→happy(追憶B:02)/ベクター


バレてはいけない。バレてもいい。もし本当なら気付いて欲しい。気付いて欲しくない。気付かれてはいけない。
ぐるりぐるりと思考を回すのは、停止させたら近寄ってしまいそうになるからだった。
あれは違う。
あんなことがあってはいけない。
真月零、俺は(僕は)できる限りなまえに近づかないようにしていた。近寄ると、ついうっかり余計な話しをしてしまいそうになる。しかし近寄らなければ近寄らないで、あいつの隣には大抵カイトだのハルトだのがくっついていて、向こうがこっちを気にする様子はない。腹立たしいからできるだけ目の前に現れないで欲しい、現れるのなら一人で現れて欲しい、などと、最早何を考えて何を言っているのかさっぱりわからない。
ともあれ、そんな理由で真月である俺はなまえとの接触を避けていたのだ。
だが、真月であろうとする以上避けられないこともある。
例えば、土手で、なくした指輪を一緒に探して欲しい、なんて頼まれた時。
「よかれと思って! 他のみんなにも声をかけますね!」なんて言いながら、意気揚々と付き合うしかない。

「どんな指輪ですか?」

なまえではなく遊馬に聞いた。

「金色だって言ってたぜ。詳しい柄とかは、ちゃんと見たことないからわかんないんだけどさ……。悪いな、真月……もとはといえば小鳥が……」
「遊馬がなまえさんにぶつかったんでしょ!」
「あはは、まあまあお二人とも」

なまえをちらりと盗み見る。
青い顔をして、草をかき分けている。そんなに大事な指輪だったのだろうか。例えば遊馬は両親から残されたあの鍵を大層大事にしているけれど、なまえの指輪というのは、誰からもらったものなのだろうか。ただの気に入り、であるのなら(それでもショックではあろうが)あんな必死な形相で探す必要もなさそうなものだ。
いつも仲良くしている、天城カイト、からだろうか。
そんなものを探してやる義理もなければ一生見つからなければいいと思うが、モチベーションを保つために考える。例えばそれを真月が一番に見つけて、見つけた! なんて騒いだ拍子にすっ転んで、そのまま川に放り込んでしまうというのはどうだろう。ああ、それは、悪くない。
そこまでしたら、きっとなまえも諦めるだろう。見たことのない、記憶にない、絶望みたいな顔が見られるだろうか。
それは。
そんな、顔は。

「僕、あっちの方を探しますね」

いいや、このなまえがどれだけ哀しもうが苦しもうが、俺には一切関係ない。
俺まで心を傷める必要はこの世のどこにも存在しない。
そこからは、果たしてそれは遊馬の人徳なのか、なまえの気を引くためなのか、捜索隊は勝手に拡大していった。

「あら? 皆さん宝探しかなにかですか?」
「璃緒さん……、実はなまえさんの指輪がね……」
「それは大変ですわね。凌牙、私たちも手伝いましょう」
「はあ? どうして俺まで……」
「いいから! この前なまえさんにお菓子をいただいたでしょう?」
「……」

遊馬も小鳥も諸悪の根源である故に声を揃えて「ありがとう」とまずこの兄妹を引き込み。
何時間か経った後に、カイトにハルト、オービタルまでやってきた。

「……、これはなんの遊びだ?」

なまえはカイトの言葉に久しぶりに顔を上げて、「指輪が」とだけ言った。切々とした一言に対して、三人はきょとんと顔を見合わせて「指輪?」と揃って声を出した。

「……お前がいつもつけている、金色のか」
「そうそれ……、ちょっと見つけるまで帰れないから、もうちょっとかかる……ごめんね」
「僕も手伝うよ!」

俺はそのやりとりを眺めている。
カイトの反応を見ていると、どうやら、指輪はカイトが渡したものではないようだ。川に放っても良いことあまりないのかもしれない。
ハルトに「ありがとう」とだけ告げて捜索を再開するなまえ。カイトはそれを見下ろして、オービタルはそんなカイトを見上げたりなまえを見たりと忙しそうにしていた。
カイトは時間を確認して、なまえと同じ目線になるため膝をつく。

「もうすぐ暗くなる。そうなればもう見つからないだろう」

なまえは一瞬顔を上げるが、寂しそうに少し笑って、視線を草の根に戻して指輪探しを続行する。

「うん」

頷くなまえは今にも泣き出しそうな声で、カイトはぎり、と奥歯を噛んだ。

「諦めたらどうだ」
「私は、諦められない」
「お前が諦めなければ、他の奴らも手を引けないだろう」
「ごめん、それでも」
「もうあれにこだわるのは、」
「カイト」

なまえはもう一度顔を上げる。

「ごめんね。私はあれを、持っていないと」

カイトはぐ、と拳を握って、それから数秒何かに耐えて、どうにか冷静でいようと大きく息を吐き出した。
「カイト様……」とオービタルは未だ身の振り方を考えていた。俺はますますわからない。その指輪というのは、本当になまえが心の底から理屈ではなく大切にしているものらしいということが見え隠れする。のに、カイトはそれを見つけてほしくなさそうに、さっさと諦めろと言わないばかりになまえに言葉を投げている。
例えばそれが自分が渡したものならば、ああも不機嫌になる必要はないし、弟からのものなら自分もすぐに捜索に加わっているはずだった。なまえの家族からの贈り物の線も同様だ。

