夢で会えたら


人生の中で究極の選択を迫られたことはあるだろうか。
私はある。というか今その選択の真っ只中だ。
左右からチョコレートブラウニーとショートケーキが迫ってくる。
私はどちらを選ぶべきなのだろう?
タイムリミットまで、あとーー。

マンションの前に一人の男の子が立っていた。新しい住人か、迷子か。どちらにせよこの辺りでは見ない顔だ。
声を掛けようか迷っていると、振り向いた彼と目が合った。
「やっと見つけた」
ふわりと顔を綻ばせて、見知らぬ少年が私のところに駆け寄ってくる。そしてそのままぎゅっと抱きしめられた。
「えっ!?」
「会いたかった」
肩口に擦り寄られて、さらりとした髪が肌をくすぐる。思わず身をよじると彼は抱きしめた腕を少しだけ緩めて私を見つめた。
「俺が誰だかわかるか?」
「ごめん、わからない」
正直に答えると彼は寂しそうに目を伏せた。それがなんだかほっとけなくて、気付けば頭に手を伸ばしていた。まだあどけなさを残した少年が弟のように思えたのかもしれない。何度か軽く頭を撫でると、紫色の隻眼がやわらかく形を変える。
この少年とは多分、初対面だ。でも同じ表情で見つめてくる人を、私はよく知っている。
「……ジョーカー?」
私の問いかけに彼は一瞬ムッとして、小さく頷いた。
「できれば、52って呼んでくれ」



