→happy(追憶B:04)/ベクター


俺の中から声がする。

「あの女の力を奪え」

ドン・サウザンドはうわ言のようにそう繰り返した。

「あの力は強大だ」

繰り返される。

「もう一押しだ、もう一押しで、あれも我らのものとなる」

そうじゃない。俺はそんなことをするためになまえを連れてきた訳ではない。
うるせえ、お前は黙っていてくれ、俺はただ。

「……?」

折角連れ帰ったなまえであるが、まったく目を覚まさない。
何度見に来ても眠っていた。
しかし、この日は目を開けて、俺の姿をその両目に収めていた。
なまえを閉じ込めているのは、バリアン世界の外れにある塔の上。
いつかのどこかを彷彿とさせる一つの部屋の中。

「よお、起きたか?」
「……ま、って、今ちょっと、ちょっと、待って、ね」

俺は真月零の姿でベッドのすぐ側に置かれた椅子に座る。
なまえは体を起こして頭を抱える。

「大丈夫か?」

大きく呼吸を繰り返して上下する体。黙ったまま息だけをしている。

「ごめん、ちょっと、お願い、なんだけど」
「……ああ、なんだ?」
「名前を呼んでみてくれる?」
「名前を……?」

なまえは相変わらず深刻そうに頭を抱えて俯いている。彼女はどこにいるのだろう。だんだんと見ているこっちが不安になってくる。

「なまえ」

俺がそうして呼ぶことで、なまえは救われるのだろうか。

「なまえ、俺がわかるか?」

なまえは恐る恐る顔を上げる。その顔は見たことがある。必死になにかを探している。探す理由はわからないけれど、それでも手放すわけにはいかないと手探りで、どれだけ汚れても、その手を、思考を止められない。指輪を探していた時と同じ表情だ。
頭から離れた両手のうち片方の手を取ると、小さく震えていた。

「ああ……、そう、そうだ。私はなまえで、君は、真月くん……? いや、ちがう……? そうじゃない……、どうしてだろう? 私は貴方のことを、そんな風に呼んでいなかった気がする……。私は貴方のことを知っていて……ずっと昔に、昔……」

視線を落とすと、なまえは自分の胸元に、揺れる金色の指輪を発見する。
確認した瞬間から、なまえの目に光が戻る。

「ベクター……?」

明らかに、記憶があちらこちらに飛んで跳ねて、混濁してしまっている。
それでもなまえは俺のことを間違えなかった。

「大正解だ。お前、今、一体どうなってる?」
「その前に、なんだけれど、私は、真月くんを助けに行くって言う遊馬くんについていって、三人のバリアン、名前は確か、ドルベとミザエルと、ベクター? だよね? 凌牙くんとカイトと遊馬くんがデュエルしていたところを見届けた後に、ベクターのところに行ったと思うんだけれど、合ってる?」
「……他のことは思い出せるか?」
「真月くんは分身だった、って話しをしてた気がするね」

空いている手で額を押さえて、淡々と、事実のみを確認する。

「ヒャハハハハ! まるで他人事みたいに言うじゃねえか!」
「そうか。うん。大丈夫、思い出して来た。間抜けなことに岩に頭をぶつけたんだね。それで気を失った」
「んん? 記憶が混濁してんのは、頭ぶつけたせいか?」
「どうだろうね。ちょっと気を抜いて寝すぎるとこうなるから、それかも」
「気を抜いて寝すぎると? いっつもよく寝てんじゃねえか」
「そうなんだけど、あまり深く眠るとってこと」
「どういうことだ?」
「……話を、してもいいの?」
「それが異常だってわかるうちに話しておいたほうがいいに決まってんだろーが。他に知ってる奴は?」
「他には、誰も」
「何やってんだお前は。さっさと話せ、またいつ寝ちまうかわからねえし、このベクター様が聞いてやる」
「……いいや、でも、この話しは」
「早くしろ」
「……」

ゆらりと揺れる瞳は伏せられていたが、たった一回の呼吸の後には、強い光を取り戻す。
それにやけに安心した。

「……夢のなかで、暗い場所から呼ぶ声がするんだよ。気を抜いていると引っ張られて、記憶をいじられそうになる。それが嫌でたまらなくていつもなんとか耐えているんだけれど。向こうもただ引き下がってはくれないっていうか、私が戦う理由を失くすために、記憶を一つずつ奪っているみたい。声の主の口ぶりからすると、どうにも私の力が欲しいっぽくて。そもそもそんなものあったかなってところなんだけれど。私に特別な力なんてないと思うんだけれど。でも、何かあるみたい。……ベクターは、何か知ってる?」
「……、それは、いつからだ」
「もう覚えてない」
「覚えてないくらい昔ってことか……」

