愛しているからだ
ペテン師と死神は月に照らされた碇草を一房摘み取った。
▲▼
「誕生日おめでとう」
「52、ありがとう」
「これ」
「ん?」
「…やる」
「良いの?」
「誕生日だからな」
手渡されたのはたった一輪の花だった。
抜け出して摘んでくれたのかな。と思うと不安で仕方なくて、君を見つめると少しだけばつが悪そうに目を逸らす。
「…大丈夫だ。ちゃんと見つからないようにした」
「52はたまに無謀で大胆なことしちゃうよね」
「それは…、」
「それは?」
「……お前の、為だから」
「私の?」
「あぁ」
「どうして?」
「どうしてって、お前は俺の光だから」
「なにそれ」
可笑しくて思わず笑みを零すと、君は「笑うなよ」ってむくれた。
その顔が子供みたいで可愛くて、もっと笑うと52君も堪えきれなかったのか諦めたのか、どちらか分からなかったけど私みたいに笑う。
「俺はお前の為ならなんにでもなれる」
「もー、またそんなこと言ってる」
「本当だ。お前が俺の光である限り、俺は……俺は何にだってなれる。なってみせる。」
「……。」
「だからお前は、お前だけは笑っててくれ」
“その笑顔があれば俺は救われる”
君は心の底から私にそう言っていたね。君は心の底からそう望んでいたね。
ねぇ、私は君の光になんてなりたくなかった。
私はただ、ただ……。
▲▼
「どうした?」
「……おわっ」
目を開いた途端、視界いっぱいに広がる黒野さんの整った顔に吃驚していると「今日も可愛いな。苦痛に顔を歪めたらもっと可愛くなるぞ」とまた訳が分からないことを言っている。
なんて言ったら良いか分からなくて、とりあえず聞いていないフリをしてカレンダーを見て気がついた。
そうか今日は…、だからこんな懐かしい夢をみたのか。
「久しぶりに熟睡できました……」
「折角の昼休みを睡眠に使うなんて勿体ないな」
「なかなか有意義な使い方だと思うんですけどねぇ」
「隣に俺がいるのにか?」
「黒野さんが隣に来ただけじゃないですか…。」
「…。」
「え、私の顔になにか付いていますか?」
「今日も可愛いなと思っていた」
「黒野さんは物好きですねぇ」
背伸びを一つして、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含む。
君を思い出すことなんてなかった。だって、忘れたことが一度もなかったから。
「……にがいなぁ」
幸せと苦しさで雁字搦めになっていたあの日々を忘れるなんて出来なかった。
「黒野さん」
「どうした?結婚するか?」
「いや、結婚はしないです」
「そうか」
「…黒野さん、私は誰かの光になれるような人間だと思いますか?」
「なれないな」
「……。」
「もしかして、なれる。と言った方が俺への好感度が上がったか?」
「……余計な気を遣われるくらいなら、ばっさりと言ってほしいなと思います」
「そうか。じゃあ、改めて言うがお前は光にはなれない」
「…そうですか」
「お前だけじゃなくて、誰も光なんかにはなれないだろう」
「え?」
「お前はお前だ。」
そう言った貴方の言葉が私の心の真ん中に強く突き刺さる。
あぁ、そうか。私は、ずっとこの一言を君に言ってほしかったんだ。
▲▼
「一緒に逃げよう」
「逃げない」
大好きだった君の宝石が二つから一つになった頃、君は私にそんなことを言って肩を掴んだ。
「逃げよう。こんなクソみたいな世界から」
「ううん。私は逃げない」
「なんでだ?」
「52よく聞いて。私は君の光にはなれない」
「違う。お前は俺の光だ。お前さえいてくれたら俺は、」
「行かないったら行かない。」
私の肩を掴む手を振り解くと、君は私をキツくキツく抱き締める。
「頼む……一緒に逃げてくれ」
祈るような、慈しむような、
「お前はこんなところにいちゃダメだ」
崇めるような、讃えるような、
「俺はお前の為ならなんにでもなれる。どんなことだって出来る。お前を苦しめる全部からお前を護りたい。」
従うような、
「俺はお前を」
「それを愛とは呼ばない」
そんな視線が、そんな言葉が、そんな感情が、私だけに注がれるのが耐えられなかった。
「52、それは、愛だなんて言えない」
君の宝石のような瞳が大好きだった。愛おしかった。
でも、いつからそんな色になってしまったの?いつから私にそんな鈍い輝きを向けるようになったの?
