私がこの世界に入ったのは十二の時であった。あとから聞いた話によるとブチャラティと同じらしい。私の場合はスカウトであったが、ブチャラティは自ら組織の門を叩いたのだと言う。そして私がブチャラティと会ったのはギャングになって三年目。十五の時である。「スカウト?」ブチャラティは首を傾げた。私は軽く笑う。芸能事務所が可愛い女の子をスカウトするのとは訳が違った。
たまたま一緒に仕事をして、帰りに公園で話をしたんだったと思う。同じ歳で、彼がどういう人間であるかはすぐにわかったので、問われるまま、あるいは、私自身が望むままに話をした。
「彼らが仕切ってる賭場を」
「潰したのか!?」
「潰してはない。なんて言えばいいか。その、取り返した?」
親戚が金を借りており、返せなくなって喘いでいた。利子は法外。よくあることだが、私は勝負することを選んだ。そうするのが当然だと思って挑んだと思う。勝ってしまったせいで、私の持っている度胸とやらに目を付けられて付きまとわれた。結局、関わった時点でこうなることは決まっていたのだ。会いに来るな、と言葉で言っても無駄で、腕力ならもっと敵わない。家族には黙って組織に入った。今は知られているが、何も言われない。お互いに表立って話題にはしない。――話題にしないことができる程度に、組織で成果をあげている。今やこのあたりの賭場は大抵私が仕切っている。ちょっとばかり腕に覚えのあるギャンブラーなど、ものの数ではない。
路地裏で一人、溜息を吐く。ギャンブラーは、大人しくギャンブルだけをしてくれたなら、私の仕事は少なくていいのだが。
「ほんと、勝負師としての矜恃とかないのかね」
ハイヒールに飛んできた血飛沫を、転がっている男の服で拭って路地を抜ける。「カードで負けたら暴力に訴えるってのは、どうなんだ」情けない話である。そして暴力ですら私には敵わないのだから、さぞ惨めなことだろう。
右手で軽く顔に触れた。顔に血がついていないといいのだが、鏡を持っていない。
大通りに出ると、ちょうど通りかかった人とぶつかりそうになった。通行人は足を止めた。私は慌てて顔をあげる。
「すいません、道を」
塞いでしまいましたね。言うより前に、その人が知り合いだと気づいた。「ああ、おはよう」今日もまた返事はない。アバッキオは私を大きく迂回していつものレストランに向かった。
私は距離を開けたままアバッキオに続く。イライラしているのが後ろからでもわかった。心当たりはやっぱりないが、理由はきっとあるのだろう。
私は彼が気配を感じられないくらいに遠回りをして、レストランの前まで来た。フーゴが「片付きましたか 」と聞いてくるので「もちろん」と返す。ただ彼は私の顔をみるなり溜息をついて、ハンカチを押し付けてきた。「鏡くらい持ち歩いてくださいよ」血がついていたらしい。
「ありがとう。フーゴ」
「いいえ。お礼はこの後貰いますから」
にこり。そう笑って奥を示すと、ブチャラティとナランチャも笑っていた。「おまえを呼んだのは他でもねえ」ブチャラティはもったいぶってから紙袋をテーブルの上にどん、と置く。
「オレンジをたくさんもらったぜ」
一つ二つ、置いた衝撃でオレンジが転がった。一つは私の足元まで転がってきたので拾い上げる。もう一つはアバッキオの傍だ。彼らが言わんとすることはわかった。
「オッケーありがとう」
「頼むぞ」
ブチャラティはこくりと頷いて、私に紙袋を手渡した。これはなかなか楽しい仕事だ。
私はそれを受け取るなり、妹がアルバイトをしている店に押しかけた。既に営業終了時間が近付いていたので客はいなかった。店主の男は私を見ると、中へ通してくれる。
「あれ、お姉ちゃん」
厨房では妹が洗い物をしていた。「いいもの持って来たよ」私が言い終わる前に妹は私からオレンジの入った紙袋をひったくって「いつものやつね!?」と興奮していた。
店主は微かに笑って「いつも通り、好きに使ってくれ」と言って、厨房から出て行った。店は小さいし店主はメディアにも出たがらない為知る人ぞ知るという感じだが、コンテストでの優勝歴もある腕のいいパティシエである。若いのに立派だ。そして人間もできている、と妹はいつも彼を誉める。そんなところで働く妹を誇りに思う。
