錆びついた約束04


04---せんせい

触れると爆発するんじゃないか。抑えつけると崩れてしまうんじゃないか。なまえの内包する矛盾した危うさは、俺の精神をじりじりと削っていく。
ただ、多少手荒く扱ったとしても、なまえがどうこうなることはないのだとよく知っていたから、話し合い作戦会議その他諸諸はまた明日以降にしよう、となまえを言いくるめて(言いくるめられてくれて)、俺はなまえを家に置いて外へ出た。「とにかく、今日は、ここでおとなしく待ってろ」と犬か猫に言い聞かせるみたいな言葉になってしまったことは後悔している。「外に出たらダメかな」なまえは俺を見上げてゆるりと笑った。俺は「もうちょっとまともな服を用意してやるから、今日のところはな」などとなまえに背を向けた。「それもそうだね」なまえはもっともらしく手を打って(こういうところ、なんだか真月みたいだ)、「ありがとう。じゃあ、待ってる」と俺を見送った。
とにかく。とにかくだ。もっと冷静にならなければ。また、あの時のようになまえと友人をやりたいと願うなら、なまえをそばにおいておきたいと願うなら。そう自分に言い聞かせるのに、落ち着け、と唱える度に前に進める足は、何かから逃げ出すみたいに速くなった。



いろいろと感情は交錯するし、記憶も浮かんだり沈んだりしている。それでもまずやらなければならないことは決まっていた。気は進まないが、いかないわけにはいかない。場合によってはまた頭を下げなければ。憂鬱だが、なりふりかまっている場合ではない。前と一切変わらないように見えて、所在なさげにゆらりとしたなまえを思い出すと、その他のことはどうだってよくなる。
俺は目の前でぎりぎりと殺気すら放ってこちらを見つめてくる、天城カイトに、「よう」と昨日のことなどなかったみたいに挨拶をした。カイトはきょろきょろと周囲を確認して、なまえはいないようだとわかると、大きくため息を吐いていた。

「……目を離して大丈夫なのか」
「あいつを化け物みたいな扱いするんじゃねえよ」
「実際、化け物だろう」

この野郎。
いやしかし、そうだ。ここで掴みかかって心証を悪くするようなことはできない。俺は確か、実は案外我慢が得意だったはず。ぐっと吐き出しかけた色々な言葉を飲み下して、カイトの言い分を聞いてやる。

「調べれば調べるだけ、あれの存在は意味がわからない」
「…………出生も出自も不明だっつってたな。どういうことだ」
「明確なことはなにも解析できていない、言葉通りだ」

つまり。カイトの調べによれば。なまえは世界の修正と時を同じくして、突然この世界に現れた、と。

「あれは一体どこから来た?」
「俺が聞きたくて来てんだろうが」
「心当たりはないのか」
「ねえよ。あいつは」

なまえは。
気がついたらいなくなっていた。
なまえと一緒にいた時のことと、なまえがいなくなってからのことは思い出すことができるのだが、どうしても、何度考えても、なまえとどうやって別れたのかが思い出せない。最終的に俺だって、今の今までなまえを思い出すこともなかったわけだし、なまえは、つい最近まで、きっと誰に思い出されることもなく、ほとんど、いなかったも同然で……。
ぞ、と体を寒気が走る。なまえは俺と出会うまで、誰にも何も思われることなく、数千年の時を、たった一人で?

「……あいつのことは、俺も、この世界が、こういう形になって初めて思い出した」

カイトはあくまで淡々と可能性の話をする。

「だとするなら、あれは、俺たちでは認知不可能な場所を彷徨い続けていたのかもしれない」

可能性の話は続く。もし、その話が可能性でなく、真実だったとしたら。何故。

「アストラル世界でも、バリアン世界でも、もちろん俺たちが住んでいるこの世界でもないどこかを」
「なんでそんなことになってんだ」
「それこそ、あれに直接聞くべきだ」
「それでわかりゃここには来てねえよ」

何か情報を得られればと来てみれば、とんでもなくありえそうな可能性の話をされて、俺は途方にくれるばかりである。カイトからはこれ以上何の情報も出て来ないだろう。「お前の悪巧みでないのなら、なにかわかれば連絡してやる」言い返す気力をかき集めている途中、ようやく一言目を発せそうだと息を吸い込んだのに、「ただ一つ言えることは、」俺の気など知りもしないカイトは俺の気力の山を蹴り飛ばす。

「あれは、普通の人間じゃない」

うるせえ黙れ。なまえは、なまえだろうが。
風化しかかった気力の端をつかんで、それをそのまま言葉にしてカイトに投げつけた。今の俺にできることは、それくらいだった。



「ってわけなんだよ遊馬くん」

服を適当に選んで真っ直ぐ帰るはずだったが、俺の中にある不安だとか変な焦燥感だとか。そういうものをどうにかどこかへ拭っておきたくて、この微妙な心持ちを誰かに話すことにした。話すことは離すことだ。そう思った時、九十九遊馬の顔が浮かんだ。
もれなく観月小鳥も付いてきたけれど、それはそれ。こいつらの無遠慮なおせっかいこそ、今のなまえには必要かもしれない。
俺はそこそこ深刻ぶって話したつもりだ。しかし、遊馬も小鳥も事の重大さをわかっているのかいないのか、きょとんと目を丸くして聞いていた。俺が話し終わると、手間賃として俺が奢ったシェイクのストローから口を離す。
出てきた言葉は拍子抜けするくらいに軽いものだった。

