獄都事変 | ナノ


一輪の花を君に03 / 平腹  




その背中はここにいる獄卒の中で一番小さいのではないだろうか。
平腹は迷うことなく名前を呼ぶ。

「お! 夜子!!」

夜子はさして驚いた様子もなくゆっくりと振り返り、すぐ後ろに来ていた平腹を見上げた。
平腹は何故かこの一連の所作に違和感を感じるが、その中身までは分からなかった。
少し、首を傾げる。

「ああ、おはようございます。平腹先輩」
「おはよー! どっか行くのか?」
「そうですね、ちょっと事務用品の買い足しに」

深く考えてはいないであろうが、次に彼が言う言葉は、快く思われていなければ出てこない。

「へー! オレも行く!」

今度は夜子が、微かに首をかしげて見せた。
どうするべきか、考える時間はあまり与えられなかった。

「ん?」
「オレも行く!!」
「……え?」
「ちょっとそこで待ってろよ! すぐ、」

一緒に行くのが嫌な訳ではない。
少しだけ、思っていた買い出しとは違うものにはなってしまうだろうが、まあ平腹が付いてくることによって困ることもさほどない。しかし、夜子には平腹を止めなければいけない理由があった。

「わー! 先輩こそちょっと待って下さい!!」

ぱし、と、平腹の手首を掴んでどうにか制止させた後、少し廊下を引きずられる。

「ほ? なんだよー」

ヘタをすればそのまま引きずられ続けたところだろうが、そんな大惨事は起こらなかった。
平腹は程なく立ち止まってくるりと後ろを振り向いた。

「たしか平腹先輩は、この後田噛先輩とお仕事では?」

肋角と災藤が話しているのを聞いていた。
その情報は確かなはずである。

「ん? んー?? そうか? そう、んー、あ! そうだった! 夜子よく知ってんなー」
「たまたまですよ。それより、なにか欲しいものがあったのなら買ってきますけど」
「えー、オレ、夜子と出掛けたかっただけだからなー」
「……」

真っ直ぐ、と言うよりは、鉛玉をストレートで投げられたような衝撃が脳を揺らす。
がつんと響いた言葉にこっそりと頭を抱えながら、最近どうにも、こういうことが多いなあと夜子は息を吐いた。

「明日は?」
「え、なんですか?」
「明日なら夜子と遊べる?」

今日が無理なら明日、と言うのはまあよくある思考である。
夜子は困ったように笑ってみせる。
遊ぶのが嫌だとか面倒であるという種類の笑顔ではない。
自分は、平腹の要望に応えることが出来ない為、どう断ったものかと言葉に詰まる。
断ることは決まっているがワンクッション置いて、そのあいだに使える言葉を探していく。

「明日、ですか」
「遊ぼうぜ!!」
「明日は、ちょっと……」
「ダメかー」

平腹も、夜子の返事の歯切れの悪さにしゅんと意味もなく突き上げていた両手を下げてそう言った。
良い時は二つ返事で良いという夜子が言葉に詰まると言うだけで、それは、平腹にすらわかる否定の行動となっていたらしい。

「そうですね。谷裂先輩と鍛錬をする約束をしてしまいましたので……」

なにか予定があるのなら仕方ない、そんなふうに諦められたら良かったが、残念ながら、先約の名前を聞いて、引き下がる気がなくなってくる。
あげる声には、不満がありありと含まれている。

「えーー!? 谷裂かよー!!」

夜子の体はひとつであり、先着順と言う言葉がある。
夜子はそれに則り谷裂との約束を果たすのである。
ちなみに、図書室でうたた寝をしている所で掴まり、この約束を取り付けられた。なんとも不覚ではあるものの、納得の捕まり方であるとも言える。

「谷裂先輩ですね」
「じゃーオレ谷裂に話つけてくる!」
「あー、いえ、一緒に遊んでいただくのは、また今度と言うことで……、それに平腹先輩は、明日もお仕事では?」
「あー! そうだったかもなー!!」
「田噛先輩に怒られちゃいますよ」
「夜子もな!」
「な、なぜ私が平腹先輩と怒られなきゃならんのですか……」
「ノリだろ!」
「確かにそれはノリでしかない……」
「じゃー行ってくる! すぐ帰ってくるかんな! そしたら遊ぶぞー!」
「あ、今日ですか……。じゃあ早めに帰ってきてください……。お気を付けて、平腹先輩」

廊下で、別々の方向へ曲がり、平腹は、階段を降りて行った。
はずだが。
後方から騒がしい足音。
何か忘れ物だろうか。この足音はわかりやすい。さっきも、声をかけられる前から平腹が後ろにいることはわかっていた。
今度はこちらから振り返る。

「どうかしましたか、平腹せん、」

視界を覆われる、深い緑。
ちらりと、楽しそうな黄色の光。
夜子に、平腹の力を正面から受け止める力はなく、そのまま廊下に背中を打つ。
地味に痛いが、地味にで済んでいるあたり、平腹も加減しているのだとわかる。

「痛いです、それから重い……、なにか忘れ物ですか?」
「まただ!」
「また?」
「やっぱり、見る前からオレがわかんだなー、夜子スゲー!!」
「ああ、そんなことですか、それは、」
「それってさあ! 愛ってやつだろ!」
「……い、いや、まあ、平腹先輩のことは嫌いじゃないですけど、そんな大層なものでは、」
「好き?」
「えっと?」
「オレは夜子のこと好き!」
「あー、いや、わたしは、いだだだだ、痛いです痛いです、ちょっと力緩めて下さい肋骨あたりがみしみし言ってるので、あのほんとに、」
「夜子は?」

脅しだ。

「好きですよ、先輩方のこと」
「マジで!? よっしゃー! じゃあオレ行ってくる!! いってきます!!」
「いってらっしゃい……お気を付けて……」
「おー!」

先輩方、のあたりの言葉が届いていたかはいささか謎ではあるものの、とにかくこれで自由にはなった。
谷裂との鍛錬をまえに体を壊されなくて一安心だ。
が、また声がする。
今度は外からだ。
応えないと、きっと田噛に迷惑がかかるであろうし、また階段を走って上ってくる可能性もある。
夜子は近くの窓まで行ってひらひらと手を振った。
念のため見えなくなるまで見送って、それからようやく、この廊下を抜けたのであった。


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20161004:逆はーは昔から美味しくて好き。

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