獄都事変 | ナノ


一輪の花を君へ05 / 木舌  




キリカもあやこもまだ特務室に来ていない。
木舌は食堂でゆっくりと酒を飲んでいたのだが、ふと廊下に最近話題の1人の獄卒が通りかかる。
彼女はまっすぐに歩いていてこちらに気づいていなかったが、「夜子!」と名前を呼ぶと、彼女はぴたりと足を止めて、木舌の方へと歩いて行った。

「お疲れ様です。木舌先輩」

夜子は深々と頭を下げるとそれだけ言った。
わざわざそんなのいいのに、とは思うものの、それを利用しないとは言っていない。夜子が他の獄卒を決してないがしろにしないことをいいことに、だらりと酒瓶を抱えたまま、夜子を見上げて願い事をひとつ。

「夜子〜ちょうどいいところに来たねえ。おつまみ作ってよ〜」

その願い事はあまりにさらりと叶えてもらえることになる。

「いいですよ。どんなのがいいですか?」

夜子は料理をするのならばと制服の上着のボタンを外し始めて、さらりと白いシャツ姿になる。
上着は椅子にかけて、木舌の頼みを聞くことになんの疑問も抱かないようだ。そうと決まれば準備は迅速で、これだけで、夜子はきっと仕事ができる女性なのだろうと想像できてしまう。
木舌はにこりと笑いながら言う。

「この間の出し巻き卵がいいなあ」

夜子も、はじめておつまみを頼まれた時はもう少し困った風で、「なにを作ったらいいでしょうか……?」なんて不安そうにしていたが、そんな夜子が作った料理はとてもおいしくて、おいしいおいしいと食べたら、夜子はほっとしたように息を吐いて、ほわりと花が咲くみたいに笑ったのだった。
木舌の言葉に、夜子は一度こくりとうなずいて。

「わかりました」

と、背を向ける。
夜子の背を見て、思わず。

「あ」

木舌から声が漏れだす。
一体どの感情から来る声だろうか。一瞬わからなかったが、すぐにその声の奥の奥にあったものの正体に気づいて恥ずかしくなる。
恥ずかしくなっている場合ではないのだけれど。

「え?」

夜子も当然木舌の声に気づいて振り返る。
まっすぐな目が木舌を見つめて、木舌は「ああ、飲んでいて良かった」と思う。アルコールが入っているから、頬が多少赤くたって、酒のせいにしてしまえる。
普段はなかなか言うことができない言葉を言ってしまえる。
都合が悪くなったら忘れてしまったことに。

「ううん。えーっと、作ったら一緒にお酒を飲もうよ」

そう、思うのに。
いざ夜子を前にするとうまくいかなかった。
そんなことが言いたかったわけではない。
ただ、去っていく背中に寂しさを感じて、もしかしたら、彼女は出し巻き卵を作ったらさっさとどこかへ行ってしまうんじゃないかと思って、どうにか、次につながる約束をとりつけようとする。

「すいません、お誘いは嬉しいんですけど、もう少ししたらお仕事行かないと」

うまくいかないものだ。

「あ、そうなの」
「ぱぱっと作ってきますね」
「ま、待って!」
「? たまごのほかにもなにかあったほうがいいですか? あ、でも、時間があまりないので凝ったものは……」
「そうじゃなくて、えーっと。やっぱりいいや。もったいないから、残りの時間はここでおれと2人でなにか話そう!」

夜子は、きょとんとして木舌に問う。

「いいんですか? 出し巻き卵くらいなら作っても話す時間はありますよ」
「うん。いいよ」
「本当ですか?」

念を押す。
そう念を押されては考えてしまう。
夜子の手料理は貴重だし、キリカに勝るとも劣らないくらいにおいしいものを作ってくれる。

「……うん」

今は話をしたい、気持ちも強いが。

「……」

いつだか作ってもらっただし巻き玉子を想像すると、ほわりと匂いまでする気がした。
急にお腹が減ってくる、その湧き上がる感情を押し殺せずにぽつり、と。

「うー、ん……。でも、食べたいなあ……」

夜子は少しだけ笑って調理場へ向かう。

「待っててください」

あーあ、行ってしまった。
そう思うのに、やはり嬉しい気持ちもあるのである。ところでここには夜子がさっきまで着ていた上着が置いてあるわけだが。

「……いやいやそんな、ねえ」

まさか抱えて匂いを嗅いだりはできなくても(夜子はたぶん、気づかなかったふりをしてくれるだろうが、バレるには決まっている)、少し触れるくらいなら。
夜子の制服にさらりと触れる。
自分のものと同じ材質のはずなのに、少し柔らかいような気がした。