「へー、大変なことになってんだなあ」
「えらく他人事じゃねえか」

一緒になって深刻になってほしかったわけではないが、そう軽くされてしまうと、考え込んでいる俺の方が間抜けみたいだ。はあ、と大きくため息を吐く。俺の反応を見ても、俺がなにをこうも悩んでいるのかわからないという様子で、遊馬はお気楽に笑っていた。

「まあ、確かにいろいろあったみたいだけどさ。今はベクターの言う通りにおとなしくしてるんだろ? ならひとまず大きなことにはならなさそーじゃん」

いろいろあった。
今は俺の言うことを聞いている。
ひとまずは大したことにはならない。
その通りだ。俺に必要なことは、まず、しっかりと落ち着くことなのかもしれない。いろいろなことが起きて、いろいろ思い出すこともあって、混乱している。だからこんなに胸のあたりがざわつくのかもしれない。焦らず、ため息じゃなくて深呼吸をして、そうして冷静になることこそ、必要なことであるのかも。
俺は至極真面目に思考しているのだけれど、お気楽コンビは能天気に続ける。

「そうよ。考えすぎなんじゃない? ねえそれより! 世界をあげるなんて、なんだか愛の告白みたいね!」

実は、遊馬よりも小鳥の方がずっと前向きなのでは、と思う時がある。
言っていることはわからなくない。わからなくないとも。
だが。
これは、あまりにも。

「小鳥ちゃんの頭はおめでたくていいなァおい」
「なによ! 人がせっかく相談に乗ってあげてるのに!」

ありがたいことに、一瞬、胸に抱え込んでいた全部が吹き飛んだ。この二人に打ち明けたのは正解だったと確信するが、小鳥の言葉を戯れだと流すことはできなかった。
なまえは、そんな軽率なやつではない。

「なら、そのおめでたーい発言に真面目に答えを返すとして、その線だけは絶対にないぜ」
「どうしてよ?」
「どうしてもこうしてもねえんだよ。あいつに限って、それはない」
「そう思ってるのは、ベクターだけかもしれないじゃない」

なまえは、ずっと、確か最期の時まで男の格好をしていたのだ。それは、なまえの覚悟の現れだった。世界をやる、その為には女であってはやりずらい、そもそも、自分が女であろうが男であろうが関係がないと思っていただろう。ならば。女にしかできないことは、自分より女である人間に任せよう、と、驚くほどの貪欲さで潔くなっていたのだ。
今も、だろうか……? 今も、なのかもしれない。俺はやはり、こいつら程明るくはなれず息を吐く。

「どっちにしろそんなことは本人にしかわからねえ」
「ってことは、やっぱり、記憶が戻らないとどうにもならないんじゃない?」

遊馬はそろそろシェイクを飲み終わりそうだった。ストローで音を立てながらしきりに頷いている。その通りだ。外野がどれだけ考えても、なまえが本当に今考えていることはわからないし、なまえだって、記憶が曖昧である限りよくわかっていないはずである。(でもきっと、なまえはあの約束を守りたいと思っているのだ。それしか持っていないのだから、当然かもしれないが)
世界をあげる、ってそもそもなんだ?
世界征服? 世界を血の海にするために? 力で捻じ伏せて、人間の秩序をぶっ壊す? なまえの向かう先が、俺がかつて居たあの場所であったのなら……?

「……、あいつが、もし、変な思想を持ってたなら」

俺は全力で止めなければならない。
遊馬と小鳥は、きょとん、とお互い目を見合わせた後、声を揃えて言い放った。

「「それはないんじゃない?」」

お前らがなまえの何を知ってるってんだ。俺は思わず、二人を睨んでしまう。

「なんでそんなことわかんだ」

「だって、ベクターの親友なんでしょ?」
「おう、そうだぜ。ベクターがそんな風になってまで助けたい奴なんだろ?」

だから、そんなに危ないことになったり、誰かを傷つけたりっていうのは、ないんじゃない? 小鳥の言葉にまた遊馬が頷く。……あほらしくなってきた。俺は少し、事態を重く受け止めすぎていたのかもしれない。もっと簡単に考えてみるのはどうだろう。わからないことはこれからわかっていくとして、今わかることだけを、前向きに組み立てる。
なまえはなまえだし、俺も、まあ俺だ。ならば俺たちは一番の理解者になれるはずだ。俺が真剣に話をしたら、なまえに聞き入れられないことはない。冷静に考えてみれば、なまえが俺の言葉を無視したことはない。

「ほんと、おめでたい奴ら」

ならばまずは、知るところからだ。なまえのことを、もう一度知っていくのだ。今すぐじゃなくても、少しずつでも。できれば今度は、理解者でなく親友でなく……。

「そうだ、こういうのはどうだ!? 思い出の土地に行ってみるんだよ! シャークとか妹シャークとか、ってか、バリアンのみんなか? 自分のゆかりの土地に行ったらいろいろ思い出しただろ?」
「それで行ってみるか」

俺の歴史なんてろくなものではないが、なまえと振り返られるのなら悪くない。
ただ。

「いや、しかしその前に」

この二人を呼んだのは、もう一つ理由がある。

「もう一個頼みたいことがある」

小鳥をぴしっと指さすと「え、私!?」なんて、決まりきったリアクションとセリフで驚いていた。


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20190721:お待たせしましたごめんなさい
 
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