その他夢 | ナノ






「なにか格闘技をやっていたんですか?」と聞いたのはハン・ジュンギだった。それに対する彼女の答えはイエス。続けて、どういう流派のものか聞かれていた。流派を聞かれた彼女はここ一番の困り顔で黙り込み「あれはなんだったんだろう」と言い出した。なんだか、リングがあったり柔道場があったり、よく分からない道場に通っていたと話していた。
出処の怪しい格闘技だが、なまえはその格闘技を我がものにして、ヤクザやマフィア相手でも平気で喧嘩をして見せるのだった。なんとなく場馴れしてしまっているようにも見える。
俺は助けに入るタイミングを完全に逃して、最後の一人が倒れたところで近寄って行った。
「珍しいところで会いますね」
彼女はいつも通りにけろりとそう挨拶をして、倒した相手には見向きもしない。彼女には怪我もなければ汚れもない。紗栄子や春日君は褒めたりしているが、彼女はあまり喧嘩の腕を褒めらることが好きではないように見える。
が、何も突っ込まない、ということもできず、隣に並んで「あいつら」と顎で示しながら言った。
「どうしたの?」
「ああ、いや、カツアゲ現場を見てしまって。注意したら殴りかかってきたんですよ」
物騒ですね。彼女は平気な顔でため息をつく。普段から背筋が伸びた女性ではあるが、喧嘩の後はすらりとした体躯に、剣呑な雰囲気がまとわりついている。前髪に隠れた眼光が鋭く、見つめられると別人に見られているような気持ちになる。
「なまえちゃんってさ」
「はい」
「お父さん、何してる人?」
「サラリーマンですね、事務とか何とか。母は近所のスーパーでレジ打ってます」
「普通だね」
「趙さんと比べないで下さいよ……」
困り顔で笑う彼女を近くの公園に引っ張りこんでベンチに座らせる。公園の出入口にクレープ屋が来ていて、女子高生が何人かたむろしていた。
やや視線が気になるが、俺はなまえの前にしゃがみこんで手を掴む。改めて怪我がないか確認した。素手で殴ったのだろう。少し赤くなっていた。俺にされるがままの手を俺の手で包む。
「痛くない?」
「私は怪我してませんから」
「怖くなかった?」
「異人町じゃよくある事じゃないですか」
「うーん」
その通りだし、俺たちは平気でもっととんでもないものを相手取ってきた。勝てるのは悪いことではない。ならばどうして欲しいのかと言えば、守られて欲しいと言うような身勝手な気持ちが浮かんできた。女の子であって欲しい、とも思っている。けれどこれは。
「よし、なまえちゃんにクレープを買ってあげよう」
「どうしたんですか」
「んー……この間のなまえちゃんの気持ちがわかったかもしんないなーって」
身勝手だ。とてもじゃないが口にできる願望ではない。というか、口にしたくない。言うのが嫌だ。変わって欲しいなどと思う自分こそ愚かしい。
「この間?」
「結構、知らない内に相手に期待してるものってあるよね」
「ああ、はい」
彼女はわかっているのかいないのか、なるほどという顔で頷いた。
カバンの中を探したのはサングラスがないかの確認だろう。そう何度も同じ芸をするのもどうかと思うが。サングラスはなかったらしい。諦めてこちらに向き直った。きり、と真面目な顔になる。一発芸します、の時と同じ顔だ。
「……もっと詳しく聞いた方がいい感じですか」
「んーん。大人しくクレープ奢られて欲しい感じ」
「承りました」
こくりと頷く、小さな頭が上下するのを見ていた。あーあ。大切で堪らない。甘やかして、自覚させたい。自分がどんな存在なのか。
クレープを悩むことなく選んでしまって、いただきますと俺に頭を下げて食べ始めた。「あったかいカスタードクリームが好きで」となまえは言って、俺に一口くれた。一番クリームの多いところを食べさせて満足そうだ。
「なまえ」
「はい」
とっくに限界だ。押しとどめておくことなんて出来ない。
「大好きだよ」
なまえはきょとんとこちらを見上げた後に、俺からの言葉を持て余して目を逸らした。逸らされた目はただの女の子の目って感じで、人を射殺せそうな暗さは消えていた。
「趙さんがやばいのは、最近ちょっとわかってきました」
ちょっとかあ。
口についたクリームをハンカチで拭いてあげて、出来る限り優しく頬を撫でた。俺から見たら可愛い女の子なんだと言うことが伝わればいいと笑いかけた。


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20211117

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