獄都事変 | ナノ


「おやすみ」/谷裂  




これはそれから、しばらくの時間が経ったある夜のことだ。
視線が痛い、とは、不特定多数の視線を受けての言葉であると思っていたが、たったひとりからの視線だって十分に獄卒を憔悴させる力を持っているようだと、私はひとつ賢くなった。

「夜子? 谷裂、すっごい見てるけど、声かけてあげなくていいの?」

佐疫がこそりとそんなことを言うが、その間も視線が痛くて体に穴が開きそうだった。身体中を掻きむしったとしても、足らないくらいに痒い。

「声? なんて?」
「普通に、どうしたのでいいんじゃないかな?」
「……じゃあちょっとやってみるけど」

そんな一言で解決するような問題なら、私はわざわざ視線の痛みで倒れる必要も無いのである。事態はいかに深刻か、この際だから佐疫にわかってもらおう。

「谷裂、どうかした?」
「……」

谷裂はじっと私を見下ろして、それからゆっくりと目をそらした。「どうもしないが」どうもしないらしい。私はそのまま谷裂を指さして佐疫を見る。佐疫は疲れきったみたいに笑いながら「ははは」なんてこれまた乾き切った笑い声を出していた。
谷裂はまあ置いておくとして、佐疫の隣に戻って肩をすくめる。聞いてきたが、相変わらず視線が痛い。なんなら少し強くなった気がする。

「ね?」

私の声に佐疫はがっくりと肩を落とした。「確かにあれじゃあ仕方ないかもだけど……」私も深く息を吐き出す。「挨拶は三日に一回くらいはするんだけどね」「それでも三日に一回なんだね」佐疫は私と谷裂を、仲良くさせたいみたいだったが、私はともかく谷裂の方が何も喋らないので必要以上に仲良くなれたりはしない。
佐疫はうーん、と腕組みして、そのうち私を谷裂の方へ突き飛ばした「夜子ごめん!」どうしてそうなる。

「っ、!?」

私の体が床にも壁にもぶつからなかったのは谷裂が支えてくれたからであるのだが、谷裂はなかなか私の体を離してはくれなかった。「ありがとう、谷裂」「……」「谷裂?」「……」「もしもーし! 谷裂くん!?」谷裂は無言のまま私を離して、そのまま何も言わずに立ちすくんでいた。

「谷裂? ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だ」

声は裏返っていた。大丈夫ではなさそうだ。もう一度、(私のせいではないけど)「ごめんね?」と告げる。「いや」とどうにかこうにか声に出す谷裂はなんだかいっぱいいっぱいという様子で、私と目を合わせたり逸らしたり忙しそうにしているのだった。

「夜子」
「うん?」

谷裂は、意を決したように、しかしあまり必死にならないように務めていつもの調子で言った。

「おやすみ」
「んん!? うん、おやすみ……?」

谷裂は言いながら歩いていたので、私は通り過ぎて行った谷裂を振り返ってそう返しておいた。鍛えられた背中が遠ざかっていく。なんだったんだ。見ていた佐疫は泣いている。

「まあ、いいか?」

ほかの獄卒には普通に挨拶しているような気がするけれど、どうも彼にとって私はやりずらい相手であるらしい。まあ、嫌われているわけではなさそうだから、うん。もう少し意思の疎通ができる日が、そのうちきっと来るのだろう。


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201712:寒い

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