心の在処/紅丸
傷をそっと舐め上げると「う、」となまえは泣きそうな顔で俺を見下ろしていた。
「……、そんなの、あんまり見ないで下さい」
そんなのとは傷のことで間違いがないのだろうけれど、見るなと言われてみないでおくような勿体ないことはできない。痛々しいが、これもなまえだ。できることならば、全てを知っておいてやりたい。なまえの要望に応えないまま、もう一度傷跡の端をぺろりと舐める。
「これは、誰に付けられたんだ」
「……」
「言いたくねえか?」
「いえ……、これは」
なまえはしっかり悩んで「友達、だった人に」と答えた。友達、だった。今は友達ではないのだろうか。俺としてはその友達とやらが男なのか女なのかが気になって仕方がないのだが、今問い質すべきではない。
「あの時、お前が倒れてた日ってのは、そいつと友達じゃなくなった日、ってところか?」
「です、ね。喧嘩になっちゃって。あの日の怪我は半分くらいはその友達で、もう半分は違うんです」
「違う?」
「はい。なんとか撒いて別れたところで別の追手に見つかって、さらに逃げたら別の恨み買ってる人に見つかって……。と言うように悪いことが重なって、その後のことは、紅丸さんも知っての通りです」
体を動かせなくなるくらいの怪我を負って、あの日、なまえは浅草に足を踏み入れぶっ倒れて、俺と出会ったのだ。それは感謝すべきことだ。なにせそれがなければなまえは今ここにいない。とは言え、思い出すのはなまえが時折胸の傷に触れている事だ。思うところが全くないわけではないのだろう。
「その友達に、会いてェか?」
「……どう、でしょうね。仲良くできるなら、いいんですけど。現状、私はあまり。会いたい、とは思えません。ただ、付き合いだけは長かったので、元気にやっていることくらいは、伝えたい、ような気もしています。変ですか?」
「変、ではねェだろ」
なまえはへらり、と力なく笑って「それならよかった」と言い放った。俺も安心している。会いたい、と言われたら協力するつもりではあったが、会いたくない、なら無理に動かす必要もない。ただ、俺のことだけを考えていればいい。……今は、まだそれだけでいいはずだ。
「……ありがとうございます」
「なにがだ」
「色々です。一番は、居場所をくれたこと、でしょうか」
「……」
それは。
「私、今、幸せなんです」
それは違う。居場所を与えたのは俺ではない。
「幸せで楽しくてたまらなくて、出来れば、ずっとここに置いて欲しい。紅丸さんが私に飽きても、恋人でなくなっても、この場所にいたいんです」
謙虚なのは悪いことではないが、俺は仮にも最強だの破壊王だのと呼ばれるような男だ。下らない気使いや遠慮は必要ない。今までのなまえのことを思うとこれだけでもかなりの感情がこちらに向いているとわかるけれど、全然、足りねェ。
「……そうじゃねェだろ」
飽きても、だとか、捨てられても、だとか。そうではない。もっと欲張ればいい。俺に圧力をかけりゃあいい。絶対にという言葉を使ってもいいし、一生、と、なまえの命を一つ背負わせてくれたっていい。
「そうじゃねェ。お前が心配するようなことは一つも起きねェ。離すことはねェよ。お前を他所へやっちまう気なんて、俺にはねェ」
言いたいことは伝わっただろうか。わからないが、なまえはじっと透き通った瞳で俺を見詰めている。口を開いて、ふる、と唇を震わせた。細く息を吸い込んで、きゅ、と幸せそうな笑顔を作る。元々こうして笑う奴なのだろう。その友人とやらもこの笑顔を知っているのだろう。だが、そいつは結局なまえのこの笑顔を手放したのだ。
最後の一歩を進むのは、選び取るのは、選択することができるのはこいつ。なまえしかいない。俺は与えていない。選んだのは全てなまえだ。
俺となまえを引き離すことができるのは、俺となまえだけ。
なまえは恐々と俺の頬に手のひらを這わせて。
「好きです」
なまえと真正面で見つめ合う。俺の視線は柔らかいなまえに受け止められる。
「大好きです。ずっと、ここに……、紅丸さんの隣に、いたい」
つ、となまえの瞳から涙が零れるのを見送った。しばらく見惚れているとなまえはぎゅ、と俺の首筋に抱き付いて来て擦り寄った。
こいつから好意を伝えられたのは、これが、はじめてだ。
「言ったな」
改めて見つめ合う。お互いの瞳の中に同じ色の炎が灯る。
「言いました」
俺は、この深く純粋なだけの女に、飛び込むように覆いかぶさった。
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20200106:次、次はすけべだけなので読まなくても話はわかるようにします。