その他夢 | ナノ






折角買ったし、使い切らなければ勿体ない。そんな気持ちもあって、毎日香水をつける習慣がついたが、最近は少しつけるのに躊躇っていた。躊躇うのが面倒くさくなり、昨日メルカリで売った。意外にもすぐに買い手がついて、私はさっさと梱包して送ってしまった。
だから、今日からどうにも手首が寂しい。
意味もなく鞄の中を探したり手首を擦ったりしていると、趙さんがひょこひょこと近付いて来た。一番に気付くのは彼だと思っていたので、案の定だ。すん、と一度鼻を鳴らしてストレートに聞いてくる。
「あれ、今日はあの匂いさせてないね。なんで?」
なんでもなにも。「いや、だって趙さんが」男物の香水であることなどわからないと思っていたのに看破され、最初に出てきた言葉が恋人と同じものなのか、ということだった。他にもそういう邪推をした人がいたかもしれないこと、は、まあいい気もするが、どうにも引っ掛かる。どこが引っかかっているのかはっきりしないけれど、面倒なので処分してしまた。説明できなくて黙っていると、趙さんは何故か嬉しそうにぐいぐい詰め寄って来る。
「俺が? 俺が何?」
説明できないので、別の理由を探す。あの香水は嫌いじゃなかったが、習慣化したせいで体が香水をつける手間を欲している。ならば。
「……新しいやつ欲しいなと思って」
女性用の、もうちょっと甘めの香りのものを探してみるのも楽しそうだ。私は詳しくないが、趙さんは鼻がいいしおすすめがあったりするかもしれない。「趙さんは」なにかおすすめがありますか。聞こうと思ったが、ぱっと手首を掴まれて、趙さんの方へ引っ張られた。
「じゃあ俺と同じの付けてあげるねはい手出して」
手を出してと言いながら手を引っ張っている。どこから取り出したのか趙さんが普段使っていると思われる香水を吹きかけられ、ぎゅっと上から押さえ付けられた。趙さんの匂いが周囲に充満していて変な感じだ。
私は恐る恐る香水をつけられたところを持ち上げ鼻先に持って来る。厳密には、趙さんと同じ匂いではない気がする。自分の体からするからだろうか。
「おそろいだね」
趙さんはへらりと笑って上機嫌だ。
だがしかしこれは、例えば他の仲間達に会った時に、趙さんが私にしたのと同じ勘違いをするということではないだろうか。悪戯なのか深い意味があるのか。たぶんどちらもだろうけど。
嫌ではないはずだが、嫌がっているような気もする。何故だろう。私はなにを心配しているのだろう。何か起こっても、大抵はなんとかなるはずだけれど。私の予想通りの事が起こったらハッキリするだろうか。
「……あれ? もしかして、嫌だった?」
「そういうわけではない、はずなんですが」
「うん?」
「ちょっとそのあたり歩いてきます」
「なら俺も一緒に行くよ」
「ああ、いえ、ちょっと考え事を、一人で」
「あ、そう?」
しばらく外を歩いたが、結論として、何に引っかかっているのかわからなかった。私はとぼとぼとサバイバーに戻り、三人でトランプをしている春日さんたちの傍に行った。ババ抜きで遊んでいるようだ。
春日さんの後ろに回り手札をのぞき見ると春日さんはばっと振り返った。
「おい、趙……あれ、なまえちゃんじゃねえか」
なるほど、と思う。そういうことも起こるのか。同じ匂いをさせているから当然、という気もするが、こちらに気付いた足立さんとナンバさんがトランプそっちのけで顔を見合わせているのが気になった。
「なんで趙と同じ匂いさせてんの?」
春日さんはただ不思議という顔で私を見上げているが、その向こうで、ナンバさんと足立さんはきゃあきゃあ騒ぎ合っている。
「まさか、なまえちゃん、まさか……!」
「ついにか……!? ついに俺達のなまえちゃんじゃなくなっちまったってのか!?」
「時間の問題とは思ってたが、そうかあ……」
一体なんだというんだ。と、割合に強く感じた自分に気付いた。いや、この反応は予想していたが、予想していたよりずっと面倒に感じている。そうか。これが嫌だったのだ。趙さんに指摘された時も同じだった。その思考に至る理由はわかるが、そこまで簡略化されたくない、と思っていたらしい。
「私と趙さんってそういう共通認識だったんですか……?」
その時私はどんな顔をしていたのかわからないが、私が言うなり三人はぴたりと動きを止めて、春日さんと足立さんはナンバさんを振り返った。トランプを放り投げてナンバさんの肩を揺する。「な」
「ナンバァアアアアアア! まだチャンスあるぞ!」
「う、う、うるせえぞ何言ってんだバカ! 見ろ! このなまえちゃんの困り顔を!」
困っている? そうかもしれない。私でさえ答えの出せていないことを先回りされたことだとか、行きたい方向はそっちじゃないかもしれないことだとか、知らない人に言われたり好き勝手思われるのはいいが、彼らに『そう』だと決めつけられたことだとか。
理解されたい、と、随分身勝手に思っていた。
騒いでいたからだろう。奥に居た趙さんがひょいと顔を出してこちらにやってきた。
「なになに、なんの話?」
ゆっくりと振り返る。趙さんはぎくりと立ち止まりサングラスの奥の瞳を揺らした。
「えっ、すっごい冷ややかな視線……」
なにか言うべきである気がしたが、今何を言っても恨み言のようになってしまいそうで口を閉じた。「どうしたの」趙さんが恐る恐る私を覗き込む。ゆるく首を振った。
「私はこういうのが苦手だったんだと思って」
「うん?」
みんなのことは大好きだが、今は放っておいてほしかった。私は深刻になる必要のないことで深刻になっている。適当に流せばいいことを流せないでいる。そうじゃないと叫びたい。そうじゃない。今はまだなんでもない。そういう空気にしないで欲しい。自分でちゃんと答えを出すから。
「今日は帰ります」
「う、うん。送ろうか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
親しい人たちに、自分の気持ちの在処を決めつけられたのが嫌だったらしい。そんなに大した事ではないのに、支配されている、なんて言葉を使われたのも引っ掛かっていたのだと気が付いた。新しい自分に気付いてしまってドキドキしているが、しばらくしたらきっと凪いでくれるだろう。
忘れないうちに、どこかにメモでもしておこう。そうしたら、適当に受け流すことも冗談にしてしまうこともできるはずだから。こんなことで、怒ったり声をあげたりしたくない。


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20211116

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