→happy(追憶:3)/ベクター


その日書庫に居たのは、ある調べ物をするためであった。
文字も大分覚えて、大抵の書物は読むことができるようになっていて、簡単な調べ物ならばできるようになった。
それに、戦ってばかりの時は考えもしなかったが、こうして本に埋もれて調べ物をするというのもなかなか楽しいもので、うっかりすると一日中本と向き合っていることもある。
ベクターは、なまえの姿が見当たらないときは自室よりも先に書庫に探しに来るのだという。
それはおそらく正解だ。

「なまえ、調べ物ですか?」

棚からひょこりと顔を出して、ベクターは森に降り注ぐ太陽光のような穏やかさでもって笑顔を浮かべる。眩しくて、こちらも自然に目を細めてしまう。
私は周囲の人の気配を探る。
書庫には自分以外居なかったし、ベクターもベクターで付き人の一人もつけずにここまで来たらしかった。

「少しね。縁起物っていうのを調べてたんだよ」
「縁起物ですか……?」

二人でいる時は気軽に接して欲しい、というのがベクターの願いであった。無論それだけではなくて、私ももうすっかりベクターと友人のつもりで居た。隣に居ることで気が休まるのなら、そんなに良いことはない。
私は一度本を閉じて体に積もった埃を払った。

「そう。侍女の一人が兵士の誰かと結婚するとかで、なにか祝いの品でもと思って」
「そうなのですか! もう何を贈るか決まりましたか?」
「まだ。贈り物なんて滅多にしないから難しくて」
「滅多に……?」
「え、してる? 贈り物」

野良で兵士の真似事をしていた時など、人と話をすることすら稀であったのに。
ベクターの傍に居ることで、大分人間らしく人と接したりするようになりはしたし、ある程度の教養も身につけはしたものの、相変わらず友人と呼べる人間は少ない。誕生日やその他良いことを祝い合うことなど、

「ふふ、していますよ。なまえは」
「そう……?」

している、のだとしたら、それはベクターにだけだろう。
あとは覚えがない。
腕を組んで首を傾げるが、やはり覚えがない。

「貴女の作った甘味などはどうですか?」
「んんー……?」
「では、ハーブは? とてもいい香りがして良いと思うのですが」
「いや、ハーブはだって、いつでも摘んで来れるよ……?」
「その人たちにとっては、そうではないはずです」

ベクターは笑っていて、縁起物について教えてくれる気はないらしい。それどころか、下手な縁起物よりも、私が作ったり栽培したりしているものの方が良いと言っている。
喜ばしいことではあるが、本当にそうだろうか。海に住む、縁起の良い赤色の、大きな魚とかをもらう方が嬉しいのでは。ベクターは少し呆れて「そういう場合もあるとは思いますが」と息を吐いていた。
そのまま少し寂しそうに、ぽつりと問う。

「なまえも、いつかは、結婚したいと思いますか?」

私は大して迷わずに答える。

「私はいいよ。そういうのは」

ベクターは弾かれたみたいに顔を上げてこちらへ詰め寄る。

「何故!」

少し驚いたが、何故、というほどのことではない。
いいや、理由はいくつもある。この国で私を女として見ている異性などいない。ほとんどがあの処刑の噂を知っているし、体にはいくつも傷が残っている。髪を伸ばしてみても女性らしさは見当たらない。戦う女など嫁に欲しがる家はない。料理を習ってみても菜園を持ってみてもどこか違う。町娘のような快活な優雅さは得られなかった。
それに、あの時、あの時の王様の目をよく覚えている。
あの人が生きている間は、ベクターから目を離すわけにはいかない。
国がどう、国民がどうと、私はそんなに大きなことを考えているわけではなくて、ただ、ベクターが生きていてくれるのならそれでいい。
などと、言えば、この皇子はわかりやすくむくれるのだろう。
そんなのはいいから、と言うのだろう。

「想像できないから。私が女として幸せに生きる、そんな未来が、想像できない」

だからただ単純に興味がないフリをしてみせる。

「それにちょっと強すぎるでしょ、私は」
「そ、そんなことはありません! なまえ、なまえはとても、その、」
「ありがとう」

いつもみたいに頭を撫でて、本を片付ける。
これからベクターは皇子としての仕事があるし、私は私で行かなければいけないところがある。
祝いの品については、もう少し考えてみて、何も浮かばなければベクターが助言をくれた通りにハーブを加工して綺麗な箱にでも詰めて渡そう。

「なまえ」

声は、少し震えていた。
けれど、その鮮やかな紫色は真っ直ぐにこちらを見据えていた。薄暗い書庫でも、その輝きは失われない。

「もし、もしも、この国から争いがなくなって、平和の道へ進んでいける日が来たのなら、」
「ベクター」

ベクターは肩を震わせて、そうしてそっと俯いた。表情はよく見えなかった。

「なまえを愛してくれる人は、必ず現れますよ。そして私はいつか、貴女が戦わなくても良くなるような国を」
「うん。私も、できることは全部やる」

わかっていた。知っていた。
だからこれは、ただの逃げだ。私は逃げただけだった。
その立場が怖かったわけではない、その言葉を信じられなかったわけではない。
今となってはすべての言葉が言い訳だ。
うまい綺麗事など一つも思いつきはしない。
だが、いざとなれば、立場など捨て去ってなりふりかまわず守るために。
あの、凶悪な王から、この優しい皇子を守るために。
持ち物は、できるだけ少ない方がいい。それが私が出した結論だった。


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20170506:捏造100%でほんとうに申し訳ないような自己満足でね……
 
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