獄都事変 | ナノ


一輪の花を君へ16 / 斬島  




夜子はどうやらぐっすりと眠れたようで、少しだけ顔色も良くなっていた。
調子も悪くは無いようだ。

「……あんなに寝たのは、久しぶりかも知れません……」

嬉しそうに笑う夜子。
斬島は、それはとてもいい事で、それはよかったと思うだけでいいのに、素直にそう思えず、かわりに喉の奥の方がちくちくと痛むのを感じていた。
夜子の風邪を貰ってしまっただろうかと思うが、夜子の風邪に、喉の痛みはないようだ。
それに、この痛み方は違う気もした。

「そうか」

どうにかそれだけ絞り出して、そっと喉に触れた。
少し、息苦しいような気もする。

「寝たり休んだりに関しては田噛先輩の右に出るものはいませんね……」
「そうだな……」

自分も、なにかできないだろうか。
斬島はそっと夜子を見つめる。
いつもとあまり変わらない様子で笑っていた。

「もう、軽い仕事ならできますよ」

そんなことを言うが、そんなことをさせられるわけがない。
こんなに大事で大切できれいなものが、この上怪我なんてしようものなら。考えただけで胸が痛む。

「ダメだ」

その回答は予測していたらしい。

「ダメですか」

夜子はへらりとゆるく笑って窓の方を見た。
今日はいい天気だ。
斬島は、この息苦しさはこの部屋が閉め切られているせいかもと考え至り、窓に近寄る。

「開けてもいいか」
「はい。ありがとうございます」

がちゃりと窓を開けると、少し冷たい風が吹き込む。
息苦しさは少しだけ収まった。

「斬島先輩」
「どうした?」
「昨日、私が行くはずだった仕事、先輩が行って下さったんですよね? ありがとうございます」
「そんなことか。別に構わない」
「……、それでも、ありがとうございます……。ご迷惑おかけしました」
「……」
「……斬島先輩?」

夜子は、首をかしげて斬島の方へ手を伸ばす。
斬島は、夜子の指先が触れる少し前に真剣な顔で口を開く。
深い鮮やかな青色が、微動だにしない。

「やっぱり、夜子は綺麗だな」
「うぐ」

空気が喉に詰まる。
肋角に聞いた話を思い出して、どう答えるか迷っていると、斬島はその青い瞳を細めて言う。

「綺麗だ」
「……」

照れるしか選択肢はない。
布団を頭まで被って、視界から消える。
「寒かったか?」と呑気に言う斬島に、夜子は、「照れただけですよ」と応えた。
あんなに真っ直ぐな目で綺麗だと言われて、照れないものなどきっといない。
このひとの両目は、いや、このひとだけじゃない。焼けそうに熱い感情を向けて真っ直ぐにこちらを見る両目は、全て凶器のようだった。

「照れる?」
「綺麗でいよう、と思ってはいるのでそう言っていただけるのは嬉しいんですけど、そう直球だと照れますよ」
「嫌だったか」
「そんなことは絶対にないです……」
「それなら、なんだ?」

素直に喜んでもいいかどうかについては、少し考えたが、「綺麗」という言葉は、どう考えても褒め言葉であった。
深く考えるのはやめておくべきだ。
斬島相手では、藪蛇になりかねない。
けれど、なにか引っかかる。
今の言葉、聞き覚えがあるような気がする。
夜子は、少し考えた後。

「綺麗には、程遠いと思いますよ…」

さらりと風が吹いて、空気が澄んでいく。
そこにいるものの声音さえも、透き通っていくようだった。

「でも、ありがとうございます」
「……一言、余計なんじゃないか?」
「すいません」

けれど、最近は少しずつ、もらった言葉をそのまま受け取ることもできるようになった。
斬島にもそれが見えていた為、それ以上何かを言うことはなかった。
夜子は顔に集まった温度が分散をはじめたのを感じて掛け布団を元の位置に戻す。相変わらず真っ直ぐな目に見つめられていたが、あまり気にしないようにした。
夜子は窓の外を見る。
雲がなくって、ぼんやり青い。綺麗な空だ。
きっと「この世」もこんな空なのだろう。
こちらに来てから、風景を綺麗だとよく思う。ふらふらと歩く散歩は楽しくて仕方がない。きっと人間だった時は、そういうことができていない。

