繋いだ手を離すまでの物語


 この時間がずっと続けばいい。
 僕はそんな言葉がきけることを祈り(pray)、演じ(play)てる。そしてパフォーマーの僕もそんな気持ちでいる。それが観客へのリスペクトになると僕は知っているからだ。
 そして僕は今、この瞬間も願っている。
 この時間がずっと続きますようにって。
 ――これは一種の魔法のようなもので、いつかは解けてしまうことを知っているから。



繋いだ手を離すまでの物語



 LDSブロードウェイ校の留学生でランサーズとして活躍する……という建前でスパイを続けていた融合次元のアカデミアの生徒というのは今は昔。今は僕自身が侵攻の引き金となってしまったエクシーズ次元のハートランドの復興とエンタメデュエルの素晴らしさと楽しさを広げるために地道に各地を回っては復興支援活動に協力して、デュエルを教えて、それでたまに大道芸もしているしがないエンタメデュエリスト。それが僕、デニス・マックフィールドさ。
 当然簡単なことじゃない。ここの住民の多くが考えるデュエルとはアカデミアの行った侵略のそれの手段である。恐怖の顕現でしかない。それを「エンタメだよ〜楽しいよ〜〜」ってどんなに言葉を尽くしても、実際にやってみせようと、悪印象が忽ちに消えるなんてことはない。それでも僕は自分が今やっていることに少しの不安も疑問も抱いていない。僕のデュエルを観た人が初めてサーカスをみた子どもみたいに目を輝かせているのを見て、「僕はなんて無駄なことをしているんだろう」なんて思うはずないだろう? 順調とはいえないかもしれないけど、正しいと確信して進んでいる毎日なんだ。

 とはいえ、いくら充実してるといってもオフの日は必要。一流のパフォーマーは休息も仕事のうちということで、今日この日、僕は拠点にしている区画を少し散歩してみることにしたのだ。
 いつまでも瓦礫だけじゃない。街はささやかながらに/密やかに息を吹き返している。青空教室が開かれて子どもたちが集まって必死に勉強している、建物が破壊され野ざらしになりながらも運営しているショップ、アカデミアの制服を着たボランティアが炊き出しを行っている……街は灰色の諦めと青色のやる気がミックスされた不思議な活気に満ち溢れている。
 そんな場所で、僕は見つけてしまう。
 ストリートパフォーマーが大道芸――ジャグリングにディアボロ――を行っている姿を。そしてそのパフォーマーが女性であって、見知った顔であることを。
「なまえ」
 かつて僕がサーカスに一瞬だけ所属していた時、僕のパートナーだった女性だった。


 エクシーズ次元に潜伏して榊遊勝のエンタメデュエルに触れて、僕はまず最初にサーカスそのものについて学ぼうと決心した。だってホラ、僕デュエルの方はパーフェクトだったからさ。それに向こうにはサーカスなんてなかったから、せっかくだし経験しようと思ったってわけ。ハートランドに常設されていたサーカスのオーディションに持ち前の才能でパスして(ごめんちょっと嘘、それなりに努力したよ)、同じ試験にパスしていたのが彼女、なまえだった。
 なまえとはすぐに仲良くなった。僕がそういうのが得意な人間だったし、さらには僕らの他に同期はいなかったっていうのもある。そして仲良くなっていく中で僕は彼女の色んな話をきいた。人を笑顔にさせたくて入団したこと。エンタメデュエルはおろかデュエルについても全然知らなかったこと。人と争うのが根本的に苦手で入団のオーディションは何回も落ちていたこと。……そうだ。彼女はすごく心の優しい女の子だった。元気で快活にステージの上で振舞っているから忘れてしまうことが多いけれど、彼女のオリジンはそこにあった。
 研修として一通りの演目を演じられるようになった後、僕らはトラピスプレイヤーとしてペアを組むことになった。僕の希望は元々それだったし、なまえもそうだったと後になって訊いた。でもそれは僕にとっては割と意外なこと。
「大丈夫なの? トラピスは花形。主役争いがとっても激しいよ。オーディションなんて目じゃないくらいに。……なまえ、君は本当に戦える? 戦って勝ち残って、それで舞台の上では何事もなかったかのように最高の演技ができる?」
 そう。こんなことを尋ねたこともあったのだ。コンビを組んでしばらく経って、彼女のキャラクターが色々と見えてきた頃に。
 なまえは一瞬だけ表情を強張らせた。本当に一瞬だけ。そしてその後、何事もなかったかのように「大丈夫よ。だって、私の夢はその先にあるんだもの」と笑ったのだ。
 僕はそのペルソナを一瞬で見抜く。そしていずれこの蓋をした感情が溢れ出て、夢を見失うんだろうなと。
 僕自身も同じ仮面をつけていたから、すぐに気づけてしまったんだろうね。だって、僕もそれから遠くないうちに瑠璃を見つけてしまったのだから。アカデミアの使命にかまけて、自分のやりたかった/本当にやるべき運命を無視してしまったんだものね。



