奇跡の瞬間/了見
暇をしている訳では無いが、なまえの様子を見に来る時間くらいはある。最近はすっかり開き直って街に彼女の姿を探す。と言っても、大体の位置はいつもわかっているのだけれど。
今日は学校が終わると家にも帰らずに真っ直ぐ図書館に向かっていた。熱心になにか学んでいるようで、毎日ひたすらそのなにかを追いかけている。私の入り込むすき間などないくらい、なまえは必死であった。
気付かれないようにそっと隣の椅子を引いて、音もなく腰を下ろした。読み込んでいる本は人工知能やネットワーク関連のもの。わかってはいるが、ぎちりと痛む胸には気付かない振りをしてじっと、文字を追いかけるなまえの目を見ている。私だから良いものの、他の誰かだったらどうするのか。ふと、館内の空調がこちらを向いて、冷たい風を送り込んできた。耳にかかっていたなまえの髪が、さらりと落ちる。心臓が止まった。なまえはここでようやく本から意識を外し、こちらに気付く。「うわ、」
「……なに?」
「…………、……、なまえ」
「うん」
なまえ、と繰り返す。ここがどこだか全て忘れて、理性を引きちぎって触れたい気持ちを押さえ付ける。なまえはそっと私から距離をとって、本を片付け始めた。手伝おうかと思うのだが、どうにも、体が硬直してしまって動けない。
なまえの姿をまたぼうっと見ていると、彼女も疲れていたのか、ぐらりと体が揺れた。「っ」なまえ、と呼ぶより早く、近くを通り掛かっていた男がすかさずなまえを支えて……。「ごめんなさい、ありがとうございます」……誰ともしれない男に頭を下げて、なまえは荷物を持って椅子を直した。
「……」
「……」
私も無言で隣を歩く。なまえは居心地が悪そうに距離を取ったが、今日ばかりは追い詰めるみたいに距離を詰める。歩きにくいだか狭いだか、なまえから文句が出る直前。
「わっ、」
先程、男がなまえを支えるために触れた場所を掴んで引き寄せた。なまえは一瞬こちらにぶつかったが、すぐ体を離して私の手を振り払った。「離して」なまえは相変わらず泣きそうな顔でこちらを見ていた。長期戦になることは承知しているが、なんとか、もう少しだけでも、笑わせられないものか。
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20190811:イグニスどうなるんだほんと…