「はやく、動けるようになりたいですね……」
「……しばらく、休んでいればいい」
「もう十分ですよ」
「完全に治るまでダメだ」

斬島は頑なで、おそらくほかの誰に言ってもこう返されるのだろうなと想像すると、どうにも胸の奥の血管が縮むような感覚だ。
ありがたいと思う、嬉しいと思う、申し訳ないと思う、そして、怖いと思う。
体を壊すなんてただの失態なのに。責めてくれたらいいのに。

「……明日からは、館の中の仕事から復帰させてもらえるように頼んでみますね」
「何故」

夜子はそっと笑って目を閉じる。

「いたたまれないからですよ、私はもらってばかりです」

斬島の目は揺るがない。

「俺は、俺がしたいからこうして夜子の傍にいる」

いつでも、かちり、と目が合うのである。

「いつもの夜子はそうじゃないのか」

綺麗なのは、どっちだか。
夜子はふ、と肩から力が抜けるのを感じる。
腹のあたりの圧迫感も消え去った。

「いいえ、わたしも」

やりたいからやっている。笑って欲しくて役に立ちたくてやっている。

「わたし、みなさんが大好きなんです」

さらり、とカーテンが揺れて、心がすっと軽くなる。

「ああ。知っている」

そう言った斬島の瞳はゆらりと揺れて。
それを夜子には見せたくないと言うように、そっと夜子の目のあたりに手を置いた。

「…………だが、俺は」

そっと夜子の視界が晴れる。
青い瞳はまたまっすぐと夜子を見据えて、ゆっくり大切なものを渡すように口を開く。
がちゃり。
斬島も夜子も、音と共に扉の方を見る。
見慣れた坊主頭の獄卒は、いつものように難しい顔で、斬島と夜子を交互に見た。
斬島は、部屋に入ってきた獄卒、谷裂からふいと視線を外して立ち上がる。
大抵彼は無表情ではあるものの、制帽のつばを掴んで目深に被り直していたため、余計に表情が読めなかった。

「もう時間か」
「ああ」

時間。
夜子は少し考えて、なるほどいつ起きてもそばに誰かいてくれるのは、時間で決めて誰かが隣にいてくれるからなのか。と納得する。
いや、けれど、時間が決まっているにしては。

「……なんだか、ほかの方より短かったですね?」
「……起こせなくてな」
「ああ……」

夜子は、そう言えば田噛と爆睡していたのだったと思い出す。
谷裂は状況が読めないらしく「なんの話だ」と言っているが、その質問には答えずに、「あとは頼む」とだけ残して部屋から出て言ってしまった。

「なんなんだ」

足音は遠ざかって、しかし、再び近付いて。
少しの間音が止まって。
がちゃり。

「夜子」
「忘れ物ですか、斬島先輩」
「ああ」
「なに? 気を抜きすぎだ」
「すまない」

夜子は思う。
この青色は、一際真っ直ぐで、眩しいくらいの力がある。

「俺たちも、夜子が好きだ」

谷裂は変に焦って「おい!」なんて言っているけれど、斬島は続ける。

「だから、なんでも言ってくれ」

夜子は、はいとも、いいえとも答えられずに、ただ黙ってその言葉を聞いていた。

「それだけだ」

今はそれだけ。
いつかもっとわがままな話を、聞いてもらえる日が、来るだろうか。
夜子はどうにか、「ありがとうございます」とだけ言った。
斬島は、満足そうで、少しだけ寂しそうだった。


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20161028:もう無理腹痛い

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