青の侵略(3)/海馬瀬人
兄サマは、今日はいつもよりもさらに手早く仕事をして、いつでも時間が取れるようにしている。
オレもいつもよりも落ち着かない。
「兄サマ、もうすぐ姉サマが来る時間だね」
「ああ」
「弁当差し入れてくれるんだってさ!姉サマも最近忙しかったし、今日はゆっくりできるのかな?」
「大して忙しくなくても、忙しくしているだろうがな……」
「それもそうだ」
オレは笑って、ちらりと携帯電話を見た。
連絡はまだ。
「なまえのことだ、仕事が入ったとかで弁当だけここに来ることもあり得る。あまり期待はするな」
「うん、わかってるよ」
なんて兄サマは言うが、姉サマの好きな店のケーキを用意していたり、客人用のお茶の種類もいくつか増えている。
兄サマも期待しているのはわかっているし、それにきっと、オレよりもずっと姉サマに会いたいはずである。
オレは時々会っているけど、兄サマはそうもいかない。
「でも、きっと今日は大丈夫だぜい!」
言うと、携帯が震えて1通のメールが届く。
みょうじなまえ。姉サマからだ。
内容は、「着いたよ」だった。
「来た!」
姉サマは確かに忙しくて、あまりゆっくり出来ないことも、差し入れだけ置いていくこともあるけれど、オレ達との約束を無碍にしたことはない。
約束を果たせない時は、姉サマだって心苦しいのだとわかる。
今日は特に、仕事が、とか、用事が、という連絡はない。
つまりそれなりにゆっくりできるのだろう。
あとは、姉サマの電話が鳴ったりしないことを祈るだけ。
「オレ、迎えに行ってくる!」
程なく、姉サマはここまで上がって来るだろう。
居てもたってもいられずに部屋を飛び出ると、何かにぶつかって、しかしあまり衝撃はない。
肩にそっと触れる手にはあまりにも見覚えがあった。
「そんなに急いだら危ないよ……」
「あ、姉サマ!」
「うん。はいこれお弁当」
「そのへんのやつに持たせたら良かったのに」
「んー、まあ、このくらい持てるよ」
「なまえ」
へらり、と緩んだ笑顔が、オレは好きだ。
兄サマも近くへ来て、姉サマに話しかける。
二人が話をしたり一緒に遊んでいる姿は、もっと好きだ。
頼りになる、って感じ。
「昼時をゆっくり過ごすくらいの時間は確保してきたんだろうな?」
「どうにかね。瀬人は?」
「出来ていないと思うのか?」
「さすが」
たった一言ではあったが、姉サマの言葉に兄サマは上機嫌だ。
「オレも仕事は終わってるぜ!」
「ん、やるねえ」
オレもなにか褒めて欲しくてそう言うと、そっと頭を撫でてくれた。
触れたところからじわりと暖かくて、知らない奴からなら子供扱いするなと怒るところだけど、姉サマがするとまるで魔法みたいに気持ちいい。
不思議だ。
「すぐ食べる?」
「あったりまえだろ! いいよね、兄サマ?」
「ああ」
「じゃあお茶でも淹れてこようか」
「そんなの姉サマがやらなくてもいいって」
「でもこんなこと、完全に業務外でしょ……。申し訳ないからやってくるよ」
「えー!!? じゃあオレも手伝……」
思わず口をつぐんだのは、兄サマの手がすうっと伸びて、姉サマの頭に着地したから。
姉サマよりずっとぎこちない。
「……」
姉サマもオレもしばらく同じ顔をしていたけれど、姉サマが力を抜いてふっと笑ったから、オレも嬉しくて笑顔になった。
「なにしてるの……」
「見てわからんか」
「そうだね……、私もやり返したいところだけれど、瀬人はすっかり大きくなっちゃったから、手、届かないんだよね」
「嘘をつくな」
「いやあ、どうかな」
「試してみるか?」
「やめとくー」
「貴様……」
柔らかく穏やかで、こんなに暖かい笑顔を作れる人間を、オレも兄サマも、他に知らない。
海のような、森のような、湖のような。
兄サマも怒っているわけじゃない。
姉サマもそれをわかっている。
「じゃあ、お茶用意して来るから。あとモクバは、適当にお弁当広げておいて」
「うん! まかせてよ!」
兄サマの掌からひょいと離れて、部屋を出ていってしまった。
オレはそれを見送ってから、姉サマがくれた弁当箱を机に持っていく。
振り返ると、兄サマが自分の手のひらをじっと見つめて佇んでいた。どんなポーズも絵になるぜ。じゃなくて。
「兄サマ」
兄サマは視線を少しだけずらしてオレを見てくれる。
オレはわかっている。
兄サマと姉サマはとても仲がいいけれど、時々、本当に時々、すごく噛み合っていない時があることを。
「姉サマ、笑ってたね」
わかっている。
けれど、オレは二人が一緒にいることが、本当に好きだ。
オレ達はもうほとんど家族なのだから。そんな小さなズレは、深刻に気にするような事じゃないはずだ。
気にする必要なんてない。姉サマも、この場所が大好きなんだから。時間が経てば不安に思ってることもきっと消えちゃうよ。
そうでしょ、兄サマ。
「ああ」
大丈夫。
「相変わらずだ」
姉サマは絶対に、兄サマのそばにいてくれるから。
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20160826:海馬ヘタにしゃべらすと海馬じゃなくなる感とてもむずい。