「これはなに?」
一見すると価値などなさそうな土人形である。船室に置かれた、父の商品を指さしてそう聞いた。なにがいいのかさっぱりわからないが、それなりの値がつくということは、これは価値のあるものなのだろう。その価値の部分が知りたくて聞いてみた。父は「珍しいな」と顔を上げる。私が土人形に触れていたのを見て、やんわりと取り上げる。子供じゃないんだから、とは思うが、そうムキになるのもまた子供の証であるように思えて、大人しくしていた。
「日本の古い造形物だ」
日本には数年住んでいた。母が日本人なので、五歳くらいまでは母の実家で暮らしていた。五歳の誕生日に、そろそろもののわかり始める頃だろうと、父と母が迎えに来ると、日本には、年に一度か二度帰る程度だ。
数千年前に作られたもので、歴史的価値のあるものなのだと父は説明した。用途については諸説あり、祭事などで使われていただとか、単に子供のおもちゃだったのではないかとか、故意に壊されているものが多いことから、呪術に使われたのではという説もあるそうだ。女性の生殖器を強調したものが多いし玩具というのはどうかと思うが。日本人の考えることはわからない。と父は笑った。その日本人と結婚したくせに何を言っているのか。そもそも、そんな何千年も前の人達を日本人としてまとめるのは正しいことなのか。
「ふうん」
古いものだということはわかった。だから価値あるものであるらしい。しかし、やはり私にはよく分からず、首を傾げた。
「じゃあ、そっちは?」
「どうしたんだ、急に。ブローノへのお土産探しか?」
「お父さんのものをあげたりしない」
「はは、もしどうしても欲しいものがあれば相談しなさい」
「だから、高いものはあげないって」
正確には、あげるべきではないのだ。食べたら無くなるようなものが丁度いい。売ってもお金になんてならないようなものがいいのだ。何故ならば。
父と私とは同時にピタリと動きを止めた。ひやりとした空気がドアの外から入り込んでくる。私はそうっと移動し壁に張り付く。父はきっと、ベッドの下に隠れた頃だろう。何時でも飛び出せるように息を吸い込む。こんな風に悪意を隠せない連中ならば大したことはない。大声で笑って、この部屋へ飛び込むタイミングを作ってやったら良かった。
左手で部屋の隅にピン、と張った糸に触れる。袖からナイフを取り出すと、扉が開け放たれる少し前に糸を切った。ブローノのように静かに話してくれればいいのだが、興奮して叫ばれると、何を言っているのかわからない。
真ん中の男の胸に矢が刺さった。三人だ。残り二人。右の男は銃を持っていたので先に指を切りつけ、仰け反る軌道に合わせて飛びかかった。胸に一本ナイフを刺すと、男を飛び越えて壁にする。撃ってこないな。もう一人は銃を持っていないのかな。男を前に突き飛ばし、姿勢を低くして突っ込む。最後の一人は呑気に仲間の死体を支えている。私は彼らの横を通り過ぎ、振り返るより前に後ろから心臓を刺した。他に仲間はいないようだった。全員を部屋に押し込んで扉を締める。
「こうなるから」
ベッド下から這い出してきた父に言った。高いものを持っているらしい、そんな噂が立てば最後、こんな連中が押し寄せてくる。父が積まれた死体を見ながら言う。
「母さんのところへ行ってやりなさい。バーへ行くと言っていた。人目があるから余程大丈夫だとは思うが」
「ここはいいの」
「死体の始末くらいできる」
父は、土偶を抱えて油汗をかいていた。それはそんなに大切なものなのだろうか。明らかに他の商品とは扱いが違う。考えていると名前を呼ばれた。「わかってる」言われた通りに母の無事を確かめに行った。きっとそうなるだろうと思って、返り血を浴びないように気を付けていた。だが、廊下の窓で顔を確認すると頬に少し血がついていた。袖でぬぐって、取れなかった分は手首を舐めて唾液で無理矢理絡め取った。
昔から、どうにも人に対して加減をするということが苦手であった。なにがいけないのか最初はわかっていなかったが、私の世話をしていた祖母が「なぜあなたは女の子なのに」と嘆くのを見て、どうやら私が悪いらしいと思い至った。かと言って、どうするべきなのかはわからないまま、父と母が迎えに来た。
当時五歳の子供に最初からこういう働きを期待していたわけではないと思うが、おそらく彼らは思ったのだ、私であれば『耐えうる』だろう、と。結果として、耐えるどころか適応し、祖母が望んだ私からはどんどん遠ざかっているが、お父さんとお母さんが私を否定したことはない。
愛されていないわけではない、はずだが。愛だとか、人への接し方だとか、そういうことを考えているとブローノ・ブチャラティを思い出す。彼の有り様というか、彼の特性というか、人の弱さへの理解のようなものが私には足りないのだろうと思う。たくさんの人を見て観察を続けてきたけれど、今も考え続けているけれど、彼のようであれたなら。思考はいつもそこへ辿りつく。
バーカウンターで、一人楽し気にカクテルを煽る母を見つけて声をかける。
「お母さん 」
「どうしたの、お父さんと一緒に居なくていいの?」
「そのお父さんに、お母さんの様子を見て来るように言われたから」
「あら、またなの?」
「そう、また」
母は運が良く意図せず危険を回避することが多い。危ない場面には出くわさないのである。偶然その場にいなかったり、居ても、大したことの無い相手であったりする。
母はワイングラスを置いて、ふう、と息を吐いた。
「物騒ねえ。いくらあなたが強いと言っても、気を付けないといけないわね」
この二人が私を迎えに来た時、本当に私は二人の子供なのだろうかと考えたことがあったが、二人の中に自分への共通点を見つけることも多くて、いつしか納得した。その納得できてしまうところもまた、二人の子供らしい。
「行こう」
母の手を引くと、母はテーブルの上に置かれていた細長い箱を慌てて掴んだ。「待って」あまり待っていたくはないが、言うことを聞いておかないと向こう一週間は煩いので足を止めて振り返る。「なに?」
「これこれ、見て頂戴」
母が箱を開けると大きな赤い石のついたネックレスが出てきた。チェーンも太めなら留め具までいかつい、大味なデザインだ。オモチャみたいな安っぽさを感じて顔を顰める。留め具は外れていた。
「何その、安そうなネックレス」
「さっきまでいた男の人に貰ったんだけど、あなたこれについてどう思う?」
「捨てたら?」
「けど、せっかく貰ったのだし、こんなおばさんに嬉しいじゃない? 趣味がいいとは言えないけど」
無条件で喜んでいるのでなくてよかった。私はネックレスを奪い取り、ゴミ箱に捨てた。「あ、ちょっと」抗議の声は聴かない。石の裏だとか、大きな留め具だとか、発信機がつけられている可能性があるし、もしかしたら、留め具をはめたら爆発するかもしれない。
母に伝えると呑気に「まあ」と頬に手を添えた。
「こんなおばさん相手に、怖いわねえ」
「そうだね」
バーを出る時にどこかから舌打ちが聞こえた。用心は続けたほうが良さそうだ。


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20220506
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