「夜子を、守ってあげてほしいな……」

こんな布切れに頼むのは違う気がしたが、それでも頼まずにはいられなかった。
夜子の制服から手を離して再び酒を注ぎ、楽しんでいると、夜子がこちらに戻ってくる。

「お待たせしました」

ことり、と目の前に置かれたのはリクエスト通り、想像通りのだしまきたまごで、ふわふわとした見た目とできたての香りに、木舌は嬉しそうに笑っていた。

「やった! 美味しそう! いただきます」

どうぞ、と夜子は笑って、木舌に箸を差し出す。
柔らかく微笑む夜子にどきりとするが、そのあとすぐにはっと我に返って、夜子の座る場所を指定する。
隣の椅子をぐっと引くと、夜子はお礼を言いながらストンと椅子に腰を落とした。
その様子に満足気な木舌は、安心してだし巻き玉子を1口食べる。

「美味しいなあ。夜子って本当に、なんでもできるよねえ」

それは確証のある言葉だし、今は戦えることもわかっているのに。

「わたしなんて、なにもできませんよ」

夜子は困ったようにそう言うのである。

「またまたあ、そんなこと言って、斬島にすっごいおいしそうなおにぎり差し入れてたりとか、佐疫の制服のボタンちゃちゃっと付けてるところも見たし、平腹と一緒に部屋の掃除もしてたじゃないか」

褒められるのが嫌、という訳では無いが、ただ反応に困っているようだった。

「……大したことじゃありませんよ。私なんかまだまだです」

頑なにそう言い張る彼女に、最近一番気になっている疑問をぶつてみる。

「だから最近谷裂と一緒に筋トレとかしてるんだ?」

いつどんなふうに捕まって、どんなやりとりがあったのか、それを知るものは少ない。

「ああー、それはまあ、とても自然な成り行きで世話を焼いてくださっているんですよ……」
「ふーん? どんな成り行きだろう。気になるなあ。田噛は知ってるみたいなんだけど、面倒くさがって教えてくれないんだよ」
「それこそ大した成り行きじゃないですよ?」
「それでも、聞きたいなあ」

きっと夜子は話してくれるだろう。
少し考えた後に話し始める。谷裂と手合わせしたこと、田噛に助けられたこと。
その後は、筋トレに誘われたりもっと食えと世話を焼かれたり。確かに不自然な点は見当たらなくて、彼女の表現は適切であった。

「というわけですね」
「いきなり食事を一緒に食べだしたりして何事かと思ったら、そういうこと」
「そういうことです」
「ほんっと、誰とでも仲良くなっちゃうなあ……」
「はは、皆さん良い方なので、本当にありがたいです。木舌先輩も、いつもありがとうございます」

座りながらも姿勢を正して、木舌に微笑み頭を下げた。
線があって、そこを飛び越えたいと思うのに、その先にいる彼女は自由で、邪魔をしたくないとも思う。
なんでもいうことを聞いて、気が弱そうでおとなしい、そんなことはない、噂はともかく、彼女は強い。
そして、その強さはとても、鋭くて綺麗だ。
近づくと見えるその刃が。

「これだからなあ。ほんと困るよ」
「? すいません」
「ねえ、夜子はさ」

気づいているだろうか。
それとも、気づかないフリをしているのだろうか。

「はい」

いつか知らない間に、もしかしたら、誰かに。

「夜子には、」

一番好き、がいるのかな。
そんな言葉は、当然のように邪魔が入って掻き消される。

「あーーー! 何!? 何食ってんの!!? もしかして夜子が作ったやつ!? オレも食う!」

ひょっこりと現れた平腹に、夜子の肩の力が、ほんの少しだけ抜けるのがわかった。
ああ、これは、聞きたいことがわかっていたな。木舌は思うが、今は新しく来訪してきたこの獄卒に、大事なおつまみを、取られないようにしなければと立ち上がる。

「あ、駄目だよ平腹。これはおれが作ってもらったんだから」
「知らね!」

そうなのか、という言葉も、えー、という抗議の声もなく。
だし巻き玉子は1切れ平腹にさらわれて行った。

「あー!! 駄目って言ったのに!」
「うまい!!」
「なにが美味いんだ?」
「うわ、斬島まで!」

ここで二人目がくるあたり、もしかして今日は運がいいと見せかけて良くないのではと思い始める。
夜子は笑っているが、斬島もだし巻き玉子を狙っていた。

「これは、俺ももらってもいいんだろうか……?」
「良かったらどうぞ」
「あ、ちょっと、夜子!? これは夜子がおれのために作ってくれたものでしょ!!」
「もういっこもらい!」
「こら!」
「俺も頂こう」
「もー!!」

すっかり騒がしくなってしまった。
夜子は徐に立ち上がり、食堂から出て行ってしまうようだ。
先程言っていた、仕事に向かうのだろう。

「じゃあ、私は行きますね」

ぺこりと頭を下げると、平腹は手をぶんぶんと振って。負けじと全員が声をかける。

「おう! 気をつけてな!」
「怪我しないでね!」
「何かあれば、すぐに俺を呼んでくれ」

夜子はやんわりと、ただただやわらかく笑っていた。

「ありがとうございます。行ってきます」

幸せそうな笑顔と、頼りになる背中を見送って、木舌はこっそり、最後の一欠片を口に入れた。


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20161005:きゃー、酒飲みたーい

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