに頷くと、先生はいつも変わらず心底嬉しそうに笑う。……本当に、よく、わからない人だ。



結局デザートまでつけて貰って、家まで送ってくれた。暇、だった、わけではないはずだ。何やら忙しくしているのは知っている。

「じゃあ、来週からは土曜日にも来るからね」
「……」
「あ、あれ? な、なんで黙るの?」
「いえ。はい。待ってます」

ありがとうございました、と頭を下げると「どういたしまして」とリヒト先生は笑っていた。「あの」手に持っている紙袋から、赤い包装の箱を取り出す。休憩時間に買って置いたバイト先の店のチョコレートだ。

「これ、いつもお世話になっているので」
「え、え、ちょ、チョコレート? 僕に?」
「いらないなら私、喜んで自分で食べます」
「いるよ……、何言ってるの……」
「ああ、そうですか……」
「残念そうにするのやめてよ……」
「ありがとうございます。彼女できるといいですね」
「ええ……?」
「だって、バレンタインにわざわざ生徒なんか労うってことは……」
「いや僕は……」
「……、僕は?」
「なまえちゃんが一番大事だからこれでいいんだよ」
「それは……、まずいんじゃないですか?」
「なにが? どこが!? 何!? 僕が何を大切にしてても良くない!?」
「ご、ごめんなさい。怒んないで下さい……」
「怒るよそんなこと言われたら! 本当になんにも伝わらないなあ……」
「?」

「ごめんなさい」ともう一度謝ると「いいよ。怒ってないから」とため息を吐かれた。怒っていたじゃないか。どうにもリヒト先生は最近(いや、本当はもっと前からだったかもしれないけれど)、リヒト先生に彼女がいないことをいじるとあまり良い顔をしない。今日は特に怒られた。もう、言わないでおこうと決めて、反省の意を込めてもう一度「もう言いません」と頭を下げた。人を傷付けてはいけない。
リヒト先生がぽこ、とチョコレートの箱で私の頭を叩いた。
顔を上げる。

「これは、今度の水曜日に一緒に食べよう。なまえちゃんが持ってていいよ」
「水曜日に……? たぶん、その頃にはもうないですけど」
「食べちゃうんだ……」
「食べちゃいますね……」

リヒトさんはチョコレートをひらひら振って自分のポケットの中に捻じ込んだ。溶けるし、入り切ってない。きっちりしてるのかものぐさなのか、本当にわからない。

「じゃあ、僕が預かっておいて、水曜日に一緒に食べよう。持ってくるから」
「いえ、これは、先生にあげたものなので、先生が食べて下さい」
「いいから。どうせなら君と食べたい」
「ですか……? じゃあ……、あ、食べちゃっても別に怒りませんから」
「え……? 君を?」
「何の話してるんですか?」

わからないが、五年の付き合いは伊達ではない。私達はすぐ、くす、と笑い合って明日へ向かう。

「じゃあね」
「はい。また」

来年の今頃は受験は終わっているのか。……、あれ。それでも、あの人は私の家庭教師を続けるのだろうか。
でもきっと、あの人なら、大学の勉強も見れてしまうのだろうと思うと、ううん。まあ、来年のことは来年考えればいいかと部屋に戻った。次からはまた、いつも通りだ。


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20200201:リヒトくんバレンタインでっす。第一弾はリヒトくんでした。家庭教師シリーズとても楽しい。私だけが楽しいのかもしれないけどとても、楽しい。

 

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