特にパッショーネの息のかかった店という訳でもないし、私などはあまり近付かないようにしていたのだが、他の組の人間に絡まれているのを助けて以降「お姉ちゃんが出入りしてる方が安全だと思う」と妹に言われ、店主も是非そうしてくれというので、私の行きつけになった。チームのみんなもここの菓子が大好きだ。
オレンジの入った袋を持ったままクルクルと回る妹は「新作が試せる!」と喜んでいた。彼女はパティシエを目指している。処理しきれない量の果物を貰った時はいつもこうである。私も助手くらいはできるので、袖を捲って手を洗った。
妹はおかしなテンションになりながらオレンジを一つ、食べやすい大きさに切って半分くれた。
「お姉ちゃんは何が食べたい?」
「好きに使ったらいいよ。みんなも美味しいものが食べれたら満足だと思うから」
「それも作りがいのない話ね」
「その他材料費は、いつもの様にしておいて下さい」
「そんなの、店長は必要ないって言うわよ。それこそいつものよーに」
「それならそれで」
また揉め事でもあれば飛んできて片付けよう。我々にできることはそれくらいしかない。
私は大きなザルにオレンジを全部出して水を出す。まとめて洗いながら「どうする?」と聞いた。
「だから、聞いてるじゃない」
「なに?」
「お姉ちゃんの食べたいもの」
「……かわいい妹の新作ケーキ?」
妹は如何にも不満げに私をじとりと睨み付けた。「本当に、なんだって美味しいから」更に言うなら、この時間そのものが好きだ。真っ当に夢を追う妹の姿を隣で見ていられる時間。その夢が不当に砕かれることがないように、私はギャングを続けている。……というのは、傲慢なきれいごとであり、結局私は既にこのようにしか生きられないのだろうし、私自身でこの道を選んでいる。ただやはり、できることはやりたいと思う。
妹は私の背に飛びついてきて叫ぶ。
「この腰をぐちゃぐちゃに砕いてやるわ!」
「うん。楽しみだ」
きっとみんなも楽しみにしている。
かなり遅くまで厨房に詰めていた。両手に抱えきれないくらいのお菓子を作りあげた妹は、私が一人でも持てるように包装を工夫してくれたりした。できた妹である。「綺麗に作ったのに潰されるのが嫌だからよ」照れる必要などないのに。
次の日、早速いつも迷惑をかけているレストランにも差し入れして、残りは皆の前に置いた。ブチャラティには妹の自信作を渡した。オレンジをくれた人へお礼に、と妹から託されたものだ。「任された」ブチャラティは若干ソワソワしながら言う。
「なあ! なあなあ! もういい!? もういいよなあ!?」
「どうぞ」
「待ってました!」とナランチャがフォークを持った。アバッキオは不機嫌そうだし、私は努めて見ないようにした。なんというか。原因は私なのだから、その私がニヤついているのを見るのはさぞ嫌なことだろう。
「これなんて菓子だっけ?」
「フィナンシェですよ。前にも食べたでしょう」
「前より絶対美味いってこれ! なあなあ、そっちもおくれよ!」
「好きなだけ食べなさい」
アバッキオは手を伸ばさない。私からすすめるのもなと思っていると、冷ややかな言葉が飛んできた。
「まともな女みてーな趣味なんだな」
路地から返り血浴びて出てくるような女なのによ。――ああ、それで路地から私が出て行った時、あんな顰め面をしていたのか。あとからフーゴに拭いてもらったが、私を見て怖いなと思った人は他にもいたかもしれない。
悪いことしたな、と少し笑う。あと、これを作ったのが私だと思われているせいで手を付けないのはもったいないし、妹にも申し訳ないと思う。まあそこは、きっと誰かが訂正しておいてくれるだろう。その後食べてくれるかどうかはわからない。どちらにせよ、余るということはないだろう。周りのみんなの様子も見る。特にナランチャは怒ると言うより悲しげで、それもまた悪いよなと目を伏せた。
「では、各自味の感想をレポート用紙にまとめておくように」