 パフォーマンスが終わって、荷物をちょうど片づけ始めたなまえに、僕は拍手をしながら近づいた。彼女は片づける手を止め、「どうしたの?」とでも言わんばかりに僕の方を見遣る。
「やあなまえ。腕は落ちて無い様で何よりだよ」
「…………」
「え、あれ? もしかして僕のこと忘れちゃった?」
 さすがの沈黙に僕も焦ってこう問いかけると、なまえは逡巡したのち、「……デニス。デニス・マックフィールド」と、確信を徐々に語尾に含ませながら、僕の名前を繰り返す。
「そう、デニス。君のパートナーのデニスだよ」
「……久しぶり。そっちも変わってないようで何より」
「そう? 結構変わったけど。その辺も含めて色々話したいんだけど、どう? 時間ある?」
 近くのカフェのオープン席を指さすと、「いいね」と言って、ここで漸く笑顔を見せる。そしてなまえが手早く荷物を鞄にしまい込むのを見届けたのち、僕たちはそのカフェに足を運んだ。

 僕はエスプレッソを、なまえはカプチーノ――シアトル系コーヒーのチェーン店だったから、量はたっぷり入っている――を注文し、それを一口飲んだタイミングで「エンタメデュエル、だっけ? 今やってるの」と切り出した。
「……知ってたの? 僕が今何やってるか?」
「まーね。有名だもん」
「有名! それ本当!?」
「うん。『今エンタメデュエルを教えてる奇妙な赤毛の男は元アカデミアだ』って噂になってる」
 あ、そっち……。僕が期待していた「エンタメデュエルって今最高にクールでホットなショーがエキサイティングなんだぜ」って方向性じゃなくてガックシ。
「ねぇその噂、せめて『泣きボクロがセクシーなエンタメデュエリスト』って感じに修正できない?」
「……私だって『笑顔がチャーミングなエンタメデュエリストは私の元相棒のトラピスタ』って紹介したいわよ」
「フフッ、笑顔がチャーミング? 嬉しいね。そんな風に思ってくれてるのなまえ」
「エッ!? いやちょっとした皮肉のつもりだったけど、間違いじゃないかなって……っていうか! そっちじゃない!『元アカデミア』って、そっちの方は!? なんか根も葉もないこと言われてるじゃない!」
「ええ? そっちぃ? それは別に間違いじゃないよ」
「え、……え?」
「火のないところに煙は立たないっていうでしょ? 僕の根であり葉であるところはそれ」
「…………うそ……」
 なまえは目に見えてショックを受けている。僕はなんとなく冷めた気持ちで彼女を見据える。僕はどこまでいっても元アカデミアでしかないんだ。少なくとも人はそう見てる。ほんの一瞬だけとはいえ、命を託した人間でさえも。
「嘘じゃない。……ごめんね、ずっと黙ってて」
「…………うん、うん……」
 僕の謝罪を話半分に聴きながら、彼女は急に何かを考え始めたようだった。僕はほろ苦いエスプレッソに口をつけながら、彼女の次の言葉を僕は待つ。
 懐かしいな。確かにこの子はこうやって急に考え込むことよくあったっけ。「自分の頭の中を整理して、ちゃんと考えまとめてから話したいんだよね」って。
「……うん。分かった」
「オッケー? まとまった?」
「うん。まとまった。私、デニスが何も話してくれないで、黙って出てっちゃって、それでアカデミアの……あんな活動してたのがすごくショックで、今までのデニスとの思い出が全部否定された気持ちになっちゃってたけど、それでもデニスと一緒にブランコやってたあの時が楽しかったのには変わらない。デニスがどんな思いで一緒の舞台に立ってたかは分からないけど、私は楽しかったし、サーカスやってるデニスとアカデミアとしてのデニスは分けて考えるべき。そんな結論になった」
 そういうわけで今後ともよろしく。なんて言ってさっきまでの長い結論を照れ臭そうに茶化してまとめて、それでいて彼女は笑った。昔と同じ笑顔で。
「うん……うん。君がどれだけ僕のこと好きか伝わったよ。僕もそんな君が好きだよ」
「なに!? 茶化さないでくれる!?」
 さすがにこれは冗談が過ぎたかなちょっと本気入ってたけどアハハハハ。
 とにかく彼女の「それはそれ、これはこれ」として扱ってくれる距離感がすごく有難かったのは本当だった。
 過去の行いを悔いこそすれ、自分がやってしまったことを変えることはできない。かといって自分の産まれた地を、育ってきた環境を真っ向から否定するほど、僕は僕を嫌うことはできない。
 色んなことを知って、それでも前と同じように笑ってくれて肩の荷が下りたような気分だった。
 まぁなまえは茶化されたこと(ていうか「好き」って言われて存外恥ずかしかったのかもね)に気を取られ過ぎていて、僕がこんな安らかな気持ちになってるってことに気付けなさそう。だからこれはこのぐらいで終わり。

