→Happy(5)/ベクター


明日、夏服を着るべきか秋服を着るべきかわからない微妙な季節がやってきた。
すっかり秋だとは思うものの、まるで夏のように暑い日もある。
今日は外に出る予定がないからあまり関係ないけれど、ルームウエアは早朝と深夜の寒さに備えて長袖になっている。
ミルクティーを煮出して、読書と共に優雅に休日を謳歌していると、同居人が仁王立ちで目の前に立った。
ベクターは両肘を張って、右拳を左手の平で覆っている。
デュエルでもしたいのかと思ったが、デッキを身につけているわけではない。

「じゃんけんしようぜ」

しかし、私の勘は全く的外れというわけではなかった。
戦いはなにもデュエルだけではない。私は本を閉じてベクターに向き直った。大変真剣な顔をしている。

「ただし、ただのじゃんけんじゃない」

深い紫色の目が静かに光を放つ。

「勝った奴が言ったことはなにがなんでも叶えること」

私はミルクティーを飲みながらベクターの言葉を繰り返す。「なにがなんでも」「なにがなんでも、だ」余程、叶えたいことがあるらしい。晩飯のリクエストとかだといいのだが。きっとそういうわけではない。
私がじっとしていると、まだ淹れたばかりだから、ミルクティーの香りが湯気に乗ってベクターに届いたのだろう。「つーかそれ美味そうだな。俺のは」「もう一人分あるよ。キッチンの鍋の中」「砂糖は?」「私のはスプーン一杯」「話はそれからだ」折角じゃんけん用にキメていたはずのポーズをあっさり崩してキッチンへ向かった。
手にマグカップを持って戻ってくる。
私の正面に座ると、ミルクティーを一口飲み、びし、と指を一本立てて見せて、ここから話の続きである。

「もちろん実現可能な範囲で言う」

私は一度カップの中身に視線を落として、揺れるミルクティーを見つめていた。現実可能な範囲で、叶えられること、ならば私が断る理由はない。
でも、きっと。
普通に頼みに来ないところを見ると、彼の中で私がそれを了承する可能性は半々なのだろう。だから、勝者に与えられる賞品、と言う設定で押し込もうとしている。
顔を上げて、ベクターを真っすぐ見つめる。

「わかった。やろう」
「それなら早速目を閉じろ」

……、じゃんけん。
じゃんけんって。目を閉じる必要……、あったかな……。

「な、なんで目を」

当然の疑問だと思っていたが、ベクターはベクターで、そんなことを聞かれるのは心外だとばかりに早口で言った。

「動体視力でお前に勝てる気がしねえんだよ」

昔、それこそ何千年前は、ベクターが出す手を見て無理矢理勝つ、なんてチートみたいなことができたかもしれないが。
今できるかはわからないし、別に目を瞑る必要はない。私は私の手元だけ見ていればいいだけの話で。とは思うが。しかし。ベクターの言い分もわかる。
負ける可能性はできるだけ低くしておきたい、と。

「なるほど……?」
「わかったら目を閉じておけよ、俺がいいって言うまで開けるんじゃねーぜ?」
「あ、はい」

ベクターが立ち上がったから、私も立って、ぱちりと目を閉じる。
何も見えない。
うん?
いや。だが、そのルールだと。

「じゃあ、いざ尋常に」

ちょっと待ってくれ、と抗議する前に「じゃんけん、」私は慌てて右手を振って、適当な手を出す。「ポン!」私はグーだ。
残念ながら、目を瞑っているせいでベクターがどの手かは見えないまま。
ややあって、ベクターから声がかかった。「……目、開けてもいいぜ」ベクターの手はパーだった。正直、本当に最初からパーだったかどうかはわからない。
どの道、この絵だけ見たら、私は負けたことになる。

「決闘者に二言はねえよな?」
「そうだね。で、夕飯のリクエストだっけ?」
「ふざけんな」

ベクターがまたソファに座ったから、私も座ってミルクティーを飲んだ。

「うん、なににする?」

寒すぎない、暑すぎない。心地よい日差しと、乾いた風が部屋に吹き込む。
堪らなく穏やかな気持ちになる陽気だった。

「なんとか三日くらい休み貰ってこい。次の三連休は、海に行く」

海。
ベクターと私との間、どこか遠くで波の音が聞こえる気がした。ざざあん、と静かに押し寄せる波。二人で、白い浜をゆっくり歩く。ずっと昔にあったような、いつだか夢見たような光景だなあと、私はつい目を細めた。

「……旅行?」
「そうなるんじゃねえの」

昔はともかく、この世界に生まれ変わってからは、旅行なんてした覚えがない。そもそも、学校にだってろくに行けていなかったのだから、遠出をしたことすらない。

「旅行はいいなあ」
「いいなあじゃねえよ。行くんだろうが」

三日休みを取る、というのが難しそうではあるが、カイトに交渉したら許してくれるだろう。それにしても、三日、という具体的な日数まであるあたり、相当計画を練っているに違いない。

「楽しそうだね。近いうちに、きっと行こう」
「何言ってやがる。なにがなんでも、行くんだよ」

なにがなんでも、とベクターは繰り返した。


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20181019:べくたー定期的に書きたくなる病。海へいく話かきます。影響されやすさ。
 
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