その他夢 | ナノ






「それで、おまえはどうするんだ」
「先にいく、という所でしょうかね」

おれたちはしばらく沈黙していた。俺の目を見上げるこいつの姿は弱りきって健康であった時の体が見る影もない。ほとんど骨と皮みたいな手足はもうピクリとも動かない。なまえは「口が最後でよかった」と言っていた。その軽口は許せなくて睨み付けると「ごめんなさい」と謝られたのを覚えている。「できれば笑って下さい」とも。
原因も治療法もわからない病にかかって一年程。わかっていることは、どうやらなまえの筋肉は末端から破壊されているようだ、ということと、おそらく、この冬を超えることは出来ないだろう、ということだ。
しかし、なまえはよく笑っていた。今も、沈黙に耐えかねたのか「きゃはきゃは」などと、おれの笑い声を真似していた。全く失礼な程似ていない。……それに、おれはそんなに強くはねえよ。
だらりと地面をはっている腕をつかみあげる。まるで別の生き物のようだが、これはこいつに間違いない。
二度と握り返されることは無い、指を絡める。

「蝙蝠さん」
「なんだよ」
「私は大丈夫ですよ」
「嘘じゃねえか」
「嘘じゃありませんよ」
「手も足も体も動かないようなやつは、大丈夫なんて言わねーよ」
「それでも、大丈夫なんですよ」

大丈夫のはずがない。
なまえが死へ向かっていく。一日一日、確実に。時間を戻すような忍術とか、ないものだろうか。おれは何度も考えたが、この状態のなまえの傍を離れることができないまま今日を迎えた。
まさにここが境目なのだ。死へ向かう道とそうでない道との。なまえは今にも、手を振っておれの見えないところへ歩きだしそうな顔をしている。
笑いそうになるが、じっと耐えた。おれは久しく、こいつの前で笑っていない。
しきりに「笑っておいて」と願うこいつの願いを叶えたら、とうとうこの世に未練なんてないだろうから。

「本当にいくのか」
「ええ、そうなるでしょうね」
「こんなになってるってのに、平気なのか」
「できるだけ早い方がいいんでしょうね。みんなに迷惑がかかってるには違いないでしょうから」
「人の気も知らないでよく言うなァ」
「確かに、私が先でよかった」
「いい加減にしねえとおれが殺しちゃうぜ」
「それはいいですねえ。理想の最期だ」
「……」

おれにはもう余裕が無い。「困った仔猫ちゃんだな」と笑ったら、きっとこいつは満足するのだろうけれど。
果たして、こんな会話すら出来なくなったら。
生きている、という証明のこの微かな温かささえ失ってしまったら。
おれは頭が真っ白になる。
なまえとの全ての出来事を後悔した事はない。けれど、おれはこの先、この一言を一生後悔することになる。

「いっそ出会わなきゃよかった」
「私は、出会えてよかったと思ってますよ」

なまえがあまりにはっきり、いつも通りに、それが当然だと、子供に言い聞かせるみたいに言うものだから。つい。うっかり。
馬鹿かよ。と、おれは笑ってしまった。それに気付くと、おれもだ、と涙を落とした。あいしている、と縋ったのに、最後の言葉は届かなかった。

不承島の、絵に書いたような空に突き上げられた日。つまりは真庭蝙蝠最期の時、おれはなまえの言ったことは全て正しかったのだと、刹那で確信する。

お前が先にいっていてくれて良かった。おかげで、これでもいいかと、思ってしまえる。


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20181124:Twitterお題箱から。真庭蝙蝠で「いっそ出会わなければよかった」です。ながくなりそうだったのでこっちで。

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