「それで、えっと〜……エンタメデュエルが順調かって話だよね。順調とは言いきれないけど、でも手応えは感じてる。悪くはない感じだよ」
「あ、ああ! うん。そうなの。なら良かったわ。……前にちょっとだけ、観たことあるよ。デニスが、エンタメデュエルやってるところ」
「そうだったの?」
 これは本気で初耳。記憶を辿ってみるが、彼女の面影を見つけられることはなかった。
「遠目でちょっとみてただけだよ。ほら、トマトみたいな頭した男の子と一緒にエンタメデュエルショーしてた時の」
「……もしかして、遊矢と一緒にやった時のやつかな」
「遊矢?」
「僕のエンタメデュエルの師匠の息子さん。友達なんだ」
 実は遊矢の中にもう一人いる遊矢、「ユーリ」とも友達だったんだ……そんなこと言うとさすがにちょっと意地悪すぎるし難しいかな? と思ったから、これは言わない。
「ふぅん……仲いいんだね」
 「う〜ん? まぁうん、そう言えるのかな? なんかうまく言い表せないなぁ遊矢とは」……こう言おうと思ったけど、これも言うのをやめた。そこまで話をするには、僕と彼女の交わっていない時間が長すぎた。
「まぁね。そのデュエル観て、なまえはどう思った? 忌憚のない意見ってやつが聴きたいな」
「うん! あのね、すっごく楽しかったよ! 私、デュエルはよくわかんないけど、でも次は何が出てくるんだろう、どうなるんだろうって! 初めてサーカス観に行った時のこと思い出しちゃった」
 それからそれから、となまえはそれはそれは楽しそうにその時の感想を教えてくれる。くるくると表情を変える様子が、まるで小さな子供のようでなんだか微笑ましい気持ちになる。「遠目からちょっとみてた」なんて控えめな表現がまるで嘘……というか本当に嘘なのかも?
 とにかく実際に観たって人のこんな表情を見ると、心の底から安心する。僕がやってることの正しさを確信する。
 ――手応えを感じてるっていうのは嘘じゃない。けど、順調とか好調っていう風には言えないことが、どうも僕の知らないところをナーバスにさせていたみたい。だから彼女の言葉に、こんなにも感動してしまっている。
 だから。僕は彼女にこんなことを言ってしまう。

「ねぇ、なまえ。僕ともう一度パートナーになってくれないか? エンタメデュエルを広めるのを手伝ってほしいんだ。一緒に」

 本当の本当に、突然の誘い。彼女はもちろん、言った当人の僕でさえも驚いている。
 けど、これを言って真っ先に思ったのが「言ってよかったな」ってことだった。
 自分がやっていることを楽しいと言ってくれて共感してくれる人、僕の素性を知っていても僕を僕として扱ってくれる人、そして何より――僕が、隣にいてほしいって思える人。全部の条件を満たしてる人は、目の前のこの子以外いないと、これも確信してしまったからだ。
「でも、私、デュエルやったことないし、ルールもよくわかんないし」
「そこは僕が教える。大丈夫だよ、僕たち手を繋いで一緒に空を飛んでいたんだから。それより難しいなんてことはないって」
 想定していた返事に、ウインクも交えながらこたえる。
 そして彼女は唸りながら手の中のカプチーノをちびちび飲んだ。僕も併せてエスプレッソに口をつける。……話を聴く合間にちょこちょこ飲んでいたから、もうすっかり泡がとけていて、中身が尽きようとしていることに気が付く。