俺はなまえの手を離して、すぐに立ち上がる。

「……どうかした?」
「ちょっと待ってろ」

何か知っているか、というなまえの質問に答えることもなく、その部屋から一時的に退出する。もちろん、俺と一体化しているドン・サウザンドと話しをする為である。
声も届かないように、部屋から離れて、そうして壁に背を預ける。問いかければすぐにドン・サウザンドの返答が帰ってくる。

「どういうことだ」
『あの人間は、アストラル世界を滅ぼす為の大きな力となる』
「例えそうだったとしても、そんなこと許すわけねえだろうが。あいつにちょっかい出すのを今すぐにやめろ」
『ベクター、我々の目的を忘れたか』
「いいからなまえには手を出すんじゃねえよ」
『あれの所有する力の強大さがわからぬお前ではないであろう』
「今更人間の力が必要か?」
『我らの野望をより磐石とする為に』
「ハッ! バリアン世界の神ともあろう者が随分弱気じゃねえか。とにかく、この件について俺は一切協力する気はねえ。今すぐなまえの意識から出て行きな」
『そうか』

その言葉は諦めからくる言葉であったが、全てを諦めたわけではない。ドン・サウザンドは、俺を説得することを諦めた。
そして早々に自らが行動する。

「ならば、少し体を借りるぞ。ベクターよ」

一瞬で、ぐるりと意識が反転した。
体を乗っ取られた。バカな。俺ともあろうものがこんなに簡単に肉体の主導権を奪われるなんて。いいや、違う、驚かなければいけないのはそこではなくて、なまえがいまだになまえで居られるのは、何度もこれに耐えているからではないのだろうか。
俺の意思とは関係なく、ドン・サウザンドはなまえの居る部屋に戻っていく。
やめろ。
呟いても返事はない。
やめてくれ!
叫ぶけれど止まらない。
部屋の扉が開けられる。なまえはまだ起きていて、ゆっくりこちらを見る。目を合わせると、なまえはすぐに目を細める。眉間に寄った皺は、なまえの警戒心の表れだった。

「……ベクターじゃ、ないね?」

なまえはベッドから出て、俺の(ドン・サウザンドの)正面に立った。不安を感じさせない強い目をしている。敵地に幽閉されてたった一人。こんな時でも、なまえの両目はただまっすぐだ。

「流石、というところか。こうして直接お前の前に立つのは初めてであるはずだが」
「何年の付き合いだと思う……? おかげで貴方のことは雰囲気でわかるよ」
「それならば、説明も不要であろうな」

ドン・サウザンドはなまえへ手をかざす。

「なんだろうね。ここはバリアン世界だから、貴方の力も上がっているのかな」

なまえは自身の手のひらを見つめる。

「さあ、我の力となるがいい」

なまえはぎゅうと拳を握る。握った拳を胸の中央に押し当てて、ゆっくりと目を瞑った。
数秒間、なまえが何を考えていたのか。俺にはわからない。

「たぶん、やめておいたほうがいいよ。夢の中ではなにがなんだかわかっていないけど、今は意識がはっきりしてるし、なによりも」

なまえを取り込もうとかざされている指先がぴくりと震える。
俺の体が息を飲む音がする。
ドン・サウザンドの手が暗く輝く、その闇の光よりも強くーー。

「目の前に、抗う理由がある」

なまえの意思はひたすらに輝く。

「なんだ……!? まだこんな力が残っていたのか……!!」

光が部屋を埋め尽くす。この力はなんだ。バリアンの力ではなくてアストラル世界の力でもなくて、いいや、だが俺はこの力に名前をつけることができる気がしていた。ひたすら強くてなまえらしい。ずっと、気が遠くなるような昔からなまえが守っていたもの。奴らが持つような綺麗なものじゃない。かといってドン・サウザンドのような闇の力でもない。
これは、ただの意地である。
その中に、なまえは居る。

「バカな! その程度のもので我が押されるなど……!!」

その程度、とバカにしたが、なまえの強さはそこにある。
なまえの心を圧し折らなければ、なまえの敗北はない。

「ぐっ……!! そのような理屈があってたまるものか……!!」

それでも数秒と持ちはしなかった、情けない悲鳴とともにドン・サウザンドは俺の中に引っ込んでいった。俺にだってこの光は眩しいが、この強さが俺に牙を向いたことは今の今まで、一度だってありはしない。
ぱちり、と瞬き一つすると、なまえがそこに立っていた。

「……相変わらず、無茶苦茶な奴だな」
「ーー」

なまえはふらりとベッドに倒れ込む。
意識を失ったら、きっとまたドン・サウザンドと対峙するのだろう。
俺が近付いて顔を覗き込むと、なまえは薄く目を開く。深く長い息をして、額には汗が滲んでいる。今すぐにでも眠ってしまいたいだろう。俺に文句を言ったっていい。
なまえは、俺を確認すると胸を撫で下ろして、俺達の一番古い記憶にある、あの笑顔を作ってみせた。

「よかった」


------------
20170516:決闘者は気持ち高まると発光するしいいかなと思って…
 
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -