「おはよう」
霊長類最強の高校生はメンタルも違うな。と私は思った。そっと目を逸らす。「おはよう」私の声はやや上擦っていた。
「山菜採りかな。付き合うよ」
「あっ、大丈夫です」
「……うん、そんなに露骨に距離を取られると傷付くな」
「傷つく資格なんてないのかもしれないけど」司くんは寂しそうに笑った。そんな顔をされても、私はあの出来事を乗り越えられていない。音やら声やら体温やら、全て生々しく思い出すことが出来る。思い出すだけで、なにやら、やるせない気持ちになるのである。
司くんに対して、どういう気持ちになれば良いやら未だに分からない私は、言葉に詰まって黙り込んでいた。司くんはなんの用があったのか、私に一歩近づいた。その一歩が思いのほか大きくて驚いてしまう。
「っ、な、なに?」
「ごめんね」
「なにが?」
「怖がらせた、いや、嫌な思いをさせた、かな。だから、ごめんね」
あの出来事をどう考えるべきか。そもそもそれを明確にするべきか。わからないけれど、司くんがあまりに寂しそうに言うので『あれ』以前の状態に戻すくらいはしたいと思う。
「……いい。もう、全部忘れることにする」
「えっ」
「え?」
「うん、いや、その、全部かい?」
「だってあんなの、完全に事故でしょ?」
司くんの視線が揺れる。私の周りをうろうろと、何かを探すようにあちこちへ目線をやるが、なかなか目が合わない。諦めたようにゆっくり肩を落としながら、彼は言った。
「そうか、そうなってしまうんだね。うん。それはそうだ。覚えていたくないことは、忘れた方が」
いいよね。
司くんは今にも泣き出しそうに目を潤ませて笑った。前回同様どうすることもできないが、もう流石に、彼の気持ちが何であるかわかっている。あれは衝動的なものだったが、おそらく誰でもよかった訳では無い。
「本当にごめんね」
「いや、あの」
司くんはどうにかこうにかという様子で私に背を向けた。その背を見ているとなんだか悪いことをしている気になるし、放っておくのは薄情な気もする。かと言って、彼のこの様子を受けて引き止めたり慰めたりするのもどうなのだろう。私はそんな無責任なことをしていいのだろうか。ペットを飼うのとは訳が違う。
「あのさあ!」
獅子王司に好かれているらしい。私はまったく自分の感情がついてこないのを感じながらも結局、司くんを引き止めた。服を掴んで引いて、こちらを向いてもらう。
「……」
「……うん、俺はなんでも聞くよ」
引き止めたはいいが、何を言うべきか迷っていた。不自然な間について、彼は追加で文句があると思ったようだが、そうではない。いや、文句はあるが、それはもうよくてだ。「後で、」
「後で私がこっそり栽培してるお茶をいれてあげるから、元気だして欲しい」
「……なまえ、そんなことを言われると、俺は」
「次暴走したら知らない」
「……」
もし、『あれ』に二度目があったらさすがにどうしようも無い。だからこれきりにして貰えると大変に助かる。あとは普通に、告白するなり口説くなりしてもらってーーそんなことがあればだがーーごちゃごちゃ考えるのはそれからでもいい。
「うん」
司くんは少女のようなあどけない笑顔で、そう、頷いた。
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20210627