「…………デニスの言ってることは。私にとってもすごく魅力的だと思う。でもやっぱり、私は引き受けられないわ」

「……理由を訊いても?」
 動揺を悟られまいと、平然を装ったつもりだったけど、それでも出した声は震えていた。
「うん。……前にさ。デニスが言ったこと覚えてるかな。『君は戦える?』って。……話してなかったんだけど、私もデニスがいなくなってすぐぐらいにね、あそこのサーカス辞めたの。街がそれどころじゃなくなったっていうのもあるけど
私、一人じゃ戦えないって思って」
「裏を返せば僕と一緒なら戦えるってこと? ねぇ 。君さっきっから僕に結構熱烈な告白してないかい?」
 こうやって茶化すのが、今の精一杯。これから先の答えをきくのがあまりにも残酷すぎたのだ。
 けれど彼女はそれに乗ってくれない。困ったようにして笑ってくれるだけだった。もうイニシアチブは握れないんだということを悟った僕は、わざと浮かべていた軽薄な笑みを消し、最後に残ったエスプレッソを流し込んだ。
「……それはなんとなくわかってた。君は優しいから。いつか、誰かと争うってことに耐えられなくなる日がくるんだろうってことは。予想してたよりもちょっと早かったけどね。でも、それが理由なら僕は否定するよ。エンタメデュエルは勝敗を越えた先に真の魅力があるんだ。……なまえ、君があのサーカスに入団した理由、僕は覚えてるよ。『人を笑顔にしたい』って。これが叶うんだよ。君にはその資格が備わっているんだ、だから……」
「デニスも大概私のこと大好きだよね」
 続けようとしていたはずの言葉が、彼女のこの言葉によって、全て何処かに置いていかれてしまった。
 なまえは悪戯が成功したみたいなニヤニヤした笑みを浮かべながら、そして言葉を続ける。
「ふふふ。……デニスがいいたい事、なんとなく分るよ。でもね、本当の理由はそこじゃないんだ」
 ここで彼女はふと視線を外に逸らし、街の方を見遣る。僕もそれに引きづられて外を見る。
 あれ、と急に街に違和感。なんでかなと思案すれば、侵攻前にはなかった建物が新たに施工されていたからだったってことに気がつく。
 リビルドしてるんだ。単純な再生ってだけじゃなく、進んでいく時間を取り込みながら、前の街と違うものとして再構成されているんだ。
「エンタメデュエルってさ、サーカスみたいなデュエルで、両方のいいとこ取った、本当に楽しいものだと思う。きっと、デニスが頑張れば皆にその良さが伝わると思う。……でもさ、何かと何かがフュージョンされると、元になったものがどっかに行っちゃうような気がするんだよね」
 変わらず街を見続けている僕の耳に、彼女の言葉がBGMとなって届いてくる。それで、なんでかな。僕は遊矢とユーリのことを思い出していた。
 ユーリ。……今、ユーリはどうしてるんだろう。遊矢に訊けば分かるのかな?
「多分。これからエンタメデュエルが大きくなるにつれ、サーカスみたいなフィジカルだけに頼ったパフォーマンスってのはどんどんなくなっちゃうんだと思う。それはしょうがないこと。でも……私が、小さい私が観て、楽しいって、誰かを笑顔にしたいって思ったのは、サーカスだった。命綱をつけて空を飛んで、それでもたまに失敗するけど、成功したらオーディエンスがワーって喜んでくれる、そんなショーだった。私はそれを忘れたくない。誰にも忘れさせない。私は今度こそ、その使命を忘れたりしない。……だから、ごめんなさい」
「…………ひとつだけ、訊いてもいいかな? なまえがあのサーカス辞めたのって、オーディションが辛いって、本当にそれだけ?」
「違うよ。それだけじゃない。トラピスは花形。だからどうしてもクラウンみたいにお客さんと触れ合える機会なくなっちゃって。かといってそっちに移ることもできなかったから、辞めた」
「そっか。だからストリートパフォーマーなんだね。お客さんと距離がすごく近いし」
「うん! 反応みながらその場でフィードバックできたりするし、なかなかいい感じだよ」
 辛いことがあって辞めたっていうより、彼女なりに考えた結果、前向きな理由で辞めたんだってのを知れて安心。それと、ほんの少しの寂しさ。多分僕は、僕がいなくなったことも原因の一つとして挙げて欲しかったんだと思う。
 参ったな。僕は僕自身が思ってたよりずっとなまえのことが好きだったみたいだ。
「……そんないじけた表情しないでよデニス」
「いじけてなんてしてないよ。ただやっぱり振られて寂しいってだけ」
「それをいじけてるっていうの。……大丈夫よ。きっと私たち、見ているところは同じだもの。未来が違えることはない」
 いい笑顔で言い切った彼女は残りのカプチーノを流し込んで、席を立とうとしていた。
「あのさ。ねえ、最後にひとつだけ――」



