心ごと藍に・前/紺炉


普段は一度か二度見る程度の全身鏡の前を行ったり来たりしていた。嬉嬉として鏡の前に立っては、なんだか違うような気がすると着替えて、今度こそはと思っても、なまえはイマイチ、想像ができない。第七特殊消防隊の中隊長、相模屋紺炉の隣に立つ、自分の姿が。

「……どう、したら……」

桜備の幼馴染を長くやり、よく似た志で生きてきた。男友達と呼べそうな人間は何人かいても、男性経験となるとほとんどない。
なまえと桜備を知る人間がよく話すジョークがある。桜備は勲章を二度授与されて二度剥奪されているが、なまえは二度男がいたが二度とも仕事を優先しすぎて振られている。面白くもなんともない。軽薄なかつての上司の顔まで浮かび殺意が過ぎる。……そんな訳なので、なまえに男性経験はあってないようなものなのである。

「……手頃な原国の服とか、用意しておくんだったな」

完全に準備不足だ。戦う前から負けているような気持ちになりながら、一着の服を手に取った。



明確な用事がなければ通らないはずの廊下を、紺炉は訳もなく往復していた。「コンロてめェ、気でも違ったか」紅丸とヒナタとヒカゲは声を揃えてそんなことを言った。とは言え、紅丸には紺炉の挙動不審の原因はわかっている。

「気持ち悪ィからもう出てけ」

「万が一待たせちゃ悪いだろ」とも添えられるあたり、応援する気持ちを隠せていない。今日はなまえが一人で浅草へ遊びに来る約束の日だ。仕事ではなく個人的な理由で浅草へやってくる。誘ったのは紺炉だが、それにしたってまさか、こんな気持ちになる日が来るとは。
落ち着く為に町を歩くが、方方から声がかかる。

「お! 紺さん、今日が例の子が来る日かい!?」
「第八のあのふわっとした感じの子だろ? 楽しみだな!」

などと、好き勝手声がかかる。紺炉に話した覚えはない。紅丸がわざわざ言うことはないであろうから、隊員が広めたか、ヒナタヒカゲか。溜息を吐くが、人の口に戸は立てられないし、いずれはバレることならば、知れ渡っている方がやりやすい、かもしれない。
待ち合わせは雷門の前だ。それなりに時間は潰してきたが、まだ、早かったかもしれない。門から外へ出ると、柱にもたれていたらしい、やや後方から声がかかる。

「紺炉さん」
「!……、早いな。待たせたか」
「いえ、今来たところで。……と言いたいところなんですが、あはは……、楽しみで……年甲斐もなく……」
「そりゃお互い様だろ」

なまえは、結局、自分の私服、外行きの服を浅草に着ていく勇気が湧かず、帝国の会議に出席する時などに時々着る、スーツに身を包んでいた。

「……紺炉さん」
「……なんだ?」
「今、がっかりしましたね……?」

がっかりした、という程でもないのだが、それではまるで仕事のようだな、とは思った。しかし、スーツ姿だってはじめて見たし、陽の光を吸い込む黒はパキッとしていい感じだ。似合っている。

「……いや?」
「間がありましたねえ」

はは、と乾いた笑顔をうかべて項垂れているが、いつも通りという訳では無い。いつもより目元がキラキラしているし、唇の色艶も違う。十分に、楽しみにしていたことと、気合を入れてきてくれたことは伝わっている。「次こそは服も」と息巻く、これも彼女の工夫だろう、くるりと癖のつけられた髪にさらりと触れる。

「……あの、そういうことして頂けてしまうと大変にドキドキするのでッ……!」
「ああ、悪い。綺麗だと思ってな」
「……っ、う、……お、桜備には、デートでわざわざスーツとか正気かお前はと肩を揺すられましたけどね」

さらりと出てきた名前に、紺炉の表情がやや固くなる。必死に悟られまいと、あるいは冷静さを保とうと森羅との雑談の中で得た情報を思い出す。

「……第八の大隊長とは、幼馴染だったか」
「腐れ縁ですねえ」

心配をするようなことはない。桜備からも手放しに思い切り応援されているのを知っている。加えてどうやら桜備の方が紺炉の心境をより深く理解しているようでなまえをよろしく、だとか、粗相をしたら悪い、だとか、そう言う気安いことは言わなかった。
となれば、その内、なまえが幼い頃の話を聞き出すことも出来るかもしれない。

「また、宴席でも設けねえとな」
「第七と第八でですか! 飲み会! 楽しそうですね! 新門大隊長お酒飲むとめちゃくちゃ面白いですもんね」
「……」

スーツで来たこともそうだが、この時点でなまえの男という生き物への理解度の低さを粗方察知する。だからどう、とも思わないけれど、立て続けに飛び出す自分ではない男の名前に内心穏やかではいられない。
なまえは確かに、紅丸がにこにこしていた時、顔を背けて小刻みに震えていた。なるほどお前さんのあれは笑いを堪えてた顔だったのか。とか、そういう当たり障りのないことも言えたが。今度は、髪ではなく、赤く彩られた柔らかそうな頬に触れる。往来でなければこの程度ではすまなかっただろう。
く、と顔を上げさせて目を合わせる。

「こういう時は、他の男の名前は出さないもんだぜ。お嬢さん」

ひゅ、となまえは息を吸い込み、真っ赤になりながら紺炉を見上げていた。「そ、」「いや、」「ーっ」「それ、は」なまえはばたばたと両手を振って何かを主張しようとしたが「妬けるじゃねェか。なァ?」とストレートに真正面から言われてしまえば完敗だ。結局ぱたりと手を落として観念した。

「……すいません、以後気を付けます」
「よし」

デートは、はじまったばかりだ。


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20191020:……つづく!(エウレカ風に)

 

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