折れて曲がって飛び越えて06
たまには、と言われたが、用事もないのに帰ることもない。ただ、ほんの少し行きやすくはなったので、近くまで行けばふらりと馴染みの店に寄ったりはしている。その度に「紅ちゃんには会ってかないのかい?」と言われるが、紺さん曰く「紅は、ちょっとな……。お前さんに対してはいろいろ押さえたり考えたりすんのに心の準備が必要なんだ……」らしいのでわざわざ顔を見に行くことはない。ただ、顔を見ずに帰ると紺さんから電話がかかってきて「……今日、浅草来てたんだって?」と言われる。「寄りましたけど」と答えると「……次は、詰所に寄ってくれや」とため息とともにそんな言葉が受話器から聞こえる。「はあ、まあ」「頼むな……」そんな矢先のことだった。
第八特殊消防隊に機関員と科学捜査員が入って少し。
「修行? 浅草で?」
「はい! 行ってきます! えっと、それで、なまえさん。実は相談があって……」
「ん?」
「何か手土産でも持って行こうと思うんですけど、何がいいですかね」
「へえ、偉いね」
シンラは本当にいい子だな。と私は感心しながら考える。別になんでもいいとは思うのだが、折角だ。私も修行を見学しがてら差し入れでも持って行くか。たぶんヘロヘロになるまでしごかれるには違いない。「よし」
「私が用意するから、先行ってていいよ」
菓子折りと、サクッと食べられる差し入れを持って、浅草に出かけた。
■
「ん? あれ。リヒトくん」
「ああ。なまえちゃん。なまえちゃんも浅草に用事?」
「浅草にっていうか。第七に。シンラとアーサーお世話になってるから菓子折りと、あと差し入れ。おにぎり各種。食べる?」
「んー、いくつか貰って帰ってもいい?」
「いいよ。めちゃくちゃ作ったからジョーカーの分も持ってってあげたら?」
「本当に? ありがとう。なまえちゃんの料理のファンだから、きっと喜ぶよ」
灰島重工、応用発火科学研究所研究主任。ヴィクトル・リヒト。彼とは以前から交流がある。というか、灰島周りで唯一の友人とも言える(多分。彼の考えはいまいち読めない。そう思っているのは私だけかもしれない)。年も近いし仲良くさせてもらっていたのだが、彼が第八に入ることになるとは驚きだ。
「……それより、だけれど。知ってることを黙ってるのは、実質僕たちに協力してることになるけど、いいの?」
「何も問題ないんじゃない? 正義の味方なんでしょう」
「いやあ、持つべきものは友達だなあ」
「……」
「あれっ、なにその顔」
「いや、友達だと思ってるのは私だけだと思ってたからびっくりしてる顔」
「友達でしょ! 秘密基地にも来た事あるじゃない」
見咎められると面倒だな、と持ってきていたタッパーにいくつか分けて手渡した。シンラやアーサーについて話をしたり、第八、灰島のことなど、彼とは実際話せることが多い。加えて、浅草の人たちは彼みたいな人間が珍しいのか、話しかけ辛いのか、いつもはこれでもかというくらい足止めを食らう道中も、今日はさらりと歩いて来れてしまった。
「さすが新門大隊長、目の付け所が最強っすね〜〜」
リヒトくんらしい割り込み方だったと思うのだけれど、その新門大隊長は隣に私の姿を見つけると、ぎろ、ととんでもない形相で私を睨んだ。……なんだ、またか……?
■
今度は一体、私は、何をしたんだろうなあ。
いや、何もしていない可能性も十分あるけど。
以降の修行はどこか紅もいらついていて、殺気と怒気とが隠せていない。「私今日どっかおかしい?」リヒトくんに聞くと「いや。いつも通り素敵だよ」と言われてしまった。このやりとりこそ割といつも通りなので「ありがとう」となるのだけれど、その横で紺さんがとんでもない顔をしてこちらを見ている。
が、と肩が掴まれた。
「単刀直入に聞くが、お前ら二人の関係は?」
「え、ああ、友達です」
「友達ですねえ」
へら、と笑って言うと、紺さんはぴし、と固まった後「そうかい……、いや、まあ、そうだよな……、なまえだっていつまでも一人でいるわけじゃねえし、ここまでの器量よしは東京皇国中探してもそうそういるもんじゃあねえ……、おまけに腕っぷしも強いと来たもんだ……、うかうかしてられねえぞ紅……」となにやらぶつぶつ呟いていた。
「あ、そうだ。紺さん。これ。シンラとアーサーがお世話になってるから菓子折り。と、あとおにぎり握って来たんで休憩の時にでも食べて下さい」
「あ、ああ、悪いな。……って、ちょっと減ってねえか?」
「道中おなかすいたから私が食べました」
「結構な量いったなあ……」
嘘だが。
私は「さて」と立ち上がる。リヒトくんはまだ見ていくようだが、私はこの後灰島に行かなければいけない。渡すものも渡したし、紅はシンラとアーサーをちゃんと鍛えてくれるようだ。何も問題はない。
「なんだ? もう行くのか?」
「はい。この後も用事がいくつか」
「社長によろしくね」
