無言の信頼/観音坂独歩


ディスプレイには『観音坂独歩』と表示されている。時刻は午前一時二十五分。なまえはベッドの中でしばらくその表示を見つめていた。十回コールが鳴った後に一度切れたがすぐにまた鳴り始めた。
「もしもし」
先ほどまで眠っていたのでいくらか低い、間延びした声だった。発音はできていたはずだが、独歩からの返事はない。「……」無言だ。大した用事はないのだろう。眠れないとか、眠りたくないとかそういう話に違いない。
「ストーカーみたいなことをするんじゃないよ……」
「な、」
 心外極まりない、という声で続いた。
「俺はストーカーじゃない。こ、恋人だ」
 なまえは大きく欠伸をしながら体を真っすぐにして天井を見た。スマートフォンの明かりのおかげで部屋の中のものは割合にくっきりと見える。クローゼットが開いたままになっている。収納するというよりは放り込んであるだけの服が増えて来た。そろそろ整理する必要がありそうだ。もう一度欠伸をする。
「それに、もう何十年の付き合いだと思ってるんだ」
「……ストーカーに転じる、という言葉があるんだけど」
「そんな話は聞きたくない……」
 才能はあると思うが。そうからかってみようかと思ったが、本気で落ち込みそうなのでやめておく。なまえは眼を閉じて独歩の言葉を待つ。「どうした」だとか「なにかあったのか」とは意識して聞かないようにしていた。ただ、独歩が何か言うまで黙っていた。
「その」
「うん」
「あれだよ、あの」
「うん」
「おやすみって、言いたくなったんだ」
「そうなの」
「そうなんだ」
独歩はわざわざ咳払いをした。
「おやすみ、なまえ」
「おやすみ、独歩」
 三秒に満たないやりとりだった。彼の言ったやりたいことは済んでしまった。なまえはまた欠伸をする。電話の向こうで独歩が視線を彷徨わせている姿が目に浮かぶ。
「……」
「……っ」
 無言になると静まり返る。なまえは一度目を擦った。もう少し付き合う必要がありそうだと予測してスマホを反対の手に持ち替えて体を伸ばす。掛け布団が擦れる音が止むと、独歩はもう一度言った。
「お、おやすみ」
「うん、おやすみ」
 さっき聞いたが。これで明日を迎える勇気が出るなら安いものだ。こんなものがなくても、独歩はきっと一人でなんとかするだろうけれど。なまえはごろりと体を反転させて枕に半分顔を埋める。
「おやすみ! 切るからな!」
「おやすみ、またね」
「っ、う、いいか、本当に切るぞ!」
「あんまり騒ぐと一二三に迷惑かかるよ」
「そ、そんなにうるさくしてないだろ! 今はあいつ仕事でいないし」
「そうか。今度冷やかしに行こうかな」
「え? あ、ああ。行ってやってくれ。きっと喜ぶ」
 ホストクラブって行ったことないけど。適当な同僚に声をかければ一緒に行ってくれるだろうか。誰もいなければ独歩を連れて行けばいいか。「あ、けど、一二三以外を指名するのは」独歩がごにょごにょと言っている言葉を聞きながら合間で合間で「うん」と頷く。
 その内、ふう、と深く息を吐く音が聞こえた。
「……ありがとう。大分落ち着いた」
「それはよかった」
 午前一時四十分二分。通話時間は十七分。まずまずの記録だ。なまえもゆっくりと息を吸い込んで眠りに落ちる準備をする。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
 四度目の『おやすみ』の後、三十秒後に電話が切れた。


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20220806:病む病まないのギリギリの位置にいるけど優しい観音坂独歩が見たいと思いました。


 




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