→happy(追憶:4)/ベクター


本当の敵は、王などではなかったのだと、その日私は思い知る。
度重なる戦いの果て、王が倒れてしばらくの後、戦い続けていた隣国とは和議を結ぶ運びとなった。
取り仕切ったのはもちろんベクターである。
私は王妃様に、くれぐれもベクターを頼むと言われ、護衛に護衛、主に護衛にと奔走していた。
疲れ切った民の表情にも希望が戻った。
王妃様も立派に執務をこなすベクターを見守っていた。
だからあの日は、少し、油断、していた。
叫ぶ声が聞こえて、その部屋に入った時には、もうすべてが終わっていた。(はじまっていた)

「ベクター様、怪我は!? 無事ですか? お二人は一体、どう、し、」

剣を片手に、ベクターは一人で立っていた。
王と王妃は床に倒れている。
状況が把握できずに、ひとまずベクターに駆け寄るが、見たことのない目をしている。
自信と誇りに満ちたきらきらとした瞳は、今、なにか邪悪な夢を見ているようで、暗く濁ってしまって、思わず一歩踏み出すのを躊躇う。
ベクターではない、彼は、なんだ。

「なまえ」

声も違う。
私はじっとベクターを見るが、やはりなにか、ベクターではないものが、中に居る。

「ベクター様、これは……、なにがあったのです?」
「なまえ。ここには俺とお前しかいない。いつもみたいに呼べばいい」

ベクターは剣を収めて、私の腕を強く掴んだ。彼のなかにいるものの正体が掴めない。
彼はまだベクターなのか? 私の知っている彼なのか? 私になにができる? 敵はなんだ?
黙っていると、ベクターの冷え切った指先が私の頬に触れた。
あの優しい皇子はどこかで助けを待っていない? この皇子は。

「死んじまった奴らのことなんか気にするなよ。なァ? まあ正確には、俺がぶっ殺してやったんだがな? どうだっていいことだよなァ。今この瞬間をもって俺が王になった。それだけわかってりゃあ十分だろう?」

殺した?
ベクターが王妃と王を?
いいや、それは、それはない。そんなはずはない。それは嘘だ。
深い紫色がギラギラと光る。私はただその瞳をじっと見つめていた。
何が起きた? なにかに取り憑かれた? なにかって、なんだ。

「なまえ」

ベクターが私を呼んでいる。

「……ベクター?」

乾いた空、何かを求めるような灼熱。このベクターはそんな瞳でこちらを見る。
私が名前を呼ぶと、安堵したように目を細めた。邪悪にひくつく口元で、声に混ざるのは渇望と狂気と、あとはぐちゃぐちゃになっていてわからない。
ぎち、と掴まれている腕に力が込もる。
引き寄せられるまま近付くと、余計にわからなくなる。

「ああ、ああ、そうだ、なまえ。それでいい。お前はそれでいい。ただ、俺の名前を呼べばいい」
「ベクター……」
「ん、どうした?」
「……」

彼は違う。
のに。
どうしようもなく、ベクターだ。
きっと野放しにしてはいけない。ここで止めなければいけない。最悪国が滅びるかもしれない。警鐘が鳴る。けれど動けないのは、彼が私に一切の敵意を悪意を殺意を見せないからだ。どうして彼は、こんなに変わってしまったのに、私の腕をただ掴んで、名前を呼ばせて。こんなのは、どう考えたっておかしい。
黙っていると、彼は深く息を吐いて、ようやく腕を握る手の力を緩める。
私はどうしたらいい。
誰か、教えて。

「私は、どう、したら」

ベクターはただ笑って、とうとう私を腕の中に閉じ込めた。

「なにもしなくていい」

彼は違う。
だが、本当に? 私は彼を否定できるのか?

「なまえ。もうお前は、戦わなくていい」

その望みは、彼のものであったはずだ。
彼が心から望んでいたことだった。

「ベクターは、どうするの」
「決まってるだろ?」

ゆらり、彼に取り付く闇が見える。

「俺は、この世界を血の海にするために、生まれてきたんだぜ」

もし本当に、一刻も早くその野望を実現したいと思うなら、私を使わない手はないはずだ。武器を持っている私を無防備に抱いたりするべきではない。これではまるで、本当に、私がなにもしないことを望んでいるみたいだ。
そうして気付く。
彼がこうなってしまった、彼を追い詰めていたのは、あの王だけではない。
付け入る隙を与えたのは、私も同じだ。


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20170507:まるで、この瞬間を待っていた、みたい。
 
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