プロローグ『破壊王』


「こんどくるときはおかしでももってこねェとおいだすかんな!」
「つまらなくねェもんもってこいや!」
 ヒカゲとヒナタが両手を振って第八の連中を見送った。
「さて、そろそろ復興作業に戻るか」
 上機嫌に紺炉が言って町中へと歩き出す。その背中を、同じく第八を見送っていた女消防官が付いて行った。「はい」と、良く通るがかしましくない、強かな声の女だった。
 長い髪を白い布で一部細くまとめている。
 俺は、その髪型を見る度に邪魔だから切ったらどうだと言うのだが、本人は自分の髪型、というより、紺炉と揃いのその一つ縛りを気に入っているようで、もう十年以上も前からずっと同じ髪型だ。
 紺炉より長い髪が、浅草の風に揺れて目の前を流れる。
「いい加減邪魔じゃねェのか」
 そいつは振り返って、ゆっくりと目を細める。俺よりも五つ年上の女は、年齢相応に落ち着いていて、年齢相応に、女らしい。
「相変わらず紅は私の髪が嫌いだねえ」
「鬱陶しいだろ」
「でも私、髪くらいは長くないととうとう女子に見えないし」
 言葉の割に深刻そうではない様子で、長い髪を一房撫でている。
 嫌いというわけではない。
 活発に動くこいつに追従する長い黒髪は美しいとさえ思う。なんとか、この女に紺炉の真似をやめさせられないだろうかと、俺もまた、十年以上苦心している。
「わかがまたあねごの髪型に文句言ってるぜ、ヒナタ」
「無理矢理むしっちまえばいいのにな」
「あはは、それ紅にやられたら髪の毛一本も残らず燃やされそう。これが本当の焼け野原ってね」
「あひェひェひェ、ぜんぜんうまくねー!」
「ひでー、八百屋のおやじでももっとうまい事いうんじゃねーか?」
「ふふふ、そんな後で思い出したら普通に泣けることばっかり言う子たちはこうだ!」
 ヒナタとヒカゲをまとめて抱き上げて笑っている。なんてことない、浅草の、第七のいつもの風景だ。甘いような温いような空気の中をゆっくりと歩く。
 後ろがあまりに騒がしいから、紺炉が振り返る。
「おいおいお前ら、あんまりはしゃぎすぎるなよ。これからまだまだ仕事があんだからよ」
 あいつと紺炉の視線がぶつかると、あいつは、俺や、ヒナタヒカゲには絶対に向けることのない特別な顔を作り出す。ただの友人や家族では絶対に向けられない感情から浮き上がる。俺はあいつのあの笑顔を見てしまうと、口の中が辛くなる。浅草の空気は変わらないのに、俺の体だけがやや重くなる。
 紺炉に声をかけられ、紺炉と目が合った。たったそれだけのことが嬉しくて堪らなくて、幸せで仕方がなくて、込められた感情が大きすぎて、太陽並みの熱量の笑顔になっている。笑顔が、幸せだ、と叫んでいる。
「大丈夫。ちゃんと働けます」
 十年と言う長い年月。
 この女はずっと同じ男を想い続けて笑っている。俺は時々、これについてもいい加減飽きないのか、だとか、いい加減やめたらどうだ、とか、バカみてェだな、などと言うのだが、返って来る答えはいつも同じだ。「そうだね」と芯のはっきりした笑顔で言う。なんにしてもバカみたいに笑っているヤツである。
 さっさと気持ちを伝えて振られたらどうだ、と言ってやったこともあるが、これについても「そうだね」と静かに笑うのみ。
 こっぴどく振られてくれればこちらにもまだやりようはあると言うのに、この女がひたすら真っすぐ真剣に、迷惑にならないように負担にならないように、全く一体それはどんな誓いなのやら、驚きの甲斐甲斐しさで遠回しに紺炉に尽くすせいで、紺炉もあからさまに遠ざけることはしないのである。
 紺炉ももちろん、あいつの気持ちには気付いている。行動の割に重すぎる気持ちを察したうえで放置している。ひどい奴だ。応えてやる気などさらさらないくせに。
 俺は紺炉にも昔、なんとかしてやらねェのか、と(あまりにも虚しくて見ていられなくて)言ったことがあるのだが、紺炉もまた、あいつと同じように「そうだな」などと笑うのである。
 あいつと違うのは、紺炉は何度か女を作っていたことだろうか。それで諦めてくれればとそんな風に思っていたのだろう。
 想いは風化するだろうと思っていたのだ。
 ……紺炉は少し、あいつを軽く見ているところがある。
 執念とか執着とか、あいつのあれはそういうおどろおどろしいものではない。向けられている人間にとってはもっと甘くて包むような感情だ。
 そもそもあいつは紺炉に近付きたいが為に体術を学んで、炎なしの勝負ならば俺すらも投げ飛ばすような意思の強い奴なのである。そんな奴が、一番愛していて幸せになってほしいと願っている男に、一ミリも本気で想っていないような女ができたぐらいで、気持ちをグラつかせるとでも思ったのか。
 案の定、あいつは泣きも喚きもせず「おめでとう」だとか、長続きせず人間が変わると「気を付けてくださいよ」と言葉が変わる程度であった。
 最強の消防官だの破壊王だのと言われてはいるが、あいつにこそそれに類する称号があっても良いと思っている。
 だらだらと。
 十年放置されている問題だ。
 いいや、あの女はこれで満足で、これ以上になるつもりがないのだろう。だから、決着を付けられるとしたら紺炉からのアクションしかないのである。
 特に、二年前からは完全に膠着状態で、なんの進展も発展もない。
 あまりに不毛で、救いのない日々が続く。
 紺炉は前を向いて歩き、そのやや後ろをあいつが付いて、そしてずっと、紺炉を見ている。
 ……。
 そしてその女の横顔を、俺は、見ているのだ。紺炉しか映していないその目にどうにか入り込もうと必死なのだが、成功した試しがない。
 だが、今回の一件を経て俺は一つの誓いを立てる。今までは紺炉にどこか遠慮して、この件に関して踏み込み切れないところがあった。だが、それも今日までだ。
 こんな毎日は、俺が、ぶっ壊してやる。


 

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