その日、目的の場所には既に夜子が待っていた。
「おはようございます、佐疫先輩」
夜子は軍帽をばさりととって頭を下げる。
優等生、なんて言われている佐疫ではあるが、こういう対応のされ方には慣れていない。
思わず苦笑が漏れるが、夜子は気にせず軍帽をかぶり直していた。
「おはよう。ごめんね、待たせちゃったかな」
「とんでもない! 先輩を待たせずに済んだみたいで何よりで……あ。本日はお仕事ご一緒できて嬉しいです。よろしくお願い致します」
佐伯に嫌味なく言われて、ぶんぶんと両手を振るが、待ち合わせ時間より大分早く来た、という点に
ついて、夜子自身あまり思うところはないようである。
彼女は、やりたくてそうしているのだろう。
こちらに礼儀を尽くしているように見えるのに、何故か窮屈そうではない。大人しくて気が弱そうに見えるのに、誰よりも好きなことをしているような、これが、佐疫が持つ夜子への印象だった。
「そんなのいいのに。じゃあ、行こうか」
「はい!」
夜子は笑って、佐疫の隣に並んだ。
「ところで、早速なんだけどね、夜子」
見上げる夜子の目は真っ直ぐで、いろんな同僚を思い出す。
こうしてみると、意志の強さは感じられるが、なんてことない、普通の少女だった。
少しだけ顔を寄せて、そっと聞いてみる。
「あの、噂って」
夜子は少しげんなりした様子で肩を落とした。
「あー……わたしが強いとか強くないとかって噂ですか」
「まあ、噂ではかなり強いって話だけしか聞かないけど」
たった1人で戦って帰ってきた夜。
斬島が彼女を推した理由。
一度聞いてみたことがあるが「……適任だと思ったからだ」と、申しわけなさそうにそれだけ言った。
噂のことはとにかく、谷裂に追い回されていることに関して、罪悪感を感じているようだった。
「…………がっかりさせたらすいません、あ、あとちょっと騒がしくしてることも申し訳ないと思ってますのでどうか、お許しを……」
夜子はまだ、谷裂とどう向き合うか悩んでいるらしかった。
斬島や、佐疫が「一言言おうか」と言っても、「大丈夫です、ありがとうございます」と笑っていた。
「別に怒ってなんかいないよ?」
「それでも、すいません」
噂は噂。
斬島も夜子が黙っているからかほかの獄卒に夜子について何も話そうとしない。
「強いのか」と聞かれれば、ただ「ああ」とだけ言っていたのを知っている。
けれど、なんとなくだが、こうして一緒にいると夜子がただ大人しくて気が弱そうな女子ではないことがわかる。
彼女はここ最近毎日のように谷裂に追いかけられている。それは食事の時も夜遅い時もある。けれど、谷裂に捕まっているところはまだみたことがない。
仕事の行きも帰りも谷裂に見つからないように、食事の時も眠る時間さえも、谷裂に捕まらない時間を選んでいるらしかった。
日に日に、谷裂もいらいらしているし、もしかしたら、狙いはそこにあるのかもしれない。
こそこそ逃げ回るような奴で、戦う勇気も無いのだと、そう思わせたくてやっているのかもしれなかった。
だが、それに関しては完全に逆効果となっていて。
佐疫は、夜子に「大丈夫」と言われはしたが一言谷裂に、「やめてあげようよ」と注意したことがある。
その時の谷裂は酷くイライラしてはいたが想像していたよりもずっと冷静で、驚いたのを覚えている。
谷裂は言った。
「……あれは、少なくとも俺達にはない才能だ」
そうは思わないか、と彼は言って。
「最も……、なんの言葉もなくこそこそ逃げ回るのは気に入らんがな」
谷裂は金棒を担いで鬼気迫る顔で日夜夜子を追い回しているが、彼にとってはすっかり、それすらも鍛錬になっているらしかった。
言われてみれば闇雲に館内を歩き回り名前を叫んでいるところを見かけなくなった。
ここ最近は静かに歩いて(けれど相変わらず金棒は担いでいるし殺気は隠せているとは言い難い)、聞き込みをしたりしている。
「……夜子は、忍者みたいだね」
夜子は、へらりと笑ってその言葉を肯定する。
「そう、ですねえ。イメージはそれで大体間違ってませんよ」
「そっか。かっこいいね」
「わたしは、そんなことは……」
「あ、よく知らないのにイメージだけでそんなこと言われるのは困るかな?」
夜子は慌てて、手を振ったり頭を下げたり忙しそうだ。
「いえ、そんな! お褒めいただき光栄です! 今日はがんばります! ありがとうございます!」
その様子が面白くて佐疫はいつも以上に自然に微笑んで言う。
「うん。頑張ろう」
夜子はあまりに綺麗な笑顔に思わずドキリとするが、ただただ感心した様子で息を吐く。
きらきらとした尊敬の眼差しが、佐疫に向かう。
「書類仕事をしていてもそうですが、佐疫先輩とのお仕事は安心感が違いますね……」
「ふふ、そうかな? 俺も夜子が一緒だと心強いよ」
夜子は、きらきらした目を一瞬でしまって、ぐっと身を引き、胸のあたりで拳を握りしめて、困ったように覚悟を決めた。
「死ぬ気で頑張ります……」
「俺達は死なないけどね」
佐疫はやはり笑っていて、夜子はバツが悪そうに視線を逸らしていた。
「もうそろそろ、目的の場所だね」
「はい。佐疫先輩はガンガンわたしを囮に使って下さい」
「大丈夫、夜子のことも守るから」
「……言われ慣れないせいでいちいちときめいてしょうがないのでちょっと抑えてもらっても……」
「え? ときめくって、夜子が俺に? それは嬉しいなあ」
「ぐ……いや、まあ冗談はともかく、そろそろ行きましょう」
「そうだね。この話は帰ったらゆっくりしよう」
「……(これ以上何を話すことが……?)」
守ると言われても、夜子は当然のように佐疫の前に出て歩き出す。
彼女は、守る、なんて大それたことを口にこそ出さなかったが、暗に、いざとなっなら自分を囮に逃げろと言ったのだろう。
気を張る彼女は、一体どれだけのことを想像しているのだろうか。
なんにせよ、彼女の強さについては、この任務できっとわかる。
「……来ますよ、佐疫さん」
佐疫はガチャリと、外套から銃を取り出して返事とする。
いつでもいい。
いつもと同じ亡者を捕らえる仕事のはずが、どうしてか、まるで親友に背中を預けている時のような安心感がある。
「……」
少し違うような気もしたが、なんにせよ、このあともう少し彼女と仲良くなったなら、きっとわかるような気がしていた。
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20161003:もう意味分かんない、獄都沼...