「……いいか、日暮には引きずって帰る。それまでは探すぞ、オービタル」
「! カシコマリ!」

なまえは申し訳なさそうにハルトに言ったのと同じように「ありがとう」と微笑んだ。
金色の指輪。
そんなものをしているのを見たことはない。ネックレスにして首にかけていたのだろうか。確かに、言われてみれば細いチェーンが首元で光っているのはみたことがあったかもしれない。指輪は服の中か。
それにしても、銀ではなくピンクゴールドでもなく、金とは。
確かいつだか、なまえに贈った指輪も金色だった。
あれにはある文字を彫らせてーー。

「……?」

かつ、と指先に冷たいものがぶつかった。
草を分けて、地面を見つめる。
金色の、指輪だった。
凹凸の少ないシンプルなデザイン、埋め込まれた石がきらきらと輝いている。すぐ近くにはチェーンも落ちていて、これはきっと、なまえの探している指輪に違いないと思った。
すぐに声をあげられなかったのは、見たことがないはずのその指輪に、やけに見覚えがあったからだ。
遠い昔。
遥か、魂の奥にしまいこまれた記憶。怨霊と亡霊の棲みつくその場所だが、ある時々だけは変わらず輝いて。
指輪を拾い上げて、恐る恐る内側を確認する。
これがもし、あの指輪ならば、あれが刻まれているはずだ。
指先が震える、荒くなる息を抑えるために、身体中のエネルギーを呼吸に集中させる。このあたりだけやけに酸素が薄い。視界すらも霞がかって、とうとう指輪が三つに見え出したけれど、目を凝らしてその場所を見つめる。

なまえ

と、この文字を彫らせたのは。これを贈ったのは。

「あ、真月くん! もしかして!!」

小鳥が叫ぶと、全員の視線がこちらに向かう。
真っ先に近寄ってきたのはなまえだった。痛いくらいに手を握られて、なまえはしばらく、俺の指に握られている指輪を凝視する。それから、すっかり緊張の糸が切れたのか、ずるずると土手に沈んでばたりと倒れた。
ごろりと仰向けになると、両手のひらで両目を覆って、ただそれだけだと声を上げる。

「よかった……!!」

泥と土手の草と、それから肩からはバッタが跳ねて、なまえは起き上がると、くしゃりと顔を歪めて。

「ほんっとにありがとう! 真月くん!」

とてもじゃあないが、川に自分ごと滑り落ちることなどできなかった。
いいや、それでも、まだこの時は否定していた。
これはどこからか、例えば古物商なんかを転々として、なまえが偶然同じ名前が彫られているものだからと手に入れて、特別大切にしていただけだと、あのなまえがこのなまえで、あの時代に贈ったものが、この時代まで残っているはずがない。こっちのほうが現実的だ。ありえないことはありえない。

「きれいな、指輪ですね。誰かからもらったものなんですか?」

はじめはぼんやりとした夢だった。一人の女の夢だった。けれど夢を手繰ってどうにか思い出そうともがいていると、キラキラとした記憶をいくつも見つけた。俺も全てを覚えているわけではない。けれど、きっかけがあるたび一つずつ思い出す。女の顔、女の名前、なまえの声、なまえの性格、なまえと交わしたいくつかの会話。
どうして人間の女の記憶なんざあるのかわからなかったが、その女のことを、なまえのことを、これ以上はまずいと考えないようにしだした時にはもう遅くて。
本当は、もう一度会いたかった。
本当は、また名前を呼んで欲しかった。
本当は、ずっと探していた。
本当は。

「ううん、これは、私が生まれた時から手に握りしめていたものなんだって」

本当はわかっていた、こいつがあのなまえであることくらい。そして俺は、あの、ベクターだった。

「見つかって良かった。本当に、ほんっっとにありがとうね。真月くん」

いつもみたいに、「はい」と答えて、そうして笑っていただろうか。そうだったらいいと思う。
けれど、なまえは忘れている。いつだか、俺の名前を奇跡みたいに呼んだけれど。それだけだ。それっきりなにもない。だが、もう諦めて認めてやる。こいつがなまえだということは認めてやってもいい。けれど、俺はバリアンのベクターだ。こいつは人間でなまえである。
このまま何も思い出さないうちに、さっさと消えてもらった方がいいのかもしれない。
何も思い出さなければ、こいつが必要以上、苦しむこともない。

「……?」

指輪を渡す、その指先はもう震えていない。
無情で無慈悲で、そこにはいっこの痛みしかない。
なまえはどこか遠くを振り返るように言った。

「……なんだろう……、前にもこんなこと、なかったっけ……?」

思い出さないで(思い出して)。


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20170511:読んでいただいて本当にありがとうございます。
 
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