獄都事変 | ナノ


一輪の花を君へ10 / 肋角  




まるで、なにかに強いられるかのように早朝走り込んで、空き時間があれば勉強して。まとまった時間があれば好きなことを向上させる。夜も鍛錬をして、遅くに風呂に入っているようだ。
谷裂に誘われた時は谷裂とトレーニングもしているし、用がなければほかの獄卒にも付き合っている。
見ていて心配になるくらい、がむしゃらにいろんなことに手を出している。

「……」

そして今日は、私服で図書室にて、何やら真剣に本を読んでいる。
窓際の明るい席にそっと座って、じっと本に視線を落とす。
どこをどう見ても柔らかい。
肋角は必要な資料を取りに来ただけだったのだが、思わず夜子に声をかける。
ゆっくりと近づくと、夜子もゆっくりと顔を上げた。伏せていた目をゆっくりと上へ。

「夜子」

肋角が呼ぶと、先程まで本を見ていた真剣な目は細められて、口元も自然に綻んだ。

「肋角さん。お疲れ様です……、あ、なにかお手伝いしますか? 必要な資料があるならわたしが探して持っていきましょうか?」

ぱたり、と本を閉じて立ち上がる。
あれだけ真剣だった目は、肋角の登場によりきらきらと輝いて肋角の方を見ている。間違いなく優越感だが、本に勝ったからなんだと言うのか。
年甲斐もない気持ちに気付いて、肋角はそれを隠す様に夜子の頭を撫でる。
夜子は大人しく撫でられているが、きょとんとした両目が肋角を見上げていた。

「どうかしましたか?」
「いや。……今日はずっとここにいるのか?」
「そうですね、特に何も無いですし、皆さん出払っていて誰に遊んでもらえるでもないですから」
「そうか。それなら、俺は今から少し休むが、話し相手にならないか」
「! はい! じゃあお茶を入れてきますね! ここは、飲食禁止なので、執務室に持っていきますので、待ってて下さい」

ぱ、と表情が華やいで、かたりと立ち上がる。
助角は思わず帽子の鍔をつかんで、ぐいと下にさげる。
どうにか「ああ」とだけ言う、その口元は緩んでいたにちがいない。隠したつもりであったが、夜子は気付いただろうか。
ちらりと様子を伺うが、夜子は、さっと本を戻して図書室を出て行った。
あまりその様子を不審だとは思わなかったようだ。
助角も図書室の外へ出る。
執務室に戻りしばらくすると、夜子が控えめなノックの音と共に入ってくる。
コーヒーと、それからなにか菓子もある。クッキーのようだ。

「お待たせしました。お菓子は、朝キリカさんたちと焼いたクッキーです。本当はわたしのおやつになるだけの予定だったのであまり見た目にこだわってないんですが、よかったら肋角さんも食べて下さい」
「ああ。貰おう」

笑を深めて、にこりと笑う。
そんな夜子に、じわりと胸が温まった。
次いでコーヒーを体に流し込んだら、熱いくらいだ。
気を紛らわそうかとクッキーを口に入れるが、夜子は見た目が悪いなどと言ったがこれはこれで味があるし、実際の味も良いものだ。
甘すぎず、丁度良く食べやすい。

「相変わらず、いろいろやっているようだな」

ここに来てから、最近は特に、彼女はいつみても楽しそうに笑っていた。
谷裂に付き合わされて死にそうになっていることも、平腹に付き合って死にそうになっていたりすることも、それさえも楽しんでいるようだった。

「はい。なんだかずっと、やってみたくてもできなかった事のような気がしているんです。よく覚えては居ないのですが……」

楽しく同僚と遊んだり、料理をしたりお洒落をしたり、全てのことがとても楽しい。
最近また何かはじめたようで、空き時間によく出かけている。
夜子が館にいないと、どこかほかの獄卒もそわそわとしていたりして、大変に面白い。
そんな時廊下を歩けば、必ず一度は「夜子を見なかったか」と聞かれるのである。

「そうか」

ともかく、と。
夜子は、恐る恐ると言った様子で肋角に尋ねる。

「肋角さんは人間だった頃のわたしを知っているんですよね?」

夜子が持っている記憶はほとんどない。
覚えていたことは、自分の名前と、元は戦う人間であったこと。割合に強かったこと。いろんなことに、飢えていたこと。
獄卒になった瞬間、そこに肋角と斬島が居たこと。
それ以前のことは、うまく思い出せなくなっていた。

