獄都事変 | ナノ


一輪の花を君へ17 / 谷裂  




斬島が出ていってしばらく。
カチカチと時計の音だけがしていたけれど、何がそんなに重かったのかようやく谷裂が口を開いた。

「……気分はどうだ」
「大分良いですよ。ありがとうございます」
「そうか」
「はい」
「……」
「……」
「…………」
「…………えっと、谷裂先輩」
「なんだ」
「大分調子もいいので、無理に見ていて頂かなくても平気です、よ……?」
「気にするな」
「いえ、その、気にしている、と言うかその、だって先輩は、鍛錬とか鍛錬とか、鍛錬とか……」
「気にするなと言っている」
「あ、はい」

夜子は、ありがとうございます、と頭を下げる。
谷裂はそれを見てふん、と鼻を鳴らして視線を逸らした。
しかしほどなくまた、紫の双眸は夜子の方を向く。
じっと見据えて途切れない。
谷裂には、何か言いたいことがあるのだろう。薄く口を開いて、閉じて、それはぎゅ、と真っ直ぐに結ばれる。

「夜子」
「はい」
「……」

名前を呼んで、ぐ、と口を真一文字に結んでいる。
夜子はじっと谷裂の言葉を待っていた。
しかし谷裂はどうにもうまく言葉が出ないようで、何度かこのやりとりを繰り返す。谷裂が夜子を呼んで、夜子は返事をしてからじっと待つ。
四度ほど繰り返したところだろうか。

「無理をさせた、か」

谷裂という獄卒に似合わず小さな小さな、蚊の鳴くような声であったが、言葉は確かに夜子に届いた。
夜子は慌てて首を振る。

「そんなこと!! 体調管理の一つもできないわたしが……っ」

ぐら、と視界が揺れる。
良くなったからと言って思い切り頭を振ったら少し吐き気がこみあげてきた。
両手で胸のあたりを押さえる夜子に、谷裂はがたりと立ち上がって勢いのまま声をかける。窓カラスをも震わせる音量だった。

「大丈夫か!!?」
「だっ(いじょうぶです)」
「吐くのか!? 桶か!!?」
「い(やあの、声が…)」
「なんだ!!? はっきりしろ!」
「っ……」

慣れないことが重なって、谷裂も動揺しているらしかった。
谷裂の声の余韻が頭にガンガンと残る。
夜子は胸を押さえていた手で谷崎の口のあたりを覆う。ちょっと黙ってくれ、とは言わなかったが、それで伝わったらしい。谷裂ははっとし、乗り出していた体を椅子に落ち着けて、目を閉じる。
夜子がもういいかと手を離せば、ふう、と一つ息を吐いた。

「すまん」
「いえ……えーっと、何の話でしたかね……。あ、そうか、ありがとうございます、谷裂先輩」
「は?」
「心配していただいて、それから、看病に来て下さって、ありがとうございます」

ゆるゆると夜子は笑って。

「タイミングがタイミングだったので気にされているみたいですけど、ただ体調管理が出来ていなかっただけなので、谷裂先輩が気にするようなことはひとつもありませんよ」
「……」
「私ならもう大丈夫なんです。こんなに心配されたら、今にも死ぬんじゃないかってくらい」
「……お前は」

谷裂は尚も難しい顔をして夜子をじっと見る。
夜子は居づらそうに曖昧に笑って、未だにずきずきと余韻の残る痛みを押さえ付けていた。
心配されるのも看病されるのも、まして厳しくトレーニングしてもらって謝られるなんて慣れないにも程がある。
そっと、徐に、谷裂の腕がこちらへ伸びて、目の下あたりに指が置かれた。
そのまま奥へ滑って、谷裂の右手のひらは夜子の頬を包み込んだ。
自分よりも柔らかくて暖かいが、夜子から時折感じるのは、まるで生者のような感情の機微。

「……獄卒になって日が浅いから、か?」
「え?」
「いや。なんでもない。俺たちは死なん。だから余計な心配をするな」

夜子が幾分か安心したように力を抜いて微笑むと、谷裂ははっとして夜子の頬から手を離した。
一人で慌てて目をそらすが、夜子はふと自分の腕に視線を落とした。
寝てばかりいるせいで筋肉が落ちて細くなってしまっている。なるほど、数日運動をしなかっただけでこんなにも体が衰えるのか。
さすがに、元気になってもこの有様じゃあほかの獄卒に迷惑をかけてしまうかもしれない。
もうそこまで体調も悪くは無い、軽い仕事くらいならばこなしに出かけなければ戦えなくなってしまいそうだった。

「キリカさんとかあやこさんの仕事のお手伝いをさせてもらえないか聞いてきましょうか……」
「……なに?」

料理を作ったり洗濯をしたりならばほかの獄卒に心配をかけることは無い。
元々の仕事もキリカとあやこがいるのだから、夜子の体調をみて調整をするのも容易であろう。
夜子は良い案だと考えていたが、谷裂は眉間にシワを寄せて睨むように夜子を見た。
その表情が意味するところはすぐにわかる。夜子の提案を、谷裂は快く思っていない。夜子はすぐに、谷裂を納得させられるような理由を探す。

「いえ、ちょっと、動かなすぎて体が……」
「ダメだ」
「ですがもうそろそろ……」
「ダメだと言っている」
「……ダメですか?」
「ああ」

さっさと働け、と言われた方がいっそ楽だ。
が、谷裂を納得させるための魔法の固有名詞を思い出す。
そっと俯いて、心の内でその人を利用しているとばれないようにそっと呟く。

「肋角さんも困ってるんじゃないかと……何かあった時に私もすぐ動けるようにしておきたいなと思ったんですが……」
「……」
「……?」

あれ。
と、夜子は思う。しおらしく計算高く言葉を選んだ。この言葉なら今までと違う反応が貰えることを期待したのだけれど、確かに期待に違わず今までとは違う反応であるのだけれど、俯いていた顔をあげてちらりと谷裂を見ると、今度は谷裂が少し視線を落として俯いていた。

「やはり、肋角さんか」
「?」

その言葉の真意は、谷裂にしかわからず。
寂しそうな力のない声でありながら、安堵したような優しい響きを持って夜子に届く。
谷裂は立ち上がって言う。

「どのみち俺の一存では決められん。肋角さんに話してきてやる」
「あ、ありがとうございます……」

悪いことをしたのかもしれない。
谷裂がこちらから背を向けて扉の外に消えるのをじっと見ていたが、何を謝るべきなのかはとうとうわからなかった。


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20161216:ごくとじへんは、いいゾ

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