獄都事変 | ナノ


一輪の花を君へ13 / 抹本  




相変わらず、夜子の調子は悪そうだった。
交代の抹本がやってきて、佐疫はこの後の看病に支障がないように、夜子の様子についてを話す。

「それならまだ、夜子の調子は………」
「…………あまりよくない、かな」
「そっか……、ねえ、佐疫」
「ん?」
「もう交代だから、佐疫も休んだ方がいいよ……」
「……ごめんね、抹本、でも、もう少し」
「夜子が」
「え?」
「気に、すると思うな……。佐疫まで元気がなかったら、きっと……、だから、ね、佐疫……」
「……そうだね。うん。ありがとう」
「ううん……」

抹本はゆるゆると首を振って、控えめに微笑んだ。
夜子が時々する笑顔と少し似ている。
じゃあよろしく、と佐伯は部屋を出て行った。
抹本は一つ息を吐くと、そっと夜子の額に触れた。そろそろ薬が効き始める頃であるはずだが熱は下がっていないし、相変わらずに辛そうだ。

「もう少し、強い薬を作ったほうがいいのかな……」

けれど、大分落ち着いてはいるように思う。
ただ、今人が入れ替わって周囲の空気が変わりでもしたのか、夜子は敏感にもふ、と目を覚ます。
そこにいるものを確認する。
黄緑色の光がぼんやりと見えて、ああ、と、夜子は思う。

「夜子? 俺がわかる……?」
「はい、抹本先輩。……薬を、ありがとうございます」
「ううん。気にしないで……。意識があるなら、これを飲んで。栄養ドリンクだよ……」

抹本が差し出すコップの中身は、ほとんど土色に近い色をしていて、飲み物とは言えないのではないかと思うくらいにどろりとしていて、ほとんど固形物であるような代物であった。
しかし夜子は、どうにも表情を変化させる力もないようで、薬の礼を言ったままの顔で、もう一度「ありがとうございます」とコップを受け取る。
見た目に違わぬ重量感に思わず少しだけ受け取った腕が下がる。
病人であるところの夜子を、抹本はよく観察している。いつもの夜子なら起こりえないその動きに、やはり相当弱っているようだと、コップと夜子の手に自らの手を添えてにこりと笑う。

「平気?」
「……」

冷や汗が伝う、これはもう飲むしかないようだ。
夜子は覚悟を決めて口をつける。
一気に飲み干すと、どうにか空のコップを抹本に、半ば押し返すように返して、そしてまた気絶するようにベッドに沈んだ。

「あ……、味の感想、聞きたかったのに……。飲みやすくしたつもりだったけど、大丈夫だったかな。谷裂は大丈夫だって言ってくれたけど」

けれど、佐疫の話を聞いた限りでは、気絶するくらいがちょうど良かったのかもしれない。
体の調子が悪い時は、ゆっくり休むのが一番だ。
きっと夜子は、ここまでこじらせなければゆっくり休むこともできただろう。体調が悪すぎるせいでゆっくりも休めない。獄卒が1人そばについているくらいでは不安だろうか。
夜子のことは、わかってきたと思っていたけれど、今彼女が抱える気持ちが一つもわからなかった。
佐疫が語った、目を覚ますたびに、周囲を確認しているし、何かしら不安なことがあるのだろう、と、そういう情報を持っているだけだ。
胸のあたりがもやもやする。
抹本は、放り出された腕を布団の中に丁寧にしまってやりながら、思い出す。
夜子は、いろんなことを知っていて、これの答えも、夜子がくれた。
リコリス病院に、夜子が差し入れを持ってきた時のことだった。
薬品室はいつも落ち着く場所ではあるが、夜子がいると、また違う。
そんな気持ちを口に出してみた。

「夜子がいると、なんだか不思議なんだ」

夜子は、まだ何を言われるのかわかっていなくて、もしかしたら暗に邪魔と言われている可能性まで考慮したところで、小さく「はい」と言った。
抹本はこっそりと微笑んで言う。

「部屋の温度も湿度も変わらないのに、すごくあったかい」

じわりじわりと、胸の奥から足の先まで。

「夜子には、そういうことってない?」
「わたしは、皆さんと一緒にいられると嬉しくて、あったかいですよ」
「それは俺もそうだけど……、これは少し違う気がするんだ。夜子にも、わからない?」

夜子は少し考えて、それからどこか遠くを見ながら話をする。

「わかる、気がします。その人と一緒だと、どんなに怖いことでも平気なような、なんでもできる気さえするような気持ちを、わたしも知っている、と思います」

その人と、と夜子は言った。
ああ、これは、自分の知らない夜子の話だ。
そう思うと、途端に胸がどきどきとした。
聞きたいような、聞きたくないような。

「どんな人?」

夜子は泣きそうな顔をしていた。

「約束をしていた気がします。手紙をもらったような気もして、でも、よく覚えていません」

夜子は、記憶がなくてもいいと思っているようだし、今の生活を楽しんでいるようでもあるけれど、このことだけは、きっと、思い出したいと願っている。
抹本は夜子のその気持ちと、自分が夜子に対して抱く気持ちが同じようなものなら、と考える。
もしそうなら。

「夜子にとってそれは、特別な思い出だったのかな」

その言葉がぴったりとはまる。
他と違うのは、特別だから。
同僚と一緒にいるのは楽しい、友人と遊ぶのは面白い。それにプラスしてあたたかかったり勇気が出たり、その人と一緒にいる時だけの特別。その人は、同僚の中で、あるいは友人の中で特別。

「そう、ですね。きっとそうです」
「宝物、だね」
「はい。抹本先輩、ありがとうございます」

抹本は首をかしげて。

「? お礼を言われるようなことはなにもしてないよ……。夜子こそ、ありがとう」
「え、わたしの方もお礼を言われるようなことはなにも……」

そのあとは、揃って顔を見合わせて笑った。
笑っている、隣にいてくれる夜子を見ると安心した。
夜子が作った差し入れがおいしかったこととか、薬の材料を取りに行った時にすごく手際がよくて覚えもよくて助かったことだとか、いろいろある。
今は、夜子を見ていると、いらない心配まで湧き上がる。
例えばこのまま存在が不安定になって消えてしまわないだろうか、とか。
目を覚まさなくなってしまうかも、とか。
そうなると、もう二度と、夜子が見上げる、その二つのきらきらした瞳を見ることはできないのだろうか。
考えると、どうしてか体の動きが鈍くなる。

「栄養ドリンクと薬が、効いてくれるといいなあ……」

それでも夜子の容態は、はじめ見た時から比べたら、ほんの少しだけ落ち着いたようだった。



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20161016:抹本くん、かわいい。獄卒に無限の可能性を感じる……。

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