喫茶店事変/穂村尊


みょうじなまえは、なかなかどうして、難攻不落の相手だった。なけなしの彼女の気遣いに気付かないふりを続けながら、今日も彼女の姿がどこかにないかと探している。
伊達に彼女のことを見ているわけではない。大体どう思われているのかわかっているけれど、ここで引いては何も得られない、ということも理解している。何を得たいのか、と言われれば。まあ、色々だ。色々だけれど、とりあえず、とりあえずは、友人、という認識が欲しい。

「とは言っても。彼女はそもそも、男を友達だ、と思える女性なのか、そこが問題だな」
「……どういう意味?」
「そういうところが、いまいちみょうじなまえの心を掴みきれない原因だろう」
「だから、どういう意味だよ」
「ん、尊、見てみろ」
「おい、話をそらすな!」
「みょうじなまえだ」
「どこに!!?!?」

カフェの窓際の席で一人、読書をしている。正面の席が空いていて、きらきら光が降りて見える。あそこに座ることが出来れば傍から見たら友達どころか恋人に見えることだろう。
直ぐに店に入って適当な飲み物を買う。一人用の席なら空いているが窓際の席の空席はみょうじの正面のみだ。近づく前に大きく呼吸を繰り返す。そしてセリフのシミュレーションだ。あくまでスマートに、なんでもないみたいに。

「さあ、繰り返せ。ここ、いいかな、だ」
「わ、わわ、わかってる、そのくらい言えるっての」

こんななんでもないような日に顔を見られるなんて今日はいい日だ、そう思う反面、死ぬのではないかと言うくらいにうるさい心臓のせいでやや苦しい。学校でもよく本を読んでいるけれど、私服に、カフェに、柔らかく彼女に降り注ぐ太陽である。この上なく特別に見える。伏せている目が太陽の光を溜め込んで、とても。
ついに彼女の座るテーブルのすぐそばまで来た。ええっと、セリフは。ん? セリフの後にテーブルに物を置くべきか、物を置いてからセリフだろうか?
不霊夢がやれやれと言う気配がした。
数秒後、ようやく、口を開こうとぱかりと上下の唇を離す。その時だ。

「今日、遅かったね。そんなところに突っ立ってないで座ったら?」

……セリフはまだだ。ぽかんと空いた口を塞ぐのも忘れてみょうじを見下ろす。しばし、無言で無音の時間が流れる。
みょうじが「どうかした?」と顔を上げる。

「あ、れ?」

今度はみょうじがぽかんと口を開けていた。
ようやく少し冷静になって、あの言葉は自分じゃない誰かに向けられたのだとわかった。となれば彼女がここに座っている理由はひとつ。
みょうじは気まずそうな顔をするでもなく、本をパタリと閉じていつも通りだ。

「ま、待ち合わせ、だった?」

みょうじはいつも通りの調子で、「まあ、そうだね」とだけ言った。

「あ、でも、もう来たみたいだから、この席使っていいよ。私達は別に外でいいし」

じゃあ、とみょうじは手を振って、カウンターで飲み物を受け取っている一人の客の服を掴む(なんだそれ羨ましい)。振り向いた男には、見覚えがある。嘘だろ。

「おいおい、あいつは」
「ああ」

全体に白っぽい姿。食えない笑顔。ハノイの騎士の構成員。「スペクター……」みょうじは宣言通りスペクターを連れて外に出て行った。奴を見上げる表情は、財前葵に向けるものとは違う穏やかさがあった。
最悪の状況は考えないまま、苦すぎるコーヒーを口に含んだ。


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20190304:「尊ちゃん、どったの?」「実はかくかくしかじかでな」「すげー! 昼ドラみたいだな! それでそれで!?」「見ての通り、思考を放棄して抜け殻になっている。遊作。なんとか言ってやってくれ」「大丈夫だ。彼女はスペクターとは親しいようだがハノイの騎士とは無関係のようだ」「遊作ちゃん、それ、トドメっていうんだぜ」

 
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