 僕となまえは、街の広場的なところにいた。ここは元々デュエルのための施設があったけど今はその面影はない。開けた場所の真ん中にソリッドビジョン投影機が残っているだけ。目立つ置物として待ち合わせに使われるのに精々なんだけど、不思議とそれでもそこを中心にして人が集まる。今もそう。何をするでもない人が集まったりしていた。
 僕達はここでもう一度だけショーをしようとしている。
「この機械ってまだ動くのかな?」
「さぁ……動かなかったらそれでもできることをすればいいさ」
「……うん」
 言葉の間に疑問を感じた僕は、意識せずになまえの顔を見てしまったらしい。視線が交わる。とろけそうな笑顔を浮かべる彼女と。
「どうしたの、なまえ。そんな表情しちゃって」
 指摘されて、初めてそんな顔をしていたことに気づいたらしい。ハッとしたって表情を一瞬したと思ったら、顔をくしゃくしゃってして、またそうやって笑うのだ。
「……ちょっと、嬉しいだけ!」
 何に、とか、僕とやるのがそんなに楽しいの、とか、これで最後なのに、とか。何となく言いたいようなことがあった気もするんだけど、僕がこの時出したのは「僕も。僕も嬉しい」って言葉で、それは自分が思い浮かべていたよりももっとずっと穏やかなトーンで出てきた。そしてどこか甘い響きを持っていたから、自分でもドキってした。僕はなまえになんて声を出されてしまったんだろう!
 そんな気持ちに襲われながら、機械のスイッチを入れる。不機嫌に唸る低い音と共に、フィールド選択の画面が表示される。
「そしたら、始めようか」
 彼女に手を伸ばす。僕たちの最後のショーへのエスコートをするために。
 なまえが手を取った。


 僕となまえがペアを組んでいた時、一番人気だった演目。一番長くやった演目。それがこの『青い鳥』だった。
 一般的に知られている童話をモチーフにアレンジをされていて、兄妹だったチルチルとミチルは恋人同士に。幸せの青い鳥を探しに概念的な国を旅し、青い鳥を捕まえるが悉く黒くなってしまうというのは元の話通りに。そして一番違うのがラスト。元の話の中では二人が暮らしていた家の鳥かごの中に青い鳥の羽根があり、幸せはすぐ近くにあったのだと気付くラストに対し、今回の演目ではミチルこそが幸せの青い鳥そのもので、彼女は恋人のチルチルの元を飛び去り空へ。残された恋人は無力さを嘆きながら、旅の思い出を思い返しながら彼女がいた幸せに気付く……といった終わりになっている。
 なんだか今の僕が演じるにはちょっと自虐的すぎない? なんて思ったりもするんだけど、まぁそのぐらいの方が感情籠っていい演技できるのかな。
 そのラストを表現するのがブランコで、それまでチルチル役と一緒に飛んでいたのを、ミチル役は一人で次のブランコへ連続して飛び渡る。だからミチル役を演じられるのはほんの一握りのプレイヤーしかいないなんて云われている。そしてなまえはその「ほんの一握り」の中にバッチリ入っている。
 セッティングは全部完了。今回はたった二人だけしかいないから、やるのはラストの部分だけ。幕はないけど、いつだってショーの幕開けはこの言葉だって決まっている。僕となまえはそれぞれ目で合図し、高らかに宣言する。
「Ladies and gentlemen! これより行いますは、幸せを求めた恋人たちの物語」
「幸せの青い鳥を求めた二人の恋人、チルチルとミチル。二人の青い鳥を探す物語は間もなく終焉を迎えるのです――これは、繋いでいた手を離すまでの、物語」
 この口上はほぼ決まり切ったものだったんだけど、なまえが最後に言い放った『繋いでいた手を離すまでの物語』という部分は、完全オリジナルだった。驚きはしたが、もう幕は上がっている。観客が待ってる。『これから一体何が始まるんだ?』って。モヤモヤしたものはいったん置いておくことにする。

