言葉のない物語/ウィンディ


なまえがこちら側についた日のことは、よく覚えている。僕は「あいつはきっと無理だ」と言ったのだけれど、光のイグニスが頑なに「お前が言えば大丈夫だ」と繰り返した。「いいからさっさと行ってこい」とも言われた。なまえは僕の言葉を大人しく聞いていた。水のイグニスや、あるいはなまえならば、他人が抱く感情をもう少し理解できるのかもしれないが、僕には、なまえの両目から滲む感情の正体がわからなかった。
全てを話終えると、僕は言った。「お前もこっち側につけよ」ミシン糸の上を渡るような緊張が、その一言でぷつりと切れた。というのも、なまえは僕のこの誘いに対して、ビックリするほど間抜けな顔で惚けていたから。

「なんだよ、その顔。それ、どういう感情なんだ?」
「いや、どういう感情になればいいのかわからないんだけど、私はその、誰にもどこにも誘われないと思ってたから。例えばハノイだったりSOLだったりに消されるならひとりだろうって、思ってたから、これは、たぶん、あんまり大きい声では言えない、あんまり正しくはないけど、この感情は」

ライトニングの言うことは正しかった。なまえはただ、僕が一番に声をかけた、という理由だけでこちら側につくことを決めたようだった。きっと他に特別な理由はないのだろう。

「嬉しい、よ」
「あいつらと、戦うことになっても?」
「それはつらい」
「相変わらず正直な奴だな、それでも来るのか?」
「……とかなんとか言って、その話を聞いちゃったら、私はいなくなるか、仲間になるかしかなくない?」
「まあ、そうだな」

なまえが笑ったから、僕は嫌に気が抜けた。
僕はなまえの手を引いて、なまえは大人しく手を引かれていた。それから、だろうか。今まで手を握る、なんてしたことがなかったけれど、一緒にどこかへ行く時は、僕が引きずって行ってやるようになった。ここへ来た理由が大してないこいつが僕達についてくるためには、必要なことだと思ったからだ。人間にもイグニスにも恨みなんてないこいつが、僕の隣にいるためには、ある程度僕が引っ張ってやらなきゃいけなかった。

「くすぐったい」
「ごめん、つい」

なまえは僕の形を確かめるように体を撫で回して、僕が抗議するとようやくやめた。やめたけれど、今度は頭を撫でていた。僕も時々するけれど、僕が僕の手を滑らせるのと、なまえの手が滑っていくのでは感覚がまるで違う。僕は全身から力が抜けるのを感じた。

「気が済んだか」
「気が済む、ことはないと思う」
「まあ、お前はそういうやつだよな。正直、お前がこちらにつくとは思わなかった。……お前、あいつと仲が良かったからな」
「仲が良い、って話になるなら、私は君とも仲が良いつもりでいたけど」
「なんだ? もしかして単純に好感度の話になるのか? そりゃ光栄だね」

仲がいい、といえばそれはその通りかもしれない。常に一緒にいた訳では無いが、不思議となまえとはよく話をした。見かけたら声をかけたし、声をかけられた。誰かと協力して何かをする必要があるなら、僕はこいつを選ぶことが多かったし、こいつもまた、同じだった。
単純で素直なこいつは、ひょっとしたら、イグニスたちの中で僕のことが一番好きなのかもしれない。だから、僕の誘いに乗ってきたのかも。有り得そうだ。もしそうなら。考え事をしている僕に影が落ちる、彼女はまた、僕に手を伸ばしていた。

「なんだよ、まだ続くのか?」

言うとようやく僕に触れるのをやめにした。言葉を交わすより、実際に触れる方が安心できるのだろうか。さっきから、なまえは僕になにも聞こうとしないし、何も確認しようとしない。僕に、何かを伝えようという気もないようだ。

「なまえ」

ふと名前を呼んでやって、僕が羽織っていく予定のマントを手渡した。何故か、なまえに肩にかけてもらえたら、僕達は、少しだけ安らぎを得られるような気がしたし、なまえは、喜ぶんじゃないかと、ふと考えた。

「……」

僕となまえはしばしお互いの目を見つめ合って、なまえは僕のことをわかったような、わからないような顔で曖昧に笑った。
それでいい、と僕は思った。
なにがどうして、それでいいと思ったのかは、考えるのをやめた。この答えは、今、言葉にして良いものではない。あまりにも思考回路がごちゃごちゃしていて、体の奥底から沸き上がる感情が、どうにもならない。あまりにどうにもならないから、少しだけコピーしてなまえに渡した。僕は解釈しないことを選んだ。だが、彼女の中に入った僕の欠片は、いったいどう変質するのか。
なまえはしばし考えて。

「どういたしまして」

と、僕に言った。なるほど。確かに、そういう感情もあったかもしれない。
僕はひらひらと手を振った。
でもきっと、その返しは半分正解で、半分は間違いだ。僕のこれはもっと難解で、複雑で、なまえにはきっと理解されない、いいや、イグニスたちの誰にも理解なんてされないような。

「たぶん、私も……?」

僕は振り返らなかった。
この時覚えた衝動に、名前をつけてはいけない。そんな気がした。


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20190110:慣れたらでも「お前は僕が好き過ぎるからなあ」とか煽ってくると思う。
 
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