その他夢 | ナノ






傘まで黒である必要は無いと思うのだが、黒い方が雰囲気が出るには間違いない。私は柄も骨組みも黒い大きな傘を肩に引っ掛けて歩いている。夜行バスで帰って来たから、まだ早朝だ。
みんなを起こさないように音を立てずに廊下を歩く。お土産はどうしようかな。声に出していないはずなのに、口から出て耳に戻って来た気がした。音のない空間だから、角から歩いてくる人が居ることもわかっていた。お互いに、見えないところから現れても驚かない。

「あれ、棘くんだ」

言うと、棘くんはやや眠そうな顔で「しゃけ」と言った。「ああ、うん、おはよう」随分朝早いなあと思っていると、私の周りを犬かなにかみたいにぐるりと回って、最後にじっと顔を確認された。

「ちょっと京都におつかい行ってきただけだから、怪我とかはないよ。寝違えて若干首痛いくらい」

笑うと、棘くんも頷いて、今度は私が持っている紙袋に視線を落とす。

「これはお土産。後でみんなに配るよ。あ、そうだ、ところで棘くんここで会ったのも何かの縁ってことで……、ほら、これ、自分用に買ってきた桜餅なんだけど、二つあるから一つどうぞ」

本当のところ二つとも一人で食べるつもりだったのだが、なんとなく一つを彼にあげたくなって、個別にプラスチックの容器に保存された桜餅を手渡した。棘くんは目を丸くして私と桜餅を交互に見ている。

「隠して隠して。見つかったら取られちゃうよ。特に五条先生」

私たちは軽く周囲を見渡す。相変わらず、なんの音もしない。マスクで隠れた口元が呼吸の音を吸収してしまうから、視界に彼がいなければ、私はまるでここに一人で居るような気持ちになるのだろう。寂しい思いをせずに済んだ、そのお礼だ。
隠してくれと言っているのに、棘くんは両手の指先で桜餅を持ち上げて、マスク越しに容器にそっと口を付けた。桜の葉の匂いが香る。

「じゃあ、また後で」

棘くんは慌ててマスクを少しずらして、口元だけでありがとう、と、言った。どういたしまして、と私は声を出せばいいけど、なんとなく、私も口元だけで応えた。


-----------
20190704:桜餅が食いたい

×