「ああ、だが、それも少しだけだ。すべてを知っているわけじゃない」

知らなくはない。知ってはいる、が、あまりにも断片的な知識である為、得意気に「夜子と言う人間はこうであった」とは語れない。
肋角も斬島も、同じように考えていた。

「そうなんですね……」

曖昧に笑う夜子。

「なにも、覚えていないか?」

夜子のいれてきたコーヒーを飲みながら、肋角は、じっと夜子を見る。

「なにも、と言うことはないですね。時折夢も見ます」
「夢か」

そっと、夜子は目を閉じる。
苦しげに顰められた眉に、夜子の中の複雑な感情の、その末端を感じ取る。

「はい。わたしはいつも戦っていて、負けないことだけを考えているんです。何を言われても何をされても、どんな兵器を前にしても、ただ負けないことを考えて」

あまり良い夢ではなさそうだ。
幸せな夢をみることはできているだろうか。
もしかして、夜子の睡眠時間が極端に短いのは。ことある事に睡眠時間を切り詰めているのは。

「……寝るのが怖いのか?」
「いいえ、夢ですから。わたしにはもう、それが実際にあったのかどうかもわかりませんし、あまり気にはなりませんよ。ただ、怖いやつだなとは思います。服とか体とか、どの夢でも最後には真っ赤になっていて、なんの眷属なんだってくらい邪悪な感じで」

肋角が見つけた時には、夜子は人ながらにして怪異になりかけていた。
確かに、悪魔か鬼か、あるいは別の化け物かなにかに見まごう凶悪な強さではあったが。

「いいや。夜子は」

ほとんど、手入れされていない髪。動きやすさと機能性を優先させた服。
身体は傷だらけだったし、彼女の言うように、全身真っ赤になって立っていた。
今よりずっと不健康な細さで、今より大分全体的に平たいシルエット。
しかし、その目の輝きは。

「夜子は美しかった」

獣の様にギラギラと音をたてて、あるいは、ずっと静かに鋭く真っ直ぐに、その双眸から光が消えることは無かった。

「…………そ、れは、ありがとうございます……」

今でも、時々そんな目をしているが。
あの時よりいろんな色を出せるようになったようだ。

「ああ。斬島の夜子を見た時の第一声は「とても綺麗ですね」だったと記憶している」

夜子はとうとう顔を覆って下を向く。

「…………」

何故こんなにも、なにもかも許されているのか。

「なに、本当のことだ」

ようやく夜子は少しだけ顔から手を離して言う。

「…………斬島先輩は、やけに私の性能にお詳しいですよね」

そう言えば、と顔を上げた夜子。

「ふっ、人間だった夜子は何度か斬島を殺しているからな」
「な、なんてことを……、き、聞かなかったことにします……」

再び夜子は顔を抑えて下を向く。
リアクションを眺めているのもいいが、肋角としては夜子の顔が見えるほうがいい。

「まあ、気にするようなことでもないだろう。斬島はむしろ、楽しんでいたようだ」
「ん……? 私にも確か………」
「夜子?」
「…………あれ、は」

ぐらりと、脳が揺れるのを感じる。
思い出すことを拒否しているような。
夜子は揺れた頭を片手で抑えて、目を閉じる。
テレビのノイズのように、映像が上手く思い出せない。
なんだか楽しそうに挑んで来る、殺しても死なない相手、瞳の色は。

「夜子」

肋角の声にはっとして、顔をあげる。

「す、すいません。大丈夫です」
「……ならいいが」
「わたしはたぶん、何度か、どの先輩かはわからないですけど、人間だった頃に会っているんですね」
「思い出したいか?」
「そうですね、記憶は少しずつですが戻っていますから。そのうち思い出すこともあるかもしれません」

夜子はカップを置いて。
そっと自らを抱くように両の肘のあたりをぎゅっと掴んだ。

「……怖いか」
「それはもう。でも、大丈夫ですよ。きっと、大丈夫です」
「……ああ。お前はもう、特務室の夜子だ」
「そうですね。獄卒の、特務室の、夜子です」

手の力を緩めて、肋角を見上げて微笑んだ。

「ありがとうございます」

肋角も、ほんの少しだけ笑う。
からん、と置いたカップの中身はすっかり空になっていた。

「安心して、ここで生活したらいいだろう」

夜子は立ち上がる。
名残惜しいが、また図書室へ戻るようだ。

「はい、ありがとうございます」

改めて、頭を下げる。

「本当に」

その時の夜子はどんな表情をしていただろうか。声が少し、震えていた。

「ありがとうございます……」

その姿は、思い出したくないようにも、思い出してしまいたいようにも見えて、肋角にさえ、彼女の真意はわからなかった。
ただ、最後に彼女がひどく安心した様にそう言ったから、今はそれで十分だと思えた。
彼女はここを大切に思っている。


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20161010:祝日の仕事のやる気のでなさと昼外に出た時の休日オーラ万死に値する

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