獄都事変 | ナノ


一輪の花を君へ06 / 肋角、災藤  




ノックの音が控えめに響く。

「ただいま帰りました」

些か早い帰還であった。
夜子には、傷一つないし、疲れた様子もない。
彼女の能力の高さは、最早いろいろな獄卒が知っていた。
何故か斬島に買われていることも、谷裂に鍛えられていることももう周知のこととなり、夜子はこの特務室で、立派に獄卒として生活していた。

「ご苦労、相変わらず仕事が早いな」

ただ、相変わらず褒められるのは苦手なようで、下手な謙遜で逃げようとする。

「そんなことは……、運が良かっただけですよ……」

肋角は、夜子の人間だった頃のことを少しだけ知っている。本人ですら忘れてしまったようなことも、きっちりと覚えていた。
彼女はそれこそ鬼のように強く、まだ人間であった頃、斬島は夜子に何度か再起不能にされている。人間が鬼を倒す。そんなおとぎ話のようなことを彼女はやってのけて。
けれど、転生の際にそのほとんどを忘れてしまったらしかった。
獄卒になってすぐは、右も左もわからない、ただの少女であった。しかし、注意力や勘はそのまま。少し教えればそれ以上の戦闘ができた。
絶望もできず後悔もできず、そんな昔の日々を少しだけ知っている。
ゆえに、だろうか。
夜子がここでのびのびとしていることが嬉しかった。

「そう謙遜するな。褒めているんだ」

夜子はいずらそうに身をよじって、カバンからばさりと紙の束を取り出す。

「……ありがとうございます……、ええと、じゃあ今回の任務の報告を……」
「報告書まであがっているのか」
「あ、やっぱり後にします……」
「何故そうなる」
「すいません……どうにも、色々複雑で……?」
「素直に褒められておいたらどうだ」
「うぐ、はい、あの、ありがとうございます。おかげさまでどうにかやっていけています」

おずおずと報告書はこちらに渡されて、ぱらぱらと中身を確認するが、不備もないし、しっかりしたものだ。
今帰ってきたばかりだと言うのに、すっかり報告書はできあがっていた。
優秀である。その一言に尽きてしまう。
もっといろんな言葉で褒めて甘やかしてやりたいものだが、立場上、そう手放しでいろんなことをするわけにはいかない。助角の脳裏に少し、部下の獄卒たちが過る。
とりあえず、特別に特別扱いはできなくとも、茶の一杯ぐらいは許されるであろう、そんなことを助角が思った時だった。
コンコン、
ノックの音が思考に割り込んで。
ああ、邪魔が入ったか。
表情には決して出さないが、助角はそれだけ思うと扉の方へ視線を向けた。

「おや、夜子。もう帰ってきたのかい。相変わらず優秀だね」

災藤は、助角と夜子。2人を確認するなりにこりと笑ってそれだけ言った。
災藤でも助角でも、夜子の反応は同じだが、助角に素直に褒められておけといわれた直後であるため、今回は比較的素直に礼をひとつ。
助角は楽しげに笑みを浮かべている。

「あ、うー……、ありがとうございます……」

災藤は夜子の反応に笑みを深めると、助角がなにやら紙の束を確認していることに気づく。

「ん? それは報告書? すごいじゃないか、もうそこまで終わってるなんて」
「ああー……」

いつもならば下手な謙遜をしてみせるところであるが、災藤が夜子を褒める度に、ゆるりと助角が夜子の方を向いて、にい、と笑う。

「ん? なんだい、2人して」

謙遜するな、とは言われていないが、夜子はしっかり受け答えをしなければと考えたのか、恥ずかしそうに頭を下げた。
助角の言うことは絶対だし、せっかく認められているというのにそれを否定するというのも、失礼である。

「ありがとうございます、恐縮です……」

褒められ慣れない少女はそう言って、微かに笑う。

「それにしても、最近一層仕事のペースが早くなったね?」

元々仕事は早い方だった。
けれど最近はもっと早い。ポテンシャルの高さを再確認する日々を送っているが、それにしたって迅速であった。
災藤の言葉は、褒め言葉であったのだが、夜子はそれには思い当たることがあるのか少し嬉しそうに話し始める。

「あ、それは、最近いろんな先輩方に遊んでもらえるので、お仕事は早めに終わらせておかないと、と思っていて……、今まで、手を抜いていたわけじゃないんですけど……」

彼女がここに来てすぐは、自分なんてほとんどないように、ほとんどなにも話さず、夜子、という人物が見えてこなかったが。
今となっては周りの獄卒に影響されて、少しずつ変化しているようだった。

「ふっ……」

肋角が笑うと、夜子は、両指を合わせて明後日の方向を見る。

「ま、まあ、ゆるくはやってたかなと思いはするんですけど……」

獄卒の仕事は、退屈とは言わないまでも、夜子にとってそう難しいものでもないらしく。
しかし、自分がどこまでできるのかよくわかっていない、という風だった。
災藤は、笑を深めて夜子の肩にぽん、と触れる。

「いいんだよ、そうか、なるほどね。あの子たちが君の打点を高めてくれているんだね」
「まあ、無理はするな。あいつらの遊びは少々過激だからな」

だからこそ、倒れられたら損失であるし、よく働く割にあまり欲がない彼女が無理をしないか心配であった。

「はい、ありがとうございます……」

夜子は必要な報告を済ませた為、執務室を出ていこうとするが、災藤がそれを引き止める。

「あ、夜子待って。ほら、お土産があるから一緒にどうだい?」

お土産、と聞いても真っ先に思うのは獄卒の先輩達のことらしく、まず目を輝かせたりはせずにぶんぶんと両手を振る。

「え、でも、わたしだけ先に頂くわけには」

ちらちらと視線が災藤の持つ紙袋にいくのは我慢できないようだが、それでもそのまま出ていこうとする。
その腕を災藤ががっしりと掴む。

「いいから。ほら」
「ああ、少し休憩していくといいだろう」

肋角にまでそう言われては、その言葉に甘えてもいいだろうかという気になってくる。
夜子は少し考えたが、ならばお茶を用意するべきだろうかと災藤と肋角を見上げて言った。

「じゃあ……お茶をいれてきます……?」

夜子の言葉に災藤はにこりと笑って、そっと握っていた手を離す。

「ああ。ありがとう」

夜子はぺこりと頭を下げて執務室を出る。
部屋には、肋角と災藤だけが残される。
夜子一人がいなくなっただけで、この部屋からいくつか色が抜けたような寂しさが漂う。

「夜子は、すっかり、ここでの生活にもなれたようですね」
「ああ」
「来てすぐの頃は本当に落ち着かない様子だったけれど。最近はすっかり馴染んでいろいろなことをやっているようで」
「そうだな。良い傾向じゃないか。昔の勘も徐々に取り戻しているようだ。もう少し外へ行かせる仕事を増やしてもいいかもしれないな」
「ふふ、あまり外に出しているとみんなが寂しがりますよ」
「……それもそうか」
「夜子はモテますからねえ。それに、私も最近夜子と仕事が出来なくて寂しいものだよ」
「……お前はいいだろう。実際、他の者によく羨ましがられているのを耳にするが」
「よくありませんよ。貴方は違うんですか?」
「そうだな。たしかに最近は、暇がないのかここに来て仕事を手伝うことも減った」
「そうでしょう」
「ああ」

災藤は笑う。

「寂しい?」

肋角も不敵に笑っていた。

「だから、引き止めたのだろう?」
「そうだね。だから、引き止めた」

敵の多い戦いだ。
果たして夜子の中で序列は存在するのだろうか。
今のところ、誰とよく一緒にいる、と言う話は聞かないし、態度に変化も見られない。
聞いてしまうのも面白そうではあるが、夜子はきっと応えられないで、応えられないことを申し訳なく思ったりするのだろう。
律儀なノックの音。

「お待たせしました……、? どうかしましたか?」

漂う空気が、先程と違うような気がして入室を躊躇う。
しかし、二人共が笑っているので、その変化は悪いものではないだろうと判断し、そろりと中に入っていく。入ってしまった。
お盆を片手に器用に扉を閉めて、二人に近づいた。
先に言葉を発したのは、災藤であった。

「いいや。なにもないよ。さあ、私の隣においで」

その言葉に、夜子は幾分か安心したが。

「あ、はい、失礼しま」
「夜子はこっちだ」

肋角の言葉で不安が湧き上がる。
この人たちは何を言っているのか。
彼らは向かいのソファに座って、それぞれがそれぞれの隣をぽんぽんと叩く。
夜子は絶望にも似た気持ちを抱えつつも、どうにか盆だけは机に置いた。

「え、っと」

夜子は困っているし、二人も困らせたい訳では無い。
肋角がふう、と息を吐いて、一つ。

「災藤」
「これだけは譲れないよ、管理長殿」

夜子はびくびくしながら小さく声をかける。
何故こんなことになったのか、全く分からない。

「あ、あの」
「「夜子」」

責めるようにも聞こえる声に、夜子はただただ小さくなって、ついでに声の音量も小さくなっていく。

「……す、すいません、これ、わたしは一体、どうしたら……」

困らせたい訳では無い。
肋角と災藤は顔を見合わせて、それからすぐにまた夜子に向き直る。
笑っているが、この笑顔はあまり平和的ではないような。
夜子は災藤の声にビクリと震えた。

「しかたない。コインで決めようか。すまなかったね、仕方のない管理長が」
「それがいいだろう。夜子。投げてくれ。悪かった。上司をたてない副長が」

また、二人は目を合わせて。

「俺は裏でいい」
「なら私は表を」

肋角はどこからともなくコインを一枚取り出して夜子に渡す。
夜子はどうにかそれを受け取り、じ、とコインを見下ろした。
これはもう、やるしかない。
夜子は覚悟を決めてコインを握った、この空気に身を委ねて。

「……では、いきます」

きぃん。
コインは空中で回転して。
そして、夜子は。


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20161005:こんなあからさまな逆はーを書いたのは久しぶりですね……。

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