最初からそのつもりだったのだという様に自然にレストランを出た。元々これを置きに来ただけで、私はこれから行くところがある、という風を装った。
食べ物につられるアバッキオ、というのも見てみたかったが、仕方がない。
顛末については後からフーゴに聞くとしよう。今このタイミングで妹や妹の働く店の店主に見つかると面倒かなと、反対方向へ歩を進める。
「最近、どう? なにもない?」
妹は私にそう聞いた。「困ってることとか。仲間内でいじめられているとか」少し困っていることはある。今これを聞いてくるのは流石だと思いながら「なにもないよ」と答えた。彼女に相談しようものなら、直接乗り込んで行って「アバッキオさんってどの方かしら!?」と文句を言いかねない。相手がアバッキオならば乗り込んで行っても平気だとは思うが、間違いなく溝が深まる。なにもない、と笑った私を信じて妹は「ならいいのよ」とパウンドケーキの生地を混ぜていた。
その内には『なにもない』状態に持っていく必要はある。が、しかし。
「あ、いたいた! おーい!」
ジェラートを買って海を眺めていると、ナランチャがお菓子を両手に持って追いかけてきていた。
走り寄って来たナランチャはじっと私を見つめる。言葉を探しているようだが、こちらを窺うばかりで何も言わないので、私の方から私の状態を伝えてみた。
「私は大丈夫だよ」
「それはわかるよ」
わかる。らしい。ナランチャの言葉を聞いて、もしかして、彼はアバッキオを心配しているのかもしれないと思った。
ナランチャは私の持つジェラートをじっと見つめているのでひと口あげた。「グラッツェ!」「うん」これ以上食べられないうちに、残りを平らげる。彼なりに気を使おうとしていたのだろうが、私がいつも通りであるから、彼もけろりといつもの調子に戻った。隣に立って、一緒に海を見る。彼は自分で持ってきた、私の妹が作ったお菓子を食べ続けている。
「アバッキオは、なんでなまえに対してあんななのかなァー?」
「なんでだろうねえ」
「挨拶くらいしろ!って怒ってみたら?」
「私が?」
「そうそう」
ナランチャは言って、どうしてか彼が一番深刻そうに息を吐く。
「ブチャラティもなんでか放置だしさァ〜。オレなんか悲しいよ」
私とナランチャは確実に、アバッキオが『なんで』ああするのかは知らない。しかし、ブチャラティは全て知っていて放置しているのだろうとは思う。なにも知らずにあの態度を許しはしないだろう。だとするならば、ブチャラティはこの件について放置するしかないか、放置するほうがいいと思っているに違いない。
ナランチャの頭を撫でて、髪についている食べかすを払った。
「いいよ。私は別に気にしてないし、これからも挨拶し続けてみるから。その内、無視してることに良心が痛んで挨拶返してくれるかもしれない」
「リョーシンが痛まなかったら?」
「最終的には虚空に挨拶し続ける私を哀れに思って返してくれるかもしれない」
ナランチャの声はどんどん大きくなっていく。
「それもなかったら!?」
私の見立てでは、その可能性は低い。一つ証拠を示すとする。私はナランチャに聞いてみた。
「アバッキオはそういう人?」
血も涙もないような男だろうか? 私が聞くと、ぐっと黙って、真剣な顔で私を見つめ返してきた。
「ううん。イイ奴だよ。オレは好きだ」
「ならやっぱり、たぶん、その内にはね」
私が折れるか、アバッキオが折れるか、周りが状況に慣れて気にしなくなるか。わからないが、状況は動くものだ。けれどナランチャは、釈然としない様子で項垂れた。
「無視するのも疲れるけどさ。無視されるのだって辛いだろ」
「……なんで挨拶の一つも返ってこないんだろうね?」
「やっぱり、顔が……」
「ナランチャ?」
「なんでもないですッ!」
とりあえず、鏡は買って帰るとしよう。


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20220514
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