罪状:抱えきれない程の優しさ01


誰に向けるでもなく「いってきます」と言って家を出る。雲一つない空が迎えてくれたら幸せだ。それだけの人生だった。
みょうじなまえにはそれ以外に欲しいものが見つからず、それ以上に大切なものはないような気さえしていた。目に見えるものの美しさに気付けたら、その日は一日美しい。人にも優しくできるに違いない。
なまえは一つに結んだ髪をさらりと撫でて、低いヒールをかつかつと鳴らして会社へと向かう。これはゴミ出しの帰りだろうか。すれ違う隣の部屋に住む主婦に挨拶をして階段を下りた。ワイシャツにリボン、黒いベストが制服で、そろそろ寒くなってきたから、クローゼットからコートを出さなければいけないだろう。
マフラーは去年捨ててしまったから、近い内に買わなければ。流行りを追うのは得意ではないけれど、今年こそは流行のものを買うのもいいかもしれない。背中から迫る風は、こんなにも冷たく……。

「……?」

通り過ぎて行った風から、炎のにおいがした。
さああ、と小さな砂やホコリを攫って音がする。
炎の気配を連れた風を追いかけるように視線を向けるが、美しい空の他にはなにもなかった。



そんなことが、何度かあった。
日によって場所によって匂いが強かったり薄かったり、灰のようなものが見える時もあった。最近だと、脳内に画像、イメージが横切る。多すぎる人の中。手入れされていない雑草の中。橋の下。ビルの上。いつでもその男の子は一人で居る。黒い短い髪に、白い服。紫色の瞳はいつも真っすぐ前を見ている。何と戦っているのだろう。煌々と輝く紫は燃えているようにも見えた。

「……また」

また、炎のにおいがした。
いいや。もしかしたら、これは、炎のにおいではなく、彼のにおいなのかもしれない。きょろきょろと周囲を見回して、帰り道とは反対の方向を行く。
歩道橋を駆けあがって、路地を抜けて、探す。
背から風が吹いて来たから、振り返り、風に逆らうように進む。
息を切らせて足を進めると、また、頭の中にじり、と絵が焼き付く。
公園だ。
街灯がたった一つしかない公園のベンチ。
この場所ならば知っている。

「!」

最低限の遊具しかない公園のベンチに、男の子が座っている。何度か見たことがある、白い服に黒い髪の男の子だ。視線の先には、白い猫と、その子供と思われる子猫が二匹で遊んでいる。
なまえはゆっくりと男の子に近寄ると、間もなく、彼はばたりとベンチから落ちた。

「えっ……」

猫と彼とは知り合いであったらしい。猫たちは驚いて彼の近くに寄り、そして、三匹でなまえを見上げた。助けてやってくれと、言われている気がした。「……よし」なまえには、それだけで十分だった。



信じられないくらいに温かい場所で目が覚めた。体を起こすと体も服も綺麗になっていて、枕元には水が置かれていた。深く考えるのは喉を潤してからでもいいはずと一気に半分ほど飲み干すと、「あ、」と俺ではない誰かの声がした。
声の方を見ると、三匹の猫を抱えた女がこちらを見ていた。
……猫達はともかく、女の方は知らない奴だ。

「体が、」
「?」
「体が痛いとか、気分が悪いとかない?」
「……」

俺に聞いているのだと理解するのに時間がかかった。その時間がかかっている間に女は俺の前にしゃがみこんで、猫達を離す。猫は俺の膝の上に乗って俺の腹に頭突きをしてくる。

「ない」
「それならよかった。とりあえず雑炊があるんだけれど、食べられる?」

ぞうすい。ってなんだ。食べられるか聞かれているから食い物だろうか。俺が答えるよりも早く腹が鳴ったから、女はにこりと笑い「待ってて」と言った。女が部屋から出て行くのを見送ってから、もう一度猫達に視線を落とす。そっと背を撫でると、猫達まで綺麗にされていることに気づく。通りで気持ちよさそうにしているわけだ。

「はい。ちょっと熱いかもだから、気を付けて」
「……」

土鍋とスプーンを受け取った時点では警戒心もあったはずだが、立ち上る湯気と食欲をそそる匂いを吸い込んだ瞬間どこかへ消えた。熱いかもしれない、と言われた言葉も忘れて『ぞうすい』を胃に流し込んだ。

「……、おかわりいる?」

ごく、と全て飲み込んだ後に、見事に空になった土鍋と、今更だが自分の体になんの変化もないことを確認して頷きながら土鍋を返した。「食欲あるなら大丈夫だ」と、女は俺のことを昔から知っているみたいに笑って見せた。
少し腹が満たされていろいろと考えられるようになってきた。
いつもなら、俺が何か食っていると物欲しそうにこちらを見る猫達が食い物に見向きもせずに遊んでいる。……つまり、こいつらは俺より先にあの女からなにか食い物を貰ったのだろう。何故、こんなことを。

「はい。二杯目」

二杯目はちゃんとスプーンを使った。今度は味を確かめる余裕も生まれる。美味い。地下で食っていたものとは根本的に違う。理由はさっぱりわからないが、俺も猫達も洗って、食事まで与えて、あたたかい場所に寝かしておいてくれたらしい。……。ちらり、と猫を見ると、親猫である白いやつが「にゃあ」と小さく鳴いた。
手を止めて、女の顔を見上げる。

「……ありがとう」

猫が言えない分も俺がそう言うと、女は「大したことはしてないよ」と、本心からそう思っているらしい。嫌味の一切ない、優しいだけの顔で笑った。


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20191216:ああ……、逆トリップをサイトにのっけるの生まれてはじめてなんじゃないか? がんばります。

 

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