花の名は、後/権現坂昇


当然だが、俺の家とは何もかもが違っていた。
なまえは、へらりと笑いながら「権現坂くんが居る」なんて呑気なことを言っている。けれど確かに、もしなまえが俺の部屋に来るようなことがあれば、俺もまた同じように「なまえが居る」なんて思うのかもしれなかった。
と言うか、なまえが、俺の部屋に居る、状況とは一体。思考があらぬ方向へと行く前に、借りたタオルで濡れた箇所を乱暴に拭い、どうにか暴走気味の考えも拭い去った。
とは言え、ぎこちないのはなまえも同じで、自分の部屋だというのにキョロキョロとしたあと、はっとして立ち上がる。

「とりあえず、お茶いれて来るね」

両手を打ち鳴らしていつも通りに努めようとしている。が、ぱあん、と鳴らした手の音は、思いのほか部屋に響いて、二人揃って少し笑った。
どうにかこうにか落ち着きを取り戻して、なまえが去っていった部屋で大きく息を吐く。吸い込むとまた、花やハーブの匂いがして、しかし、なまえの匂いだ、と思わなければ心の落ち着く良い香りだ。

「おまたせ。お茶と、よかったらお菓子も食べて」
「ああ」

お茶と、お菓子、と言っても俺が普段目にするようなものではなくて、秋色の紅茶と、ふわふわとした、クッキーがトレイに載せられている。
どこを切り取っても甘くて落ち着かないが、実になまえらしいもてなしである。
お茶を受け取ると、湯気と一緒にふわりと。

(これは、)

嗅いだことのある香りが広がる。
いつもいつも、良い匂いだとは思いながら、なんの香りかは分からなかった草花の香り。なまえの体に染み付いた、これが、なまえの香りの正体だ。なるほどお茶の香りだったのか。
どうしようもなく惹かれて一口含むと手元から体の中からなまえの香りがするようで、くらくらする。血液がうまく循環していない。
紛らわそうと菓子に手を伸ばすが、ちっとも、体の調子は戻らない。
なまえの、香りが、している。

「えーと、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ! 漢権現坂、この程度で平静を乱されては不動のデュエルなど……!!」
「んん……、ほんとに平気?」
「もちろんだ!」

「なら、いい、けど」なまえは不安そうにしているが、なまえが不安そうにする必要など一つもなくて、俺が無意味に慌てているだけだ。しかしどうにか、どうにか空気を変えたくて、新しい話題に手を伸ばす。ちょうどいいものがある。彼女は確か、ここに来る前、デッキも見て欲しいかも、と言っていた。

「そ、それで、デッキだったか?」
「え! 見てくれる!?」
「ああ! 男に二言はない!」
「助かるなあ。ありがと! ちょっと待っててね」

なまえはカバンからデッキを取り出してカードを数枚床に並べる。相談事は決まっているらしい。カードを確認するために身を乗り出す。なまえのデュエルで見たことのないカードがいくつか出てきた。効果がよくわからないものもある。テキストを確認するためにさらに近付く。

「これなんだけど、」

なまえの声が途中で止まったから、不思議に思って顔を上げる。
ぱちり、となまえと目が合った。距離は数センチ。良くぶつからなかったものだ。
俺は慎重に唇を動かして声を出す。

「すまん」
「う、ううん」

なまえもいつもよりずっとゆっくり、そして小さく首を振った。
そうして徐々に適正な距離へ。
離れていく。離れていくのに、吸い込む空気の全てから香り立つ。耐えられなくて、なまえの肩を掴んで、気付くとこちらに引き寄せていた。「権現坂くん」と、なまえからの呼び声に、俺はどうにか言い訳を探す。

「……花の、香りが」
「花?」

正確には、花が、と言うか、なまえの香りなのだけれど。
なまえもすん、と鼻を鳴らす。
どこまでわかってもらえたのか、どこからわかってしまったのか。なまえは俺の肩のあたりで穏やかに笑っている。

「気に入ってもらえたなら、良かった」

お茶の話をしていると、思ってくれていたらいいような。お茶の話なんかではないと気付いてくれたらいいような。言い逃れる道を探す俺であったが、なまえは簡単に、正しく全てを肯定してしまう。するり、となまえの手のひらが俺の背に回された。

「私でよければ、いくらでも」

ずっと、今の今まで、なまえは緊張して体を強ばらせていたのに。力を抜いて、すっかり安堵していた。

「ちなみに、このお茶の、花の名前はね、」

外が雨であることなんてすっかり忘れて、まるでここだけ、花畑のようだった。


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2018127:いい匂いって媚薬みたいじゃない?
 
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