次に彼のいる村へ立ち寄った時には、既に彼の母親はいなくなってしまっていた。何故か、ブローノが「ごめん」などと言うので、背中を叩いて背筋を伸ばさせ、ジェラートをご馳走した。
ジェラートを舐めながら、私はぼんやりと空を眺める。船が遠ざかっているのが見えた。あれは釣り船だろうか。
浜に置かれている船の縁に二人で座って、足をふらふらさせている。
ジェラートを食べ終えると、包み紙をポケットに入れながら彼はぽつりぽつりと話しはじめた。父と母が離婚したことについての話であった。「わかってたんだ」二人が夜話しているのを聞いていたそうだ。その後何度か話し合いは重ねられて、きっと二人では決めかねたのだろう。ブローノに選択を委ねた。選択を迫ることはとても残酷で、とても優しいと私は思った。
「母さんは、ショックだったみたいなんだ」
父さんと暮らす。そう告げた時。それは、ぼくを愛している、という言葉に嘘がないということだったんだろうけれど。聞きながら自分の立場に置き換えてみる。「どちらと行く?」もしそう聞かれたとしたら。如何な理由であってもどちらかを選んだ時点で、あるいは選ばなければならなくなった時点で、全員しばらく辛いだろうと眼を閉じた。
「選ばれなかった方は、そりゃあショックだろうね」
「けれどきっと大丈夫なんだ。お母さんは強いひとだから」
「まあ確かに、どこででもやっていけそうな感じはある」
「うん」
暗くて想い。ブローノの視線は下だ。私は正面に広がる海を見た。海はきらきらしていて美しいのに、これを見ないでいるのは勿体ない。自分の手のひらを数秒眺めてから、ブローノの前髪をかき上げた。聡明そうな目が良く見える。私がぐっと力を込めたから、上を見るしかなくなった。短い髪がぱらぱらと手から零れていく。
「ブローノのお父さんは、嬉しかっただろうと思うよ。お母さんの手前手放しに喜ぶわけにいかなかっただけで」
「うん」
私が言葉を切ったらまた俯くのだろうかと考えると、なんでもいいから喋っていなくてはと思う。彼の頭をぐしゃぐしゃやりながら続ける。
「私にとってもここにブローノがいる、ってのは、嬉しいことだ」
「本当に?」
「この町と言えばブローノだし。誰かにあげると思うとお土産選びは数倍楽しくなる」
やっぱり、本気で選ぶからだろうか。例え自分へ買うものであっても、本気で悩む方が楽しい。
「そんなわけで、ほら。お待ちかねの。今度のはやや志向を変えてお茶にしてみた」
もし、まだ話したいことがあったとしたら悪いことをした。どうしても話したいことなら話を戻してでも話してくれ、と願いながら、鞄の中から銀色の、シンプルな缶を取り出した。茶葉が入っている。
「ありがとう」
彼はまた大事そうに握り込むので、私はそれを見てふっ、と笑った。勝ち誇ったような笑顔だ。「どうしたの」と心配そうにされる。心配そうにするな。私がおかしいみたいだから。
さらに鞄の中から白の水筒を取り出した。蓋の部分がコップになっている。
「出来上がったものがこちら!」
「いつもより荷物が多いと思ったら」
「ここで飲んだらきっと美味しいと思って選んだからね」
鞄からもう一つコップを取り出してお茶を注ぐ「まあ飲みなさいよ」ブローノには水筒に付属しているコップを貸した。咲いたばかりの花のような柔らかい香りが広がった。
「うん。美味しい」
私は一口飲んでニッコリ笑う。「うん」ブローノも体から力を抜いて「美味しい」と息を吐く。今朝淹れたものだが、まだまだ温かい。潮風に晒されて少し体が冷えていたから丁度いい。二杯目を入れる私をじっと見つめて、ブローノは言った。「それ」水筒を指差している。
「それ、大切なもの?」
「水筒? 別に。そうでもないけど」
「なら」
何でもかんでも大切そうにゆっくり話す、出会ってすぐの頃は面倒だと思ったが、今となってはブローノの言葉を待っている時間が結構好きだ。
「それが欲しいな」
何の変哲もない水筒である。中身はもう彼の手の中にある。
「……なんで?」
私の顔が余程愉快なのか、私の顔を見て笑う。「おい」失礼だぞと頬を引っ張ると「痛いよ」そうは言うけれど、楽しそうにしている。両手で掴んでぐにぐにやっていると、ブローノはちらりと私のお土産を見た。
目が合ったので、私は頬をぐにぐにするのをやめる。
「君がくれるものはいつも、無くなってしまうものばかりだから」
お菓子。それからお茶の葉。アクセサリーや細工品だって手に入るのに、そういうものではなく、食べたら無くなるようなものを選ぶことが多い。そのほうがいいだろうと思っての事だったので、青天の霹靂だ。視界が白く爆ぜる。
「駄目かな」
ブローノは私からの返答を待って視線をさ迷わせていた。ガッと頭に手を乗せてぐしゃぐしゃと撫でる。「これ、なんていうのかな」唸りながら考える。乱れた前髪の奥からこちらを見つめる瞳を見ると閃いた。「かわいい」
「そう、かわいいだ! ブローノはかわいい!」
パチンと指を鳴らすと、彼はぽかんと口を開けた後に、言われた言葉の意味の、たぶん、表面の部分だけ理解して顔を赤くした。
「う、嬉しくないよ」
「かわいいかわいい!」
「嬉しくないったら」
「ほら、お茶でも飲みなさい。お茶菓子もあるよ」
「家の向かいのおばあさんみたいなこと言って」
なんとでも言うといい。「ふふ」私はとても気分が良くて「ははは」と声を上げて笑った。「もう」ブローノが拗ねているのを見て、お茶の残っている水筒を手渡した。
「悪かったよ。お詫びに水筒あげるから」
「許してよ」ケラケラ笑って、あまり反省しているようには見えなかっただろうけれど「怒ってないよ」と優しい彼は水筒を受け取った。「ありがとう」彼はどんな大人になるのだろうか。考えて、しかし、変わりようがないのかも、と頭を撫でた。


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20220506
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