52と名乗る少年曰く、彼とジョーカーは同一人物なのだという。にわかに信じがたい話だが、彼は若い頃のジョーカーということらしい。
ジョーカーの過去について詳しく聞いたことはないから確証はないが、目の前の少年が嘘を吐いているようには到底見えなかった。
「君の話が本当だとして、昔のジョーカーがなんでここに?」
「52」
「……」
「ふぁ、い、ぶ、つー」
「……52はどうしてここに?」
「あんたが望んだからだ」
「私が?」
「あんたがあいつの。ジョーカーの過去を知りたい思ったから、だから俺はここにいる」
確かにそう思ったことは何度かある。でも本人が言うまで聞くつもりはなかったし、口に出したこともないはずだ。
心の中で望んだから?
そんな夢みたいなことがあってたまるかと頬を抓ると、なんと痛くない。試しにもう片方を52に頼んでみたら「やわらかいな」と微笑まれた。
「じゃあ君は私がジョーカーの過去を妄想した姿なの?」
「さあ?俺は俺が本物だと思ってる。妄想かどうかはあんたの判断に任せるよ。それこそ目が覚めたらあいつに聞けばいい」
彼が妄想かどうかはわからない。けれど、唇の端を上げて笑う姿はジョーカーと重なる。
さて、これが私の見ている夢だと認めるとして。
「なにしてるの52?」
椅子から立ち上がった52はキッチンを物色していた。一応家主は私なのだが、もちろん断りなんてない。
しばらくして彼はお皿とフォーク、そして白い手提げの箱を持って戻ってきた。私に箱を開けるように促してくる。
「これ……!」
小さな箱の中にはショートケーキが二つ入っていた。
「あんた今日誕生日だろ。俺のときにくれたのが美味かったから、またあんたと食べたいと思ったんだ」
初対面の彼の誕生日に私がなにかするはずがない。なのに、大切な人と食べたくてショートケーキを買ったような気もする。あれはいつのことだっただろう。
「ショートケーキ、嫌いか?」
「ううん、好き。ありがとう」
お礼を伝えると本当に嬉しそうに笑うものだから、こっちまで頬が緩んでくる。
お皿の上のショートケーキをフォークで掬い上げる。夢の中でも味はするのだろうか。くどすぎない甘さの生クリームと、甘酸っぱいイチゴ。どこかで食べたことのある味を想像しながら口に運ぶ。
けれど私がそのショートケーキを味わうことはなかった。口に入る直前にそれを妨害されたからだ。
「おいおい、彼氏の前で堂々と浮気かよ」
大きな手のひらが私の口を覆っている。振り向くことは叶わなくとも聞き慣れた低い声と、煙草の匂いでそれが誰かはすぐにわかった。
私の向かいに座る52はものすごく嫌そうな顔をしている。
「なにしに来た」
「それはこっちの台詞だ。俺がブラウニー作ってるあいだになにイチャコラしてんだよ」
「ジョーカー、ブラウニー作ってたの?」
ジョーカーの手を引き下ろして今にも火花が散りそうな会話に加わる。すんすんと鼻をひくつかせると煙草に混じってかすかに甘い匂いがした。チョコレートだ。
「忘れたのか?前にお前のチョコレートブラウニー美味かったって褒めたら、お礼は俺が作ったブラウニーがいいって言ったんだろ。ほれ、受け取れお誕生日様」
手渡されたのは彼色のリボンで可愛らしくラッピングされた袋だった。
「これだけじゃ足りない」
「そういうと思ってあっちに山程用意してあるぜ。青臭ェガキとはおさらばしてさっさと帰るぞ」
ジョーカーの指すほうに目をやると、部屋の先に細く長い道が続いていて、なんとなく私が戻るべきほうなのだとわかった。
「でも……」
私は目の前で俯く少年を見た。
たとえ夢だとしてもこのまま置いておけるわけがない。妄想の産物だったとしても、私は彼に出会ってしまった。
「ジョーカーは先に行って。私はあとから追いかけるから」
「正気か?」
「うん。私、相当君のことが好きみたい。今の君も昔の君も大切にしたいと思ってる」
だから52が私のために用意してくれたケーキを食べて、お礼とお別れをしたら、夢の中まで迎えに来てくれたジョーカーのところへ向かおうと思う。彼も私の夢が都合よく生み出した存在かもしれないが、現実ではなんだかんだ私のお願いを聞いてくれるから、きっとここでもーー。
「そいつは聞けねェなァ」
「ありがと……うん?」
おかしい。聞き間違いかな。
「自分の女がほかのヤローと二人きりになるってのに、はいどうぞってのはねェだろ」
「ほかのヤローって52は君でしょ?」
「だとしても、俺もあいつもそうは思ってないと思うぜ。俺は俺、あいつはあいつで、互いにお前が自分以外の奴といるのが気に食わない」
52を見遣るとこくこくと頷いていた。あんなに仲が悪そうだったのに、こういうときだけ同調するのだから困ったものだ。
「君も。いや君たちも、か。私のこと好きすぎない?」
「今さらだろ。お前は愛されてる自覚がなさすぎるんだよ」
ジョーカーが52と二人きりになることを許してくれない。となるとショートケーキを食べ終わるまで隣で待っててもらうか、三人で仲良く食べるかの二択。そして残念ながらどちらも却下された。
「じゃあどうしろっていうの。夢から醒めるまでここでなにもせずに待てって言うの?」
「俺にいい考えがある」
こういうときのジョーカーのいう『いい考え』は、面白いこと考えた、と同意だ。嫌な予感しかしない。
「俺のブラウニーと、お前のショートケーキ。どっちがこいつに選ばれるか勝負しようぜ。選ばれなかったほうは潔くここから消える。いい考えだろ?」
「全然よくな……」
「わかった」
「ちょ、52!?」
「現実では無理でも、俺もあんたに選ばれたい」
私を置いてけぼりにして話がどんどん進んでいく。ジョーカーは机を挟んだ向こう、52の隣に腰掛けた。
「さあ、お前はどっちを選ぶ?」
「俺はあんたの選択に従うよ」
夜明け前のような宵の口ような二つの瞳が私を映す。
ジョーカーはチョコレートブラウニーを、52はショートケーキを、ゆっくりと私の口元に近付けてくる。まるで口に届いたらタイムリミットと言わんばかりだ。
片方を選んだら、片方は消えてしまう。
私はどちらを選ぶべきなのだろう?
私が消えて欲しくないのはーー。
「おい!?」
「あっ!」
私は二人の腕を掴んで引き寄せていた。そしてそのままこれでもかと口を開けて頬張る。
チョコレートとくるみ、生クリームとふわふわのスポンジとイチゴ。
案外いける組合せだったとは大発見だ。美味しいもの×美味しいもの=美味しい。あと夢の中でも味はする。これも大発見。
「お前なァ」
「あんた、なにして……」
結局のところ、私にはどちらか片方を選ぶなんてできなかった。だからどちらも選んだ。一人しか選んじゃいけないなんて言われてないし、私は二人ともに消えてほしくない。
「ごめんね。私、欲張りなんだ」
そう言って笑うと二人が同時にため息を吐いた。こうして見ると合せ鏡みたいだ。
「お前がそういう奴だってこと忘れてたぜ」
「ずるいな。でもあんたらしい」
呆れたように笑って二人が私のすぐ横に立つ。
「誕生日おめでとさん」
「あんたに会えて、ちゃんと祝えてよかった」
とっておきをくれてやる、という二人の言葉と同時に両頬にやわらかいものが触れた。
ゆっくりと離れていく揃いの瞳が愛おしくて私は二人の頭を抱き寄せた。
「52、ジョーカー、本当にありがとう」
夢の世界はすっかり白んでいて、おそらく目覚めが近かったのだろう。最後の言葉は二人の耳に届いたかどうかわからない。届いていたら、いいと思う。



目を開けると見慣れた天井が私を見下ろしていた。私の部屋だ。まだ覚醒しきらない頭で頬に手を伸ばして抓ってみる。
「いひゃい」
むにむにと引っ張りながら感じた痛みに、夢から醒めたのだと実感した。随分と長い夢を見ていた気がする。
「なにしてんだお前は」
隣から寝起きの掠れた声がして、見るとジョーカーが怪訝な顔をこちらに向けていた。
「ああ、おはようジョーカー」
ベッドに沈んだ体を起こそうとしたら、彼がそれを制止して、右頬にひとつキスを落とされる。
「今日はおでこじゃないんだね」
いつもと違うことを指摘すると、彼の口端が意地悪そうに上がった。
「上書きは大事だろ」
そう言って笑うジョーカーからは、かすかに甘いチョコレートの香りがした。



 

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