「会うかわからないけど了解」
「忙しいんだな……、若! なまえはもう帰るってよ!」
「!」
紺さんが声をかけると、紅はシンラとアーサーを投げ飛ばし、「休憩だ」と言ってこちらに歩いて来た。
「じゃあ、二人をよろしく」
「……」
返事はない。何か言いたげだ。
私は仕方なく、十秒間そのままじっと紅を見上げる。なにもなければこのまま帰ろう。待っていると五秒目くらいで紅が口を開いた。「それ」指さしたのは私が作って来た差し入れだ。
「俺のもあんのか」
何言ってんだ。思い出すのは「味付けが意味わかんねェ」とか文句つけられた日々のこと。
「え、紅は私の料理嫌いでしょう」
「……そんなこと、言ってねェ」
「へえ」
「……」
冷や冷やと見守る紺さんには悪いが、そんなこと言ってねェで済まされたら堪ったものではない。ややトーンを落として返してやると紅はぐっと黙ってしまった。また、何か言い足りない顔でこちらをみている。
紅はちらりと裏庭を見て、おにぎりに群がるシンラとアーサーとすれ違いながら、庭の真ん中に歩み出た。
「折角来たんだ、体動かしてけ」
ひゅ、と木刀が投げ渡される。
「いや、時間が」
「三分」
三分なら問題ないが。
「ほォ」なんて興味深そうにリヒトくんが言うのが聞こえた。シンラとアーサーも顔を上げて目を輝かせている。これはまずい流れだ。
「お、久しぶりに手合わせかい? シンラとアーサーも参考になるんじゃねえか?」
「なまえさんと新門大隊長が組手するんですか!?」
「ふッ、第八の姫と第七の侍の戦いか」
「なまえちゃん、がんばって」
だめだこれ。逃げられない。諦めかけたところで、紺さんが更に追い打ちをかける。
「ただの組手じゃ面白くねえだろ。そうだな。勝った方が負けた奴に一つだけ言う事聞かせられるってのはどうだい?」
■
数年ぶりになまえと向かい合った。やる、と決まれば真剣そのもので、びり、とシンラ、アーサーにはない圧を感じる。時間は三分。能力も使った真剣勝負だ。能力も使えるとなるとやや俺に有利ではあるが、なまえはその程度の有利不利はひっくり返すだけの実力がある。油断をすれば負けるのはこちらだ。
俺は、なんとしても。
なんとしてでも、俺の言葉を聞いてもらわなければならない。
なまえは打ち込んだ掌底をいなしながら、面倒くさそうに眉間に皺を寄せた。
「す、すげェ、なまえさん……」
「第八にはゴリラしかいないのか」
なまえは何か迷っているようで、こちらに攻撃が届く気がしない。……とは言え、気が逸れているわけではない。俺の攻撃もなまえに当たる気がしない。今のところまったく届かず、全て受け止められ、避けられている。
じり、となまえが砂を強く踏む音を聞いた。
来る。
炎による攻撃を避け、爆風を背に推進力を得て、俺の攻撃をするりと避けて、居合の構えを取った。いいや、これは陽動で、本命の攻撃はこの後。案の定なまえは真上に飛び上がった。上空から真っすぐ振り下ろされるかかと落としを避け、足を回す。
避けられることも想定内だったらしく、ひょいと後ろに飛び距離を取るつもりだ。立て直されると厄介だと、ぴたりとくっついてその隙を与えない。なまえは不安定な体勢なまま木刀を振り上げ、
「あ?」
木刀は、上に振り上げた瞬間すっぽ抜けた。
なまえは勢いのまま後ろに転んだ。……転んだ?
そして、すっぽ抜けた木刀がなまえの顔の横に刺さる。
「……あ?」
丁度三分。俺の勝ちということになった。
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いくらなんでもひどすぎる。「ああ、久しぶりに木刀なんて持ったからなあ」となまえは笑っていたが、仮にそれが本当であったとしても、すっぽ抜けるはずがない。俺はそのままなまえを詰所の玄関まで送り、問い詰める。
どういうつもりで、わざと負けたのか。
「わざとだな」
「刀持つの久しぶりだったからね」
まだ、こんなことを言いやがるなまえを睨み付ける。
「わざとだろ」
はあ。
と、なまえは面倒くさそうに息を吐いた。
「こうでもしなきゃ私に言いたいこと言えないでしょう。で、どうする?」
「……」
まったくどうして私がこんな気を使わないといけないんだろう。となまえはまた溜息を吐いている。割に合わないな。とも。……情けねェ話だ。こんなことをされなければ、言いたい言葉の一つも満足に言えないなど。
この権利を突き返すこともできる。
舐めるな、と言う事も。
できる、が。
「次の休みは一日こっちに戻って来い」
りょーかい。とひらひらと手を振る後ろ姿にこんなにも顔が熱くなる。
振り返るかもしれない、そんな風に思って見えなくなるまで見送った。
……、なまえが振り返ることはなかった。
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20191222:次アレです。