→happy(04)/ベクター


家計簿のようなものと睨み合っていると、意識が途切れそうになる夜。ふと、仕事の終わりが見えてくると、思考が横道に逸れ出した。
気持ちよく眠れることと気持ちよく起きられること、が、最近までわからなかったけれど、わからなかったはずの心地よさを「懐かしい」と感じるのは、つまり、私が本当はその感覚を知っていたからにほかならない。
日々いろんな記憶が戻ったり、人間らしく忘れたりして生きている。
ベクターもそうであるのだろう、時折、今の私とかつての私を重ねて、懐かしそうに目を細める。きっと私もやっている。結局のところ、私はと言えば、ベクターがベクターらしく生きてくれれば文句はないのである。

「……」

とは、言うものの。
今の状況が正しいのかどうかは分からない。ちなみにカイトには「世話を焼きすぎじゃないのか」と怒られた。カイトもハルトの世話を焼きすぎるのであまり説得力はない。

「昔はあれだ、立場がわかり易かったからなあ……」

皇子と従者だった時代が懐かしい。
私のやることは明確だった。今もうっかりそう立ち回ってしまっているが、果たして私はこれでいいのだろうか。そんな思いはいつもある。きっちり立っているように見えて、悩んでばかりだ。

「でもまあ、きっと……ん?」

ソファで大きく伸びをする、体をぐっと後ろに反った、目を開けると、視界に逆さまのベクターが立っている。
なんだか複雑な顔をして、両手にマグカップを持っている。お茶を用意してくれたらしい。だが、私が独り言を言い出したのでそこで立ち止まって聞いていたようだ。

「…………きっと、なんですか? なまえさん」
「あー…………、お茶いれてくれたの? ありがとう」

マグカップに手を伸ばす、手を伸ばすと、ひょい、とカップは私の指から逃げていった。触れることもできない。

「きっと、なんだ?」

私はもう一度息を吐く。溜息にならないように気をつけながら背中をソファに沈める。ゆっくり息を整えた。

「きっと、私はこういう立ち回りしか出来ないだろうってね。眠くて仕方がなかった頃ならいざ知らず、今は色々出来てしまうから、やれることは片っ端から手を出してみたくなる」
「それは」

ベクターが微かに喉を震わせた。
私は次の言葉を待っていた。

「相手が」

誰であっても? いいや、あるいは、俺じゃなくても? であろうか。
ベクターは何かを言いかけたが、言いかけた言葉を飲み込んで唇を引き結んだ。私はまたどうしたものかと悩むけれど、少しだけほっとした。何にも気づかなかった振りをして、体を全てソファに預けてゆっくり息を吐いた。
そのまま、お茶を受け取ろうと手を伸ばす。
体を反って手を伸ばすと、ベクターはするりと近くへ入り込んだ。顔と顔がぐんと近付く。近づき続けている。
慌てて体を起こそうとするが、お茶を持ってるベクターに引っかかりそうで躊躇った。
躊躇ったから、その一瞬。

「…………」

お互いに何も言わないまま、触れた額がゆっくり離れる。

「程々にしといてさっさと寝ろよ」

ややあって、私はどうにか「うん」とだけ答える。お茶を片方受け取って、ベクターの背中を見送った。ここでお茶を飲むのかと思えば、自分の部屋に持って行ってしまったようだ。
良かった。
今、私はどんな顔をしているんだろう。
確認するのが怖くて顔を覆った。
コツンと額がぶつかっただけだったけれど、それは結果の話であって、その行動は予測できなかった。私は大きく息を吐く。
キス、されるかと思った。


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20170925:させようと思った。のに。
 
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