20220703リクエスト(重力ピエロ、春)


その一家には、いつだって変な噂が付き纏っていた。私の耳にも届いていたが、真偽は定かではない。というより、どうでもいいと思っていた。いや、更に正確に言うなら、もしその話が本当なのであれば、彼のお父さんとお母さんとお兄さんは大変に立派な人だと、勝手に尊敬していた。つまり、私は彼らのファンだった。色々あるだろうが、できることなら末永く、家族仲良く暮らしてほしいと、思い出した時に祈ったりした。勝手にやっていたことなので、責められる筋合いもなければ、感謝されるとも思っていない。
私は一向にそれで構わず、彼らには触れないことが、彼らにとって一番良いことであるのだろうと、本日も元気(かどうかはわからないが)に登校してきた春くんを一瞥して、関りがないことをいいことに、健やかであれ、と一人で頷いた。関わる気はなかったし、むこうだってクラスメイトという認識があったかどうかすら謎だ。なのだが。私は結構厄介なファンだったらしいということが、ある日わかった。
雑用を片付けて部活へ行く途中「母親がレイプされたんだ」と声が聞こえて足を止めた。その話題でなかったら止まらなかった。男子生徒二人と、女子生徒も一人いるようだ。「その話ホントなの?」「この前あいつの兄貴見たけど、全然似てねえし」「どういう気持ちで育てたんだろ」どうもこうも。どうもこうもあるか? 私は手に力が入っていくのがわかった。わかって、いや、誰が何の話をしようが、関係ないと冷静になろうともしてみた。怒っている時は呼吸が浅い。まずは、息をたくさん吸い込むところから。
「正気じゃねえよ、あいつら全員」
吸い込んだ息をそのまま止めて、声のするほうへ突撃した。気付くと一番ムカつく顔をしていた男子生徒の頭を蹴り飛ばしていた。あ、やばいな、と思ったが、反撃される前に二人目を投げ飛ばし、悪いな、とは思ったが居合わせた女の子も同様に殴った。顔は可哀想だから腹に一発。不意打ちであったことや、全力であったことが災いして、三人はなかなか起きてこない。
「まずい、傷害罪」
おそらく帰ったら私に格闘技を叩きこんだ祖父に同じ目にあわされる。三秒程度考え込んだが、まあいいか、と開き直って顔を上げた。顔をあげると、廊下の反対側で立ち尽くす春くんと目が合った。もしかして、彼は私と同じように彼らに突っ込むところで、私はそれを邪魔してしまったのでは。
「ごめん。あまりにも腹立たしかったもんで。差し出がましいことを」
とりあえず意識のある春くんに謝った。春くんは当然、困った顔をしている。「いや」私にとっても彼にとっても予想外の展開だった。彼は握った拳を緩めて、私のやったことを許してくれたようだ。
「手間が省けた」
「それならよかった」
春くんは私が作り上げた惨状を改めて確認して「強すぎ」と笑った。「あんたが俺の敵じゃなくてよかった」敵と言う言い方が面白くて私も笑った。わからない。私はもしかしたら春くんの敵になり得るかもしれないが、春くんが敵じゃなくてよかったというのなら、今のところは敵ではないのだろう。
「ありがとう、なまえ」
「どういたしまして、春くん」
私は謹慎処分になったし、案の定祖父にはぼこぼこにやられたが、後悔はしていない。この事件以降、春くんと劇的に仲良くなった。わけではない。が、私はやっぱりそれで満足だった。元の通り、思い出した時に彼ら家族の関係性に感動し、平穏を祈る毎日に戻った。
以来、挨拶すらした記憶はないが、卒業式の日に「そういえば、あの日の借りを返せていない」と春くんは私に連絡先を渡した。まあ、かかってくることはないだろうと思ったが、私ばかり個人情報を頂くのもと思い、すぐに自分の連絡先を渡した。春くんは私が起こした傷害事件の日と同じように、複雑な顔で笑った。
それから年月が経過し、いくらファンとは言え平穏無事を祈る頻度も減ってきた頃、唐突に春くんから連絡があった。番号を登録していなかったのでかかって来た時には大層驚いて「あの春くんですか」と聞いてしまった。「あの春くんだよ」あの春くんは言った。
「そろそろ近況報告をしたほうがいいんじゃないかと思って」
「そうかもしれない」
私はなんだかよくわからない返事をしたが、まあ、事件以来共犯者のような気持ちもあったので、嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しかった。
適当な喫茶店で向かい合うと、一体どんな悪い話をするべきかと考える。話題を探すが、私は結構真面目に生きていたようで話せるようなことがない。やや後悔した。パンチの聞いた話が欲しいが見当たらない。強いて言うなら、格闘技はまだ続けていることくらいか。考えていると、春くんに助けられた。
「落書きを消す仕事をはじめた」
そういえば、近況報告をするという話だった。落書きを消す。それはつまり?
「掃除をする的な」
「ものすごくざっくり言うと、その通りだ」
そういう仕事もあるのか、私は考えて春くんの顔を見た。彼のことだから、きっとその仕事をはじめたことに明確な理由があるのだろう。しかし、立ち入った話をしたいようには見えない。ならば何の話がしたそうに見えるかと言えば、そんなものわかるはずもない。私は思いついたことを適当に口に出す。
「じゃあ、お金を払ったら、掃除を手伝ってくれると」
「ものすごく飛躍したけど、そうとも言える」
デカい道場や、手入れが先延ばしになっている蔵のことを思い出す。私が勝手にムカついて起こした傷害事件を「借り」だと言って連絡先をくれた。「近況報告を」と連絡を入れてくれた。ファンは、報いる必要があるだろう。
「それなら、年末、春くんが暇でしょうがない時に、大掃除を手伝ってもらうことが?」
春くんは言う。
「――できる」
私は絶えられず「くっ」と喉の奥で笑ってしまった。机に伏して、なんだこれはと静かに笑う。ようやく落ち着いて来たという時に流てきた涙を拭って顔を上げる。
「いいね」
「だろ」
「ちょうどいい」
一年に一度くらいというのも、お金を出して掃除を手伝ってもらうというのも。ファンを続けるにはいい距離感だ。ここまで話すと、お互いに身体から力が抜けて来た。何の話をしたらいいのかわからないが、私はできれば、彼ら家族の話が聞きたい。
「よかった。なまえなら、そう言ってくれると思ってた」
私は未だ、彼ら一家以上に美しいものを知らない。


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20221111:リクエストありがとうございました! 春でしたー!

 

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