20220703リクエスト(黒野)


 調子よく事務仕事をしていた。びっくりするくらい手際がいい。全てのものごとにおいてタイミングがよく、するすると進む。怖いくらいだなあと上機嫌でいると、唐突に椅子を引かれてパソコンとの距離が開く。なんてことを。見上げると、優一郎黒野が私を見下ろしていた。追加の仕事を私の頭に詰みながら言う。
「チョコレートを選びたいんだが」
「選んだらいいんじゃない?」
 なんて察しが悪いんだろう、とでも言いたそうに溜息を吐かれた。膝の上に放られたのはバレンタインの直前にのみ開かれるイベントのパンフレットだ。すっげえかわいいピンクの冊子だが、いつどのタイミングで貰って来たのだろうか。
「チョコレートを選びたいんだ」
「どうぞ?」
 こいつは度し難い馬鹿だなあ、とでも言いたそうに更に深い溜息を吐かれた。黒野は書類の束越しに私の頭をバシバシ叩きながら言う。
「自分用じゃない」
「……というと?」
「告白しようと思ってな」
「逆チョコ!」
 それは面白そうだな、と思ってしまった。リアクションの衝撃で黒野が持って来た書類が散らばり、黒野は満足そうに笑っていた。



 私は面白い話には弱いのだ。利がないなと思っても面白いことに釣られてしまう。黒野はそんな私の性質を利用し、まんまとチョコレートのイベントに同行させた。あのパンプレットを貰ってきたくらいなら一人で平気だったと思うが、確かに、会場は広くて好きモノを選べ、と言われても予備知識なしでは難しいかもしれない。
 とは言っても、私も然程勉強しているわけではない。単純に好みの話しかできない、と言っておいたが、それでもいいというのでついて来た。
「人が多いな」
「年々増えるねえ」
 黒野が変な顔で人混みを見ている。どういう感情なのかわからないが良い予感はしないので私はさっさとお気に入りの店を指差した。
「ああほら、私はここのチョコレートが好きで」
「どこだ?」
「壁の方、奥から二番目」
「全然人が並んでいないが」
「並ぶところは面倒くさくて試さないからわからん」
 もしかしたら感動の体験ができるかもしれない。そう思うと並んでみたい気もするが、時間と覚悟の用意ができないので見送られる。店の前まで行くと、黒野はショーケースを端から端まで見る。大抵向かって左側から右へ行くほど値段が上がって行く。ゆっくり左から右まで確認すると、黒野は一つ頷いた。
「わかった」
「わかった?」
 なにが。黒野は何も言わずに店員さんに声をかけて一番右のチョコレート、というよりジュエリーボックスみたいになっている商品を指さした。いや。それは。貰ったらドン引きっていうか、怖すぎてなにもできなくなるけど。止めてやったほうがいいのか、このまま眺めていたほうがいいのか。私は面白そうな方を選んでしまうので、止めるフリしかできなかった。
 黒野は店員さんから受け取ったチョコレートの紙袋を自信満々に私に向けて言う。
「どう思う?」
「いいんじゃない?」
 声をあげて笑いそうになったがどうにか耐えた。
「なるほどな」
 もう用事は済んだと、黒野はイベント会場から離れて、トイレの前で立ち止まった。振り返って、袋を私に差し出す。
「おい」
「ああうん」
 誰だって、トイレに行くから少し預かってくれ、という意味だと思うし、拒否する理由もないはずだ。黒野はトイレには行かず、そのまま私から距離を取った。
「え、なに?」
「バレンタインだ」
「えっなに!?」
 私が追いかけようとすると、黒野は詳細を語らないまま走って逃げた。
 ウッソだろ。
「はあ……?」
 トイレの前で途方に暮れる。これ、いくらだったっけ。いや、なんとか返品できないか? 店員さんに確認したがレシートがないと無理と言われた。あ、あの野郎。あの野郎! そして改めて値段を確認したら五万二千八百円だった。受け取ったからには、なにかしら、返さなければ気が済まない。そういう、私の人の良さに付け込んだ、とんでもない作戦だ。紙袋が異常に重い。誰か助けて。

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20230222:『優一郎黒野』でした!リクエストありがとうございました!

 

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