その他夢 | ナノ






ター坊が弁護士になる前。まだ俺が松金組にいた頃に、なまえちゃんの舞台を見に行ったことがある。
チケットを貰ったので、他にも何人か連れて行った。カタギじゃねえしと遠慮しようとしたが「そんな人いっぱい来ますから」と笑われた。「小さな劇場だし気にしないで」とも。東はその時から既になまえちゃんばかりを見ていて、舞台を見に行くことを大層喜んでいた。舞台を見つめる東の視線はなまえちゃんを追いかけ続けていて、ちゃんとストーリーが把握出来ているのか怪しいと思ったほどだ。
「なまえちゃんばっか見てたな」
からかってみると、東は真剣な顔で俺を見た。慌てると思ったが、落ち着き払った様子である。
「あの役は、なまえさんみたいでしたね。最初から最後までずっと一人で」
からかってやろうという気は急速に冷めていく。そうだっただろうか。そうだったとして、それは役の中の話だ。しかし、東に言われていつものなまえちゃんを思い出すと、確かにいつでも一人でいるような気がした。ター坊とはまだ気まずいようだし、他の誰かと連んでいるのも見かけない。
ただ、芝居はあんなに良かったのだから、今は同じ演者の仲間たちでワイワイやってる頃なのではないか。
「なら、会いに行くか?」
「えっ、いや、それは流石に」
「いいだろ別に。これ渡された時に、なんなら楽屋に遊びに来てくれてもいいっつってたじゃねえか」
「言ってましたけど、でも、あれは」
他の連中は帰らせて、東だけ引き摺って楽屋へ向かった。警備員に止められなかったところを見ると、なまえちゃんはこういうことがあってもいいように話をしておいてくれたのだろう。
舞台の裏側、長い廊下の先から、なまえちゃんが走って来た。迎えまであるとは至れり尽くせりだ。なまえちゃんはこちらに気が付くと「ああ!」と笑う。
「見に来てくださってたんですね」
「おう。最初は慣れなくて居心地悪かったんだけどよ、始まったら終わるまで居心地悪かったことなんざ忘れてたぜ」
「あはは。褒めてくれますねえ」
ありがとうございます。深々と頭を下げるなまえちゃんに、東はいつの間に用意したのかスポーツドリンクを差し出した。
「お、お疲れ様でした。よかったらこれ、どうぞ」
なまえちゃんは東が差し出したペットボトルを受け取ると、肩にかけていたボストンバックの横に差し込む。
「ありがとう。東くん」
「なんだあ? 東お前、そんなもんいつの間に買ったんだ? ん?」
肩を組んで横腹をつついてやると「さっきそこの自販機でですよ」と俺の腕から逃げようとしている。顔を上げた時なまえちゃんと目が合ったからなのか、顔を赤くしていた。それを誤魔化すように、東が言う。
「今から、どっか行くんですか」
「うん。次の仕事があって。すいませんなんのお構いも出来ずに」
出迎えじゃなかったのか。俺は残念に思ったが、東はわかっていたようで「すげえ良かったです」と簡潔に感想を述べた。
「おうよ! 充分楽しませてもらったって」
「それならよかった!」
それから二言三言言葉を交わすと、なまえちゃんは「それでは」と会話を切り上げ背筋を伸ばした。
東は控えめに微笑んで、俺は手を挙げてなまえちゃんを見送った。走るスピードがさっきより早いから、急いでいるのだろう。そういうものをおくびも出さずに挨拶をして、走り去る。一人だ。楽屋にはまだ演者が大勢いるだろうに。彼女は一人で次の仕事へ向かう。
「やっぱり」
東がそう小さくつぶやくのが聞こえて、俺も何やら、寂しい気持ちになってなまえちゃんの背中を見ていた。



「なーんてこともあったなあ」
「なに? どうしたの海藤さん」
ター坊の事務所でター坊が寄ってきて言う。俺はタバコをふかしながら窓の外の景色を眺めていた。
「いやあ、別にい?」
「なんだよ。気持ち悪いな」
「なにがあんの?」と興味津々なので、しかたがないから教えてやる。
「ほれ、向こうから東となまえちゃんが歩いてくるだろ」
「え? あー、そうだね。それが?」
それが。こいつにはなんの感慨もないのだろうか。一時期荒れに荒れていた弟を心配し、こっそり何度も様子を見に来て、俺や東に近況を聞きに来ていた、家族想いの姉に対して。いつも、何が起きてもいいように一人で備えていた姉に対して。
「弟甲斐のない男だねえ」
「失礼だな……」
「なまえにはちゃんと感謝してるって」鬱陶しそうに言うし、なまえちゃんも気にしていない様子だし、なんならここへ仕事を持ってくるのともあるので、昔の話は煙たいばかりなのだろうけれど、それにしたってあれに感動しないとは。
「もういい。俺はああやってあの二人が一緒にいるところを見るのが好きなんだよ。邪魔すんな」
「海藤さんが見ろって言ったくせに」
俺はもう一度通りを歩く二人を見た。なまえちゃんが視線に気づいて手を振っている。東は頭を下げた。俺は手を振り返す。
「なんつーか、安心するだろ。なまえちゃんも嬉しそうにしちまってまあ」
「よっぽど居心地いいんだろうね」
東もまた伸び伸びしているように見えるのは、余程自信があるからか、なまえちゃんへの信頼が厚いからなのか。彼女の隣に立つためにはそれなりの覚悟を決めたのだろう。堂々としたものである。
「だなあ」
なあ、とター坊に詰め寄りニヤリと笑う。
「賭けようぜ。あの二人が結婚するかどうか」
「ええ? うーん、まあ、東と親戚になることに思うところがないわけじゃないけど」
それは確かにそうだ。このあたりの関係がかなり複雑になることは確実である。だが。それでも。ター坊もまたニヤリと笑う。
「そんなの、賭けにならないよ」


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20220308:すぎうらくんに、いろいろつっこたれるはなしかきたい

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