→happy(追憶B:05)/ベクター
「よう、俺がわかるか」
そっと目を開けるなまえに声を掛ける。
なまえは数秒ぼんやりとしているが、俺を視界に捉えると、唇はゆるゆると弧を描いた。
「大丈夫だよ、ベクター。最近はあまり、夢の中であれに会わない」
それは多分、こちらの方でいろいろ準備が進んでいるからで。
もうすぐ一区切りつきそうだ。そうしたら、どうするか。ドン・サウザンドには早々に退場してもらうとして、俺たちが滅びるまでずっとここに?
物騒な思考に反して、なまえは本当に変わらない。
遊馬たちと一緒にいた時と、ここに居るなまえは同じ笑顔を作っている。
少しだけ、異常だ。もっと悩んだり迷ったりしてもいいのに、なまえはいつかみたいに隣に居る。
いいや、悩んでいるのかもしれない。だが俺にはいつもそこまで深く読み取れない。なまえはあまりにも戦うことに慣れている。
「それでかな、ちょっとずつ、色々思い出してきたよ」
俺は、瞼の裏に鮮烈に焼き付いたある光景を思い出す。詳しいことは思い出せない。そこに至るまでの経緯は曖昧だ。
処刑台にたった一人にされたなまえに、俺はどうして近付いたのか。なまえはどうして、俺を助けてくれたんだったか。
そう言えば、なまえの体にはいくつも傷があった。昔は包帯をまいて見えないようにしていたけれど、今はと言えば。
「……ベクター?」
なまえが力なく自分の足に乗せている手を取って、するりと袖をまくる。見慣れた傷は一つもない。体は新しくなっているらしい。魂だけがなまえとしての記憶を守ったまま転生した。
そう言えば、俺は俺がナッシュに負けた時以降のなまえを知らない。なまえはあの塔で、あの国でたったひとりの生き残りとして、どうやって生きて、どうやって死んだのだろう。
「最期のことを、思い出せるか?」
「……残念ながら、はっきり記憶としてあるのはベクターに指輪をもらった思い出が最後だよ。その後のことはなんだかうまく記憶が繋がらない」
「ずっとあそこにいたのか」
「どう、だったかな。ほとんど意識もなかったから、自分がどう死んだのか、わからない」
「……その方がいいのかもなァ」
俺はバッチリ覚えているけど、こんなに惨めな気持ちになるものを、こいつが持っていなくて本当によかった。
なまえはなまえのまま。
俺が贈った指輪もまだ持っている。
記憶も戻りつつある。
俺となまえの距離はあの頃のまま。
ここからがその続き。
あの時、見たかった夢の続きを、すべて片付いたなら、その時こそ。
いや、ただ、変わらないことがもう一つある。俺と戦うのはナッシュだということだ。俺は今度こそ、ナッシュの野郎をぶっ殺してやらなきゃいけない。
「なまえ」
「ん?」
「逃げるなら、早い方がいいぜ」
なまえは、眉間にシワを寄せて苦しそうに、しかし幸福そうに微笑んだ。
「なにから?」
ハ、と思わず吹き出してしまう。
そんなものは俺が聞きたい。
なまえが逃げる必要は無い。
なまえは今戦える状況ではない。
なまえに逃げると言う選択肢はない。
それでも不安なのは、いつだって、これが最後になるかもしれないという恐怖があるからだ。
あの日だって、最後のつもりじゃなかったってのに。
「……さぁな」
あいつらの元に帰りたくないはずはない。
気にはなるはずだ。
気にならないふりをしているだけだ。
けれど、結論は一つしかない。なまえは、好んで、ここに居る。
充分だ。
「まあ、ここに居るなら、」
守ってやれる? 戦わなくても良い? そんなことを言えるのか?
声は続かなかった。
一つ呼吸を置いて肩を竦めた。
「お前に自由に動かれるのは困るからなァ。おとなしくしててくれんなら、丁度いいぜ」
そうだ、ドン・サウザンドさえ葬ったら、きっとこいつは楽になるだろう。
その時が来たら、今度は、今度こそ「お前は戦わなくていいのだ」と、本当の意味で、言ってやることができるはずだ。
その時まで、どうか、ここでおとなしくしていてくれ。
お前は、お前だけ、守っていればいい。
そうしたら、俺はーー。
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20170519:次で最後…