 質量を持った映像が、ふたりの住む家を投影する。大きな天窓のある家で、そこにブランコが円状にぶら下がっている。
 僕らはふたり一緒のブランコから、その舞台に登る。ちなみに僕らの着ている服はそれまで着ていた私服じゃなく、ソリッドビジョンで変えた白い衣装となっている。
 僕達は戯れる恋人。ふざけながら追いかけっこをするように、ブランコからブランコへと逃げるミチルを、チルチルが追いかける。彼女が飛ぶタイミングに合わせ、僕もまた動く。このタイミング合わせはかなり慎重に行う必要があるけど、それでも笑顔は絶やさない。
 そしてチルチルはミチルを捕まえる。隣のブランコから飛び移ろうとしたミチルを、ブランコからぶら下がっていたチルチルの腕が取るのだ。
 予定では、このまま彼女を隣のブランコに飛ばすという手はずだった。だが、彼女が僕にだけ聞こえるようにこう囁いた。
 「真上に飛ばして」と。
 ここでアドリブ!? 咄嗟のことではあったんだけど、僕はその通りに、彼女を垂直に飛ばした。

 時が止まったようだった。
 まっすぐに飛び上がった彼女は、一番高いところで静止し、ちょうどそのタイミングでソリッドビジョンで設定していた衣装が変わる。
 青く、翼をあしらった美しいドレスに。

 彼女はブランコの元へ降りてくると、そのまま隣のブランコへ、そのまた隣のブランコへ……と次々に渡って行った。普通に腕の力だけで飛ぶこともあれば、ブランコの上に立ち、そこから跳躍して隣のブランコへと行くこともあった。
 彼女の姿を見ていると、身体が勝手に動いていた。彼女のもう一度捕まえようとして後ろを追いかけていった。この時の僕はすっかり次の演技のことだとか、観客の目とか、これが最後っていう寂寥感だとか……そういった色んなしがらみを忘れていた。

 不意に。なまえが振り返った。
 つい先ほどみた、あのとろけるような、溢れんばかりの幸せのブーケをプレゼントされたかのような、薔薇色の微笑みを携えて。
 そして逃げていたはずの青い鳥が、僕の腕の中に今一度収まった。
 筋書きとは違う演技。
 ――この時間がずっと続きますように。
 そして僕は今、この瞬間。そう願わずにはいられない。
 だけど、僕は、なまえとしか組んだことのない元トラピスタプレイヤーのデニス・マックフィールドだけには、このアドリブの意味を理解できてしまう。
「役の中でなら、僕たちは恋人になれる」
 その言葉を聴いた腕の中のなまえは優しく微笑む。
 そしてその笑みを、下へ、つまり観客の方へと向ける。距離があるからすっかり小さく見えるけど、それでもその人たちの表情はひとりひとりみえる。
 分かるよ。僕だって人を笑顔にするのが生業のエンタメデュエルプレイヤーなんだから。

 そうだ。そうだね。手段は違っても、僕たちの視線の先は、みている未来は、一緒のこれなんだ。

「あのね、デニス。知ってるかもしれないけど、私トラピスでペアを組んだのはあなたが初めてよ」
「それは奇遇だね。僕もなんだよ」
「……もう私は、あなた以外の人と組むなんてことはないわ」
「光栄だね。さすが僕の生涯最初にして最後の、最高のパートナーだ」

「…………そしたら」
「うん。これはそういう物語なんだものね」


 ……魔法が解けてしまう時が来てしまった。
 僕は隣のブランコに移って膝をかけてぶら下がる。そして元いたブランコから飛んでくるなまえの手を握り――今度は僕から。彼女の手をはなして、別のブランコへと逃した。
 宙を舞うなまえの背中には自らが定めた使命という名の羽がある。彼女はもう一人でも飛べるのだ。

 ずっと不思議だった。「どうしてチルチルは逃げてしまった恋人のミチルをもう一度捕まえなかったんだろう」って。そんな情けないこと、僕なら絶対にしないのにって。ずっと情けない男を笑うストーリーだと思っていた。
 でも、それは違ったんだ。ミチルは青い鳥だった女の子じゃない。旅を経て、青い鳥に成れた女の子だったんだ。それをもう一度捕まえて閉じ込める必要なんて、どこにもない。
 トラピスプレーヤーはそのパートナーを信じているからこそ繋いだ手を離せるように、チルチルも彼の恋人の未来を、彼が存在していないミチルの未来を信じたのだ。

 だから――――これは、繋いだ手を離すまでの物語。



 

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