なにもできない/ジェノス


「……」

家の灯りがついている。
携帯を見れば確かに、今日来るというだけの用件のくせにやけに長いメールが2通ほど来ていた。
しまったな。
つい盛り上がって連絡していない。
自分の家なのに帰りずらい。
こういうことをすると、ちょっと、面倒なことになる。
まあ、もう、しかたがないか。

「ただいま」

言うより前、玄関を開けるより前に、彼、ジェノスはそこに立っていて、真剣な顔で「おかえりなさい」と言った。
しばらく待っても何も言わないので、このまま有耶無耶にできるのかと思ったがそんなわけはない、とりあえず、謝っておく。

「ご、ごめんね」
「……いえ。今日は用事がありましたか」
「飲み会、に」
「そうでしたか。連絡が無いので心配しました」

このサイボーグは、ジェノスと言う名前で、最近プロヒーローになった。
飲み会のため晩御飯は食べてきてしまったのだけど、家の奥からはやけにいい匂いがする。
悪いことをした、と思ってはいる。

「それなら、入浴されますよね。今用意します」
「……ごめんね。ご飯とか」
「いえ、お返事がなかったので保存できるものを作りましたから」
「もしかしなくても、怒ってる……?」
「いいえ。ただ」

目が笑っていない。
ただただ小さく、静かに、まるで蝋燭の火のようだけど、そんなに穏やかなものじゃない。
一歩間違えば、風でも吹けば、たちまちその火はまわりの油にうつってしまって逃げ場なんてなくなるだろう。
そんな怖さと危うさが、今の彼にはある。

「俺じゃない、誰かのにおいがするんです」
「………」
「だから、いつもの貴女に戻りましょう」

にこり、と。
雰囲気の一番上っ面の、皮1枚は笑っていたとしても、全体で見たらそれは笑顔とは程遠い。
おとなしくいうことを聞いておく。
私はそうだねとだけ言うと、着替えるために寝室へ向かった。

◆ ◆ ◆

お風呂から上がってリビングへ行くと、ジェノスがタオルを広げてブラシとクシを用意して待っていた。
まだ、少し怖い雰囲気だ。

「俺が乾かします」
「、うん」

ほんの少しだけ躊躇うけれど、拒絶するとあとが大変だ。
そのくらいならまあ、いいだろう。
髪を触り出すと、少しだけ雰囲気が和らいだ。
それを感じて少しほっとするが、もっとわかりやすく怒ってくれたらと思わずにはいられない。

「なまえさん」
「ん」
「楽しかったですか?」
「う、ん、ごめんね、返事を」
「いえ、そんなことは貴女が無事ならいいんです。それよりも、飲み会ではどんな話をしたのですか?」
「どんなってほどでもないよ、会社の話ばっかり」
「どんな人と一緒でしたか?」
「どんな人って?」
「男もいましたか」
「結構大人数だったから……」
「……そうですか」
「……うん」
「なまえさん」
「ん?」
「泊まっていってもいいですか」

カレンダーを、思い出す。
今日は水曜、明日も朝早くから出て仕事がある。
許可した場合、本当にとまっていくだけでは済まされないのだろう。
下手をしたら、明日休む羽目になる。
それは困る。
いろんな人が。

「ごめんね、今日はちょっと。本当に申し訳ないんだけど……」
「……そうですか。それなら、一つだけ、いいですか」
「ん、」
「名前を、呼んで下さい」

そう言えば、帰ってきてから一度も呼んでいないかも知れない。
私は小さく息を吸う。

「ジェノス」

彼のなかでは、多分たくさんの感情が渦巻いているのだ。
私に対していいもの、わるいもの、世界に対してのすべて、自分のこと、気遣いとか独占欲とか、愛とか恋とかについて、男とか女とかのあれやこれ。
そんなものが、きっと渦巻いていて、ひどく安定しない。
開き直った時にどうなるのか、私にもわからない。
ただ、この瞬間、ジェノスはようやく心から笑って、「はい」と返事をした。
頭を撫でてあげれば、嬉しそうに恥ずかしそうに手のひらに擦り寄る。

「ジェノス……」
「はい、なまえさん」
「、」

何を言うべきなのだろう。
私は彼になんと言ってあげるべきなのだろう。
どうすることが、お互いにとって良いのだろう。
お互いにとって良いことなんて、あるのだろうか。

「週末に、またおいで」
「はい……」

残念そうな、嬉しそうな、複雑ではあるが綺麗な笑顔に、私も同じく笑顔を返せているだろうか。
最後にぎゅうと抱きしめられる。
私はジェノスを玄関まで見送ると、振り返って名残惜しそうにしていたので、もう一度頭を撫でて、「気をつけてね」と言った。

「それでは、また」

しっかり、扉が閉まる瞬間まで見送ると、彼に触れた手のひらに視線を落とす。
一つ息を吐いて、部屋に戻る。
彼の作った料理の匂いと、ぴしりと、スーツにアイロンがかけてあった。
お風呂に入っている間にやってくれたのだろう。
明日のシャツから、タイツ、何から何まで用意されている。
いくつか香水も持っているが、それすらも傍らに置かれていた。
冷蔵庫には料理がいろいろ。
最近だとデザートがあることもある。
それはいいが。
胸の奥で誰かがいう。
大丈夫?
大丈夫だよ。
本当に?
ほんとうに。
それならどうして。
それは私のどの部分だろう。
わからないけど、声が聞こえる。

どうして「好きだ」って言えなくなった?

そんなのほんとはわかってる。
あの危うさに恐怖しているからだって、わかっている、わかっているから、少し黙って。


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20160303:病むってなんなのだ。

 
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