「逃げるなら、52だけ逃げて」
君の光に、君の神様になるには、私は悪人になりすぎた。
「光を浴びるのは、君だけで良い」
私は光なんて要らない。私は光になんてなりたくない。
「私は私でいたいんだ」
逞しくなった腕を振り解いた瞬間、映った君の顔が脳裏に焼き付いて離れてくれなかった。
▲▼
「久しぶりだな」
「……52」
「今はジョーカーってんだ。…バーンズから聞いた。灰島に引き取られたんだってな」
「引き取られた?違う。戦力外通告を受けた後に殺処分されそうになったところをバーンズさんに助けられただけ。その後、私という駒が邪魔になったから灰島重工に売られたの。」
「なぁ。」
「え、なに?」
「余計な虫つけやがって」
「え、虫?どこに付いてる?ちょ、取って取って」
「そういう意味じゃねぇ」
「どういう意味???」
燃えるような月が私と大人になった君を照らしてギラギラと煌めいているのに、君の瞳は大人になってもあの頃と同じ輝きに染まる紫だった。
一歩、君が私に近づいた。二歩目で警戒心を強める。
三歩私に近づいて「そんな子猫みてぇに警戒するなよ」って笑われた。うるさい。誰が子猫だ。
「第一には行かなかったのか」
「行くわけないでしょ」
「お前なら中隊長にくらいなれんだろ」
「君は私を過大評価しすぎだよ」
「やめだやめだ。俺はお前を怒らせたいわけじゃない」
「私だって、君に嫌な思いをさせたいわけじゃない」
「俺の誘いを断ったくせにか?」
「……OK。分かった。言葉で何を言ったって嫌味にしかならない。こうなったら拳で語ろう。」
「待て待て待て」
「なに?もしかして怖じ気ついちゃった?可愛いところもあるんだねぇ」
「怖じ気ついてねぇよ。話し合おうぜ」
「話し合いをした結果、嫌味の応酬ごっこになったのに?」
「俺達はもっと素直に話せる仲だっただろ?」
「大人になるとそういうわけにもいかないでしょう?」
「確かにそうだが、俺とお前なら違う筈だ」
「……君はやっぱり私を過大評価しすぎてると思う」
私に四歩近づいた52……いや、今は確かジョーカー。そうだ、ジョーカーだ。えっと、そのジョーカーと名乗っている君は私に一輪の花を差し出した。
「これは、なに、」
「花だ」
「いや、それは見れば分かるんだけど」
「今日誕生日だろ」
「え、あ、うん」
「プレゼントだ」
「あー……ありがとう」
受け取った花は相変わらずなんて名前なのか分からない花で、とりあえず受け取ると花特有の甘く華やかな香りが胸一杯に広がる。
「お前、花が好きだったろ」
「…いつの話かな?」
「仕方ねぇだろ。お前は俺の中であの頃から成長してないんだよ」
「成程。確かにそうだよね。」
「…要らねぇなら返せ」
「え、嫌だ」
「返せ」
「嫌だって。ハーバリウムにして飾るから」
「ならハーバリウムを買ってやるよ」
「それはダメ」
「我儘だなオイ」
「うるさい。ダメったらダメ。」
「あーもう分かった分かった。お前の好きにしろ」
「うん」
ありがとう。って笑うと、ジョーカーは苦虫を噛んだような顔をして舌打ちを一つした。
それから煙草に火を付けて私の名前を呼んだ。
「……俺は、どこで間違えたと思う?」
その問いの答えを私は君に紡いだ。
「ジョーカー、君は間違えていないよ。」
私がきっと間違えたの。
「なぁ、なら俺達はやり直せるか?」
「あはは。どうだろうか」
それは無理なんじゃないかな。
▲▼
「どうして教えてくれなかったんだ」
「そ、そんなに怒ることでしょうか?!」
「当然だ」
「黒野さんの沸点が分からない……」
「俺は沸騰しない」
「そうじゃなくてですね……」
「お前は昨日誕生日だったんだな」
「えぇ、まぁ。そうですね」
「……俺に内緒事か?」
「いや、内緒にしていたわけじゃなくて、ほら、黒野さんってなんでも調べる人だと思っていたので」
「調べて良かったのか?」
「良くないです」
「俺はお前が嫌がることはしない」
「あ、そうなんですね……ありがとうございます」
「あぁ、俺はお前が嫌がることはしない」
「黒野さん」
「お前が嫌がるから、昨夜 一緒にいた男との会話を邪魔しなかった」
左手に違和感を感じて、視線を黒野さんから自分の左手に向けると、黒野さんの細くて長い指が緩く絡み付いていく。
ひゅ。と喉から空気が漏れせば、黒野さんはゆっくり子供に言い聞かせるように話し出した。
「男は俺に気づいていたが、お前は気づいていなかったな。あの男はお前の知り合いか?いや、違うな。きっとお前にとっては友人なのだろう。お前は意外とああいう悪い男と仲良くするんだな」
「そういうのじゃ、っ」
「分かってる。お前があの男に向けているものと、あの男がお前に向けているものの種類は全く違う。そうだろう?」
「黒野さんに、なにが、」
「俺はお前のことを何一つ知らない。だから、今こうやって一秒でも多くお前のことを知ろうとしている」
「どうして、?」
「どうして?決まっているだろう?それが“愛”というやつだからだ」
「あい……?」
「あぁ、愛だ。俺はお前を愛しているからな。」
恥ずかしいことを言わせるな。これは高くつくぞ。って黒野さんの声が遠くで聞こえる。
逃げようとすれば、きっと私の左手に絡まる黒野さんの指がキツく絡みつくんだと分かっているから逃げようと思っても逃げられなかった。
「俺はお前に光になってほしいだなんて思わない。俺の手が届く範囲に四六時中いてくれれば良い。お前のことは全て俺がしてやる。」
「黒野さんは、私に、何を望んでいるんですか…?」
「望んでいるものは特に無いが…強いて言うなら、俺の愛を一身に受け止めて欲しい。」
鼓動が止むその時まで。と続いた言葉に息を飲み込んだ。
二つの金色が見飽きたあの光を放っていて、自分の中で何かが崩れてしまいそうになる。
「黒野さん、わ、わたしは、私にしかなれないんですよね……?」
「あぁ。」
「だったら、どうして、そんな目で、私を、」
「そんな目?」
首を傾げた貴方は私を見つめて妖しく笑った。
「あぁ、きっと“そんな目”でお前を見てしまうのは」
私は馬鹿だ。どうしてそんな問いを今ここでしたんだろう。
また間違えた。また同じ間違えを繰り替えした。
これからどんな答えが紡がれるのか、私はもう分かっていた。
だってそれはあの時、君が、52が私に言おうとして遮った言葉と同じだったから。
「俺がお前を」
【愛しているからだ】
首を、心を、愛を、魂を捧ぐは紫か、あるいは金か。