その他夢 | ナノ






「前兆はあったじゃない」
サッちゃんは、いくつかサッちゃんから見えていた趙天佑という男について話してくれた。
まず、とにかく隣をキープしたがること。食事の席でも、飲みの席でも、遊びに行く時、ただ外を歩いているだけの時、喧嘩してる時だって意識して近くにいるように見えていた。
「かなりべったりだったと思うけど、アンタ、この前のあれでようやく気づいたの?」
サッちゃんは呆れていた。「趙さんが気の毒ね」とまで言われ、私は味方はいなくなったような気持ちでいたのだが、サッちゃんはちゃんと「でも、嫌なら嫌だってハッキリ言いなさいよ」とも言ってくれた。
「嫌がる女の子にキスするのはセクハラなんだから」
私はしかし、好かれるのは嫌ではないし、趙さんほどの人が気に入ってくれると言うのは単純に嬉しいと思う。キスもまあ、いいとは言えないが改めて怒る気にはならなかった。そもそもあれは酒の席だったわけだし、何もかも断定するには早い、と、思うことにした。
「よし!」
「なにがよし、なの? 気合い入ってんね」
「わきゃあ!?」
一体いつから。考え事を終えて顔を上げたタイミングで話しかけられた。隣を歩いていたことに気が付かなかった。というかタイミングを図らず直ぐに声をかけてくれたら良かったのに。
「なにその悲鳴、おもしろかわいい」
ウケてるな、と彼を見上げると目が合った。
「どうも、おはようございます」
「もうお昼だけどね」
「ああ、もうそんな時間ですか」
「今日はこんなところでなにしてんの? 散歩?」
「ちょっと考え事を。今し終わったところでした」
まさかこんなに早く遭遇するとは思わなかったが、まあ会わないことはないので、こういうのは早い方がいい。さっさと元通りに戻してしまおう。などと、私は必死だったのだが、趙さんは軽い調子で核心をつつく。
「もしかして、俺がこの前ちゅーしたこと、気にしてた?」
酔っていたから忘れている、という可能性は消えてしまった。
「そうです。今後の身の振り方を考えなきゃと」
「あら素直だね、普通もっと誤魔化したりするよ」
趙さんからのキスという大事件に対抗して私を悩ませられる事例が思い浮かばない。さらに言えば、趙さんを納得させることは出来無いだろう。なぜなら私でさえもよく分かっていないのだから。問題を先延ばしにした自覚がある。
趙さんは「ホント、面白いんだから」と笑う。
「あれはねえ。まあ、好きに受け取ってくれたらいいけど、俺はさ、今同じことしてくれって言われても出来るからね。それだけ覚えておいてくれたらいいや」
「趙さん、大抵のことはできるじゃないですか」
「んー……そういう意味じゃなくってえ……」
隣を歩く趙さんはしばらく考え込んでいたけれど、その内そっと私の手に触れた。腰を折り曲げ、手を持ち上げ、私の左手の中指にかぷりと歯を立てる。痛くはない。
「……今は、追い詰めないでおいてあげる」
これは追い詰められているわけではないのだろうか。私が抵抗しないからか、趙さんはするりと指を絡めて私と手を繋いだ。趙さんの指輪は、もっと冷たいかと思ったが、触れてもさほど気にならなかった。
適当に歩いていると、趙さんが口笛を吹き始める。
「機嫌良さそうですね」
「うん。なまえちゃんも一緒だしね」
「趙さんがあからさまに機嫌悪いところ見たことないですけど」
「だって君の隣ってめちゃくちゃ居心地いいからさあ、つい気が抜けちゃうよね」
お酒の匂いはしない。だから飲んできたという訳では無いはずだけれど、趙さんの顔は赤い気がした。言葉も口調も軽いのに熱が籠っていて圧倒される。ああもう。
「これは私、追い詰められてないんですか?」
「大丈夫大丈夫。ぜーんぶホントのことだから」
何も大丈夫ではないし、全部本当だったらそれはとんでもないことだ。サッちゃんが考えているより事態は深刻かもしれない。
「これは困りましたね」
「……それハン・ジュンギの真似? 似てないねえ」
あははは、と腹を抱えて笑う趙さんの気が変わらない内に話題を逸らさせて頂いた。この逃げ道さえ、袋小路への誘導だったらどうしよう。


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20211115

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