009/リヒト
大方の事態は把握した。なまえは全て話し終えると、「……ごめんなさい」と項垂れた。僕の部屋の隅で小さくなっている。
何を謝っているのだろう。大事なことを忘れていて、とか軽率で、とか、そんな事なのだろうけれど、(新門大隊長以外の)誰に迷惑がかかったわけでもない。十二年前、浅草で保護された後は、うっかりまた捕まってしまったという設定になった。僕に保護されたのは二年前。そこは変わらないし、大きく不都合もない。
「それでこの話、ジョーカーには言う?」
「……い、言うますん」
「ん? どっちって?」
なまえは部屋の隅から這ってきて、僕の隣にちょこんと座った。警戒心が微塵もない。彼女に安全と判断されればこうなので、これを例えば、思春期真っ盛りの男の子にやったのだとしたら、新門大隊長が気の毒でないとは言えない。
「……話を聞いて欲しいような、聞いて欲しくないような気持ちです……、でも隠し事はしたくないので会ったら話します。……ただリヒトくんが事前にサラッと説明しておいてくれたらとても気が楽です」
「わかった。いいよ。一つ確認なんだけど、簪を受け取る意味については本当に知らなかったんだよね?」
「誓って意味もわからず頷きました」
しかし新門大隊長も十二年間音信不通の女の子との約束を真に受けて疑わないなんて、流石最強だ。並のメンタルではない。案外もういつ再会しても良いように簪が買ってあったりするのかもしれない。
……なまえは、断固として受け取らないだろうが、人からの好意を突っぱねるのは、彼女には辛いことだろう。はあ、となまえは大きくため息を吐いた。
「ねえ、リヒトくん、ジョーカー怒ると思いますか?」
「そりゃ多少は怒ると思うけど……」
「ですよね……」
「……隠しておく?」
「隠し事は……、多分出来ない……」
バレたら傷付ける、となまえは言った。隠し通せる自信があれば、一人で抱えるんですが、とも。
「協力しようか?」
隠蔽するのを手伝おうか、と言ってみても、なまえはゆるゆると首を左右に振った。
「いえ、ちゃんとします。それより、その、ジョーカー、なんて言ったら許してくれると思います?」
「……」
許すも許さないも何も、浮気したわけでもあるまいし。いや、キスはされていたらしいが、そんなことくらいで(文句の二三はあっても)彼女と縁を切るジョーカーではないはずだ。ちょっとなまえが抱き着いてごめん、って言えばそれで済むのでは……。
「え、もしかして、絶望的ですか……? ゆ、許されない邪悪……? 無知とは罪、と言うことで……?」
「たぶん今この状況見てたら100パーセント許してくれるとは思うんだけどね。て言うか、何をそんなに怖がってるのさ。君とジョーカーとの仲だろ?」
なまえはじっと僕を見上げた。至近距離でこの目に見つめられるのはまだ慣れない。僕に向けられているのは不安と信頼だ。きら、となまえの目が輝く。
「わからないですけど、曇るかも、と」
「曇る? なにが?」
「……リヒトくん、これは秘密なんですけどね」
「ん? うん」
「私、ジョーカーが大好きなんです」
「えっ、知ってる」
「ジョーカーもそれを知ってると思うんですけど、それが、その、遺恨が残る? って言うか、濁るって言うか、」
「ああ、疑って欲しくないのか」
「それだ! です、たぶん……?」
思い出すのは、ジョーカーとのやりとりだ。「本当に誰かに取られちゃったらどうするの」と聞いてみた。取られるなんて思ってないし、この二人の間に入れる人間なんてきっと居ないけど、聞いてみたことがある。
ジョーカーは珍しく真剣な顔で黙り込んで「あいつは誰とでも上手くやるだろうな」、その言葉は意外だったので、つい深く踏み込んで「いいの?」とジョーカーを覗き込んだ。
次の言葉はいつものようににやりと笑って発せられた。本音かどうかは分からない。「良いも悪いもねェさ。あいつは俺の気持ちを疑えるような女じゃない。こっちがどれだけ不安に思って欲しくても、疑って信じられるまで問い詰めて欲しいと思っても、『なまえ』の中で、『俺』だけは揺らがない」たぶん本音だ。弱音であった可能性もある。
「……こういう時、すぐに会いに行けないのは不便ですね」
「ああ、下手に待ち時間があるとね」
「会えたらいいのに」
「早くても、今回の作戦が終わった後になりそうかなあ」
「ん、んん……、はい……」
ジョーカー以外からの本気の、そういう好意を怖がるなまえの頭を撫でてやる。言葉で表現するのは難しいが、お互い嫌いになることはできないのだ。好きでいることしか出来ない。かと思えば、なまえはジョーカーと離れて、ここに来ることを選んだりする。いや、だからこそ、選べるのかも。
「よしよし、大丈夫だよ。ジョーカーは君に激甘なんだから」
「……ありがとうございます、リヒトくん」
「どういたしまして。じゃあ、修行頑張っておいでね」
なまえの表情がもう一段階曇った。
「修行……」
「あれっ? もしかして忘れてた……?」
「リヒトくん、この場合、浅草で私はどう……、どういう身の振り方をしたらいいんですか……?」
ああ、うん、どちらかと言うとそれの方が大きな問題だ。
「新門大隊長と二人きりにならなければ大丈夫じゃない?」
「なるほど」
「……やっぱり行くのやめる?」
「いえ……、強くはなりたい……」
誰のために? ……決まっているか。
そっと笑って手を離す。
「じゃあ、行っておいで」
「はい。いってきます」
さてと、ジョーカーに連絡してやらないと。なまえが会いたがってたって言えば、きっと直ぐに来るだろう。
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20191213:『 』だから、疑ってほしくない。『 』だから、疑ってほしい。