魔法が解けるまであと三時間/黒野


カレーの乗ったスプーンを目の前に差し出されて、なまえはただ数時間前の自分を恨んだ。今、時間を巻き戻せる神様に一つだけ願い事を聞いてもらうとするならば、数時間前の自分に「正気に戻れ。やめておけ」と忠告したいと願うだろう。殴ってでも止めなければならなかったのだ、と、どれだけ考えてももう遅い。

「……あ、」

あまり躊躇っても仕方がない(と言うかあまり待っていると「まだ熱いか?」などと息を吹きかけて冷まそうとする)ので、無言で差し出されたカレーを口の中に入れてもらう。カレーには罪はない。彼は案外料理ができる男だ。
優一郎黒野は満足そうににんまりと笑いながら次を用意する。

「たくさん食べるといい」
「……」

なまえは喉のあたりまで出て来ていた「黒野さんって気持ち悪いですよね」と言う言葉をぐっと飲み込んだ。こう、あまり刺激してこの時間が伸びるのも厄介だ。約束では午後五時までということになっている。午前十一時から午後五時。ほぼ丸一日を拘束されるというだけで堪らなく面倒なのに、これ以上伸びたら自死を考える。
甘いものに釣られてこんな約束するんじゃあなかった。なまえは既に消化されたであろう人気店の限定シュークリームを思い出し、しかし、現状があまりに苦々しいため、シュークリームの味も苦かったような気がしてきた。

「欲しいのか? わけてやってもいいが、そうだな、次の休み俺の家で俺がしたいことに付き合ってくれるのならいいぞ」
「なんですかそれ……、いや、シュークリーム一つ貰うためにそんな危険を冒すわけには……」
「危険なことはない。俺がなまえをひたすらに甘やかすだけだ」
「いや、より怖いんですが……、シュークリームは惜しいですが今回はご遠慮させて頂きます」
「五個だ」
「ん?」
「五個やる」
「……ホントですか?」

なにがホントですかだ馬鹿野郎。なまえはカレーの味がだんだんわからなくなってきた。はじめの一口は死ぬほど照れたのに、慣れて来てしまっているのが恐ろしい。人間とは本当に、本当によくわからない生き物だ。
どうにかカレーを食べ終わると、デザートにプリンまで出されてしまった。いや至れり尽くせりではあるけれど。ではあるけれどだ! 一人でゆっくり食べるならばともかく、黒野に口に運ばれて、食べる様子を舐め回すように見られては、全くもって味がしない。
そんななまえの胃の痛むような羞恥心を他所に、黒野は、なまえをソファに座らせて、自分はその隣に座る。

「来い」
「犬猫じゃないんですよ私は……」
「そろそろ眠くなってきた頃だろう。昼寝でもしたらどうだ」
「はあ、五時くらいまで寝てていいんですか?」
「あまりにも熟睡していると性的な悪戯をするかもしれないが」
「……」
「膝を貸してやる」

ああ。
膝枕がしたいというわけだ。やりたいことはわかったが、恋人でもない男の膝に頭を預けるというのはどうなのだろう。なまえは必死に黒野から目を逸らす。

「それ、絶対します?」
「必要だ」
「絶対に?」
「絶対に」
「……」

なまえはちらりと時計を見た。まだ一時を過ぎたところだ。

「……絶対に?」
「そこまで嫌ならやらなくてもいいが、その場合朝までコースに延長だ」
「そんな規約どこにも書いてなかったんですが」

そもそも誓約書を交わしたわけではないのだが、黒野が自分ルールを振りかざし、ふん、と鼻を鳴らすので、なまえは大人しく黒野の膝に自分の頭を乗せた。寝心地はそうよくはない。し、緊張しているのか怖がっているのか、気分が悪いのか良いのか、もうなにもわからなくなってきた。
黒野の居ない方に顔を向けて目を閉じる。意識的に呼吸を深くしてついでに羊を数え始める。

「上を向くかこっちを向け」
「寝るときはこっち向きじゃないと寝られなくて」
「……それなら仕方ないな」

最低でも二時間は寝てやろう。なまえはそう決意して、ひたすら羊を数え続ける。
黒野はそんななまえの頭にそっと手を置いて、さらさらと頭を撫でていた。いつの間にか眠っていた理由は、それが想像より気持ちよかったからなんてそんなはずは絶対にない。



本当に寝るとは思わなかった。
三十分くらいで声を掛けようと思っていたのに、本物の寝息が聞こえていて呆れてしまう。疲れが溜まっていたのは知っていた(でなければシュークリームなんかに釣られるようななまえではない)。だが、付き合ってもいない男の膝で無防備に寝こけてしまう程だとは思わなかった。

「ふむ」

これはこれでいいのだが。さらさらと髪を撫でたり、更には眠っているのをいいことに首から肩、腕、腰の辺り、体のラインを確かめるように撫でてみたりした。全く起きない。むしろ眠りはどんどん深くなっている。

「なまえ?」

声をかけると「んん」と小さく身じろぎして、ことりとこちらに寝返りをうった。……。だけでなく。黒野のことを抱き枕か何かと勘違いしているのか、ぎゅ、と、腰に腕を回して抱き付いてきた。

「……はあ」

どうやって朝までコースに移行するか。それが問題だ。


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20200124:月見さんにリクエスト頂きました、夢主を甘やかす黒野さんですね……。ゆういちろうくろのを書くのは何故こんなにも楽しいのか……。

 

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