獄都事変 | ナノ


determination(04)  




褒めることが何より大切である、と、木舌が酔っ払いながら言って、気づいたことを伝えるだけでうまくいくよ、と、佐疫は言った。本当だろうか、と、セリフを考えるために持ってきていたペンとノートを閉じる。
結果どうかと言われれば、夜子も俺の姿かたちを褒めてくれた。悪い気はしないが、彼女のものさしがどうなっているかわからなくて、突っ込んだ話もしてみた。答えてもらえなかったけれど、夜子は、俺に甘味を与えて、楽しそうに笑っていたから、ひとまず、これで良いことにした。
会ったらそう、まずは夜子について気付いたことを話して、それから手を。ん?

「あ、」
「うん? 今度はどうした?」
「もう一度やり直さないか」
「……ええと、どこから?」

夜子は笑いを堪えながら俺を見上げている。何か面白い言葉が入っていただろうか? 「手を」俺はそれだけしか言葉を発していないのに、夜子は即座に「ああ!」と手を打った。
何故そうも、すぐに分かってしまうのだろう。夜子は手を出して、「大丈夫だよ」と笑っていた。
俺はその掌に自分の手を重ねる。
夜子が、大丈夫、と笑うから、大丈夫なのだろう。やり直すのはやめておく。
やわらかく微笑む夜子を見下ろすと、形容するのが難しい気持ちが湧き上がる。抱きしめたいような気持ちを抑えながら、歩き始めた。

◆ ◆ ◆

夜子と関わるようになってから、名前も知らないような感情に戸惑うことがよくある。大抵は夜子とふたりきりになったりすることで収まるのだが、そうなったらそうなったで、それとは別の気持ちが沸き上がることもある。水槽の前にぼうっと立って、水を通り抜ける光でぼんやりと照らされた夜子を見る。
水族館が好きだ、の言葉通り、水族館が好きなのだろう。じっと水槽の中の、鮫やイカなんかをみつめている。
ほう、とも、わあとも聞こえる声をもらして、水の中で生きるものたちをみているのである。きらきらと目が輝いて、もったいないことに視線は水槽へ向かっていた。

「斬島くん、あれ」
「! どうした!」
「!?」

ふと、夜子が楽しそうにこちらを見たから、つい、握っている手に力を込めてしまった。夜子は驚いて目を見開いていたけれど、すぐにへらりと笑って俺を宥めた。

「痛い痛い、ちょっと落ち着いて……」
「む、すまない……」

力を緩めて夜子の手のひらを指でなぞった。壊れていたりはしないようだが、必要以上に赤い気がした。これは、俺が力を入れすぎてしまったからなのだろう。人間は、俺が思っているよりずっと柔らかくて壊れやすい。いつか、大怪我をさせてしまいそうで恐ろしい。いいや、そうではないか。どちらかと言うと。夜子は、俺がうっかり夜子を殺してしまったとしても、「そんなこともあるか」などと言って怒ることもなさそうな事の方が恐ろしい。

「怒らないのか」
「なんで?」
「痛かったんだろう」
「あはは、大丈夫。痛かっただけだよ」

他にはなにもない。とやはり夜子は笑っていた。俺にも悪気などないのだと、わかっているからそういう反応になるのだろうが、いまいち、掴み切れない気がしてもやもやとする。

「それでね、斬島くん。あれ」
「どれだ?」
「ほら、あそこ」
「?」
「……斬島くん、私じゃなくて水槽の右上の方、私が指さしてるあたりを見てくれますか……?」
「ああ」

言われるままに見上げるが、夜子が何を指さしているのかがわからない。

「どれを見ればいい?」
「見えづらいかな、あのあたり、」
「ん?」

夜子と同じ視点であれば見えるのかもしれない。少しかがんで名前のすぐ横に自分の顔を並べる。それから、夜子がしているように水槽を見上げる。細い光が降り注いできたから、目を細める。
瞬間、音がなくなって、時間が止まったみたいな静寂が訪れる。夜子の指の先、水の中で細かい魚が旋回している。あれがなんであるのか、俺にはわからないけれど、「綺麗だね」と夜子が言ったので、それだけでいいのだろうと頷いた。「綺麗だ」

「……」

夜子は、こういうものを、いくつも見つけていたのだろうか。これは俺にも教えてくれたが、他にもたくさんあったのだろうか。夜子の目には、一体、この水槽がどう見えているのだろうか。今度はどこを見ているのか、視線の向かうところを確認しようと横を見ると、

「!」

こっそりと、光を受けて旋回する魚とは違う。青白い光が顔の高いところでゆらめいて、これを、夜子はどう表現するのだろう。俺は、どう伝えるべきなのだろう。「夜子」と呼ぶと、ゆるりとこちらを見てくれた。ただ俺が願うのは、夜子にとっても、俺が、こんな風に見えていることだ。
俺と目が合うと、夜子は呼吸を止めて息を飲み込んだ。数秒、青い光のなかにふたりきり。

「っ、そ、それじゃあ、次、行こうか……!」

夜子はぐるりと顔を逸らして歩き出してしまった。
そこで俺も、ようやく、周囲の音が聞こえはじめる。そうだった。ここは水族館で、人前で。こういうところでくっついたりするのは嫌なのだと、夜子はそう言っていた。
俺は夜子を追いかけて隣に立つ。瞬間的に湧き上がったいくつもの聞いてみたいことを、順番に言葉にしていこう。夜子はどうやって答えるだろうか。あるいは、うまくはぐらかされてしまうのかもしれない。
それならそれでもいい。だから、まずは。


-----------------------
20180824:水族館